君が浅く吐いた息は夜の空気に触れ、白く光り消えていく。君は何度も何度もそれを繰り返す。僕の肩に頼りなく乗せられた手は細かく震え宙を掴み、また林檎のように真っ赤な唇も細かく震えていた。僕は君の激しく上下する痩せた肩を両手で掴み、そして君の顔を正面から見据えた。汗と溶けた雪でおでこに張り付いた髪の毛、雪のように白い肌、ピンク色になった鼻と頬、白い息を吐き震える唇、いくらでも涙が溢れ出すグレーの瞳。……ため息が出るほどに、すべてが美しいと思った。
 僕は大きな瞳から流れ頬を伝う君の涙を、指の腹でぬぐった。
「ねぇ、なんでそんなに泣いてるの」
君はぐしゃぐしゃの顔で首を振った。なにが違うのか、僕はわからない。ねぇ……、君に呼びかける。それでも君は過呼吸になりながら泣いているから、僕まで泣きたくなってしまった。
 辺りは暗く、天までのびるような細いビヨルクが何本もそびえている。昨日にでも吹き付けたのであろう雪がまだ木の側面に残っていて、白い木をいっそう真っ白にしていた。細い枝の間に見える空は今にも落ちてきそうなくらい重い紺色。そこに星が輝いていることはなく、ただただ濃紺なだけ。
 僕は目を閉じ、冬の夜の冷たい空気を吸い込んだ。世界は濃紺から真っ暗になり、そこには君の押し殺したような泣き声だけがこだまする。喉でつっかえたような声だったり、何度もしゃくりあげる声だったり。やがてそれが僕の中で増え続け反響し飽和して、僕の頭をどうにかしてしまうだろう。
 脱力するようにつまらせていた息を吐く。目を開けると、白くなったそれが空気中に消えてゆくのが見えた。君は雪の上に頭を伏してうずくまった体勢で背中を震わせている。僕は背骨の浮き出た、痩せた体をさすった。なるべく暖まるように、僕の熱が伝わるように。すると君は少し落ち着いたようで、息は荒いながらも背中の震えはおさまっていた。
 いくら僕が君のそばにいても、君の視界に僕が入ることはないのだろう。僕はいつも好きで君の隣にいる。でも君は僕に構いなんてしなくて、いつもひとりでいようとする。僕はなんだかそんな君がとても美しく愛しく思えて、ますます惹かれるばかりだ。 僕と君の距離が近くないのはわかっていた。崇拝、敬愛なんて感情を抱いたとたん遠のくものがある。それもわかっていた。それが、自分の手で自分の首を絞めているようなものだということも。でも、それでも僕は君に近づきたい、一緒にいたいという一心だ。
 「ね、家に帰ろう? きっと温かいベリーサフトとか、ジンジャークッキーもあるよ。見慣れた杉の木だって、家のライトだって見られる。だから、ね?」
「……だめなの」
うつむいた君から、鈴を転がしたような声が聞こえた。
「だめって、なにが?」
なにが、だめなの?……僕は本当に君の言っていることがわからなかった。込めた意味、感情、そういうものがくみ取れなくて、君と意識をかよわせることが出来なくて、悔しくて自分が嫌いになる。
「帰ろうよ。風邪引くよ」
ねえ、ねえ。半分泣きながら真っ暗な気分になりながら君に呼びかけ肩をゆする。さっきは君が泣いていたというのに今度は僕がさっきの君のようになってしまいそうで、なんだかみじめで少しおかしく思えた。でも笑えなんかはしなくて、僕の目から溜まった涙といろいろなものが溢れ出そうとした。そのとき、ふいに君が顔を上げた。
「もう、戻ることはできないんだよ」
目尻の赤い君の眼差しが僕を射貫く。それは僕の隙突いたようで、拍子に涙はどこかへいってしまった。ただただその瞬間は、淡い光彩をした君の瞳が僕を掴みはなさなかった。
「行くしかないの、本当に」

そう言って彼女は彼から視線を外し、上を見上げ目を細めた。いつの間にか暗闇は取り払われ、月か太陽かわからないただ大きな光が二人に降りそそいでいた。その時そこに生まれたのは、涙とほのかな絶望を抱いた彼となにか強いものを胸に秘めた彼女だった。
ビヨルクの木々の向こうがダイヤモンドのようにキラキラ輝いていた。彼女はうなだれる彼の手を取り、その方向へすっかり冷たくなった足を踏み出した。



雪の果て、i de svenska skogarna
11/11/07




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