03「境界線」



江ノ高で迎えた二回目の夏、が終わった少し後。
人影もまばらになった海に足を向ける。ここに来るのは葉蔭に負けた日以来だ。
存分に泣いた後、織田とマコに見守られていたことが妙にくすぐったくて、練習以外では来ていなかったのだけど。

「……あ」
「よう荒木」

気付いたのは俺が先だったが、逃げだすには遅かった。
泣く子も黙る鎌学のエース、鷹匠瑛に声を掛けられては無視も出来ない。

どうしてコイツがここに居るんだ。いや別に来ちゃいけないわけじゃないけど。
よりによって今日に限って。タイミングの悪さを呪う。

「探したんだぜ? 学校に行っても今日はもう部活終わったって言うしよ」

訂正。鷹匠の方から俺を探してたんならどうせ逃げきれない。
その気になれば駆に手配して俺を捕まえるくらい容易い筈だ。
駆は既にOBだが、中等部生だった駆にとって鷹匠は「先輩」には違いない。
どう転んでも捕捉されたか、と悟れば諦める他ない。

「駆じゃなくて、俺に用ですか?」
「おう。脱走小僧がやっと戻ってきたなと思ってよ」
「脱走小僧……ま、否定の余地は無いッスけど。……戻ってきた、ってのは?」

しばらくは一緒にU-15でやっていた仲だ。
俺が代表の合宿で監督と衝突して脱走したことも当然知っている。
そんな俺を傑が気に掛けていたことを良く思っていなかったのは、俺も知っていた。
だからまさか、鷹匠が俺に話があるなんて思ってもみなかったのだけど。

「ピッチにだよ。あんだけ針のムシロだった中でも堂々とやってたヤツがサッカー辞めるワケねぇと思ってたけど、去年は江ノ高のチームにお前の姿が無かった」
「あー……諸事情ありまして」
「その辺は傑から聞いてる。公式部じゃなかったんだってな」
「どこまで話してたんスかアイツ」

俺と傑が最後に交わした会話を思い出す。
理解出来ない、と詰られた。どうして理解してくれない、と悔しかった。
今なら傑の言いたいことも分かる。痛いほど分かる。
一年間全く公式戦に出られずに腐った経験が、やっと理解させてくれた。
けどその時にはもう傑は居なくて。謝ることも出来なくて。苦い想いだけが去来した。
尻すぼみになった言葉に被せるように、笑いを含んだ鷹匠の声が降ってきた。

「お前が江ノ高に行くこと。でも同好会の方に入ること。
 それが原因で喧嘩したこと。すぐにでも仲直りしたいこと。でもサッカーの事では譲れないこと。
 そんなことで辛くなるくらいなら友達のままで居ればよかったと眠れないほど悩んだこと。
 だけどお前と出逢えたことと恋人になったことはどうしても後悔出来なかったこと。
 それくらい好きでたまらないのに、お前はそうでもないんだなって思って寂しかったこと」
「……は?」

マトモな言葉が出てこない。
なんか、とんでもねーこと言わなかったかこの人。
一瞬自分の耳を疑って、頭を疑って、ついでに鷹匠の頭も疑った。冗談かとも思った。
だけど鷹匠が傑のことで悪ふざけするわけがないと、なんとなく分かっていた。
短い付き合いだったけど、それは分かる。
俺にとってそうであるように、鷹匠にとっても傑は特別だ。意味は違うけど。

だから、多分、聞き間違いじゃなければ本当だ。

「代表でも学校でも一緒だったからな、何かと相談持ちかけられたんだぜ?
 男同士だなんだって辺りに偏見がねぇのは見抜かれてたし、まぁ半分ノロケだったけどよ」
「うっわー……なんか、あの、サーセンっした」
「お前が謝ることでもねぇよ。ま、喧嘩の原因から何から、全部聞かされたな。
 そんで、仲直りしたって報告が無いままあんなことになって、結局どうなったんだろうな、って思ったけど」
「……してないままっスよ」
「だろうな。通夜で、傑の棺の前で泣き崩れたお前の姿見て分かった」
「そっか、あの時会いましたっけね」

身も世もないとはこういうことかと思った、と鷹匠が呟く。
形振り構わずただ泣いた記憶が蘇る。
双子に生まれたわけではないから「片割れ」という感覚はついぞ知らなかったけど、半身を引き千切られる痛みが身を突き心を刺した。
それで初めて傑が俺の片割れになっていたことも、片割れが居るという感覚も知った。
居なくなってから初めて分かるくらいなら知らない方が良かったと一瞬思ったけど。

「……傑と出逢えたことを後悔するのは絶対に出来なくて、結局恋人だった時の事は忘れられねぇし、喧嘩したことは後悔したままだし、あんだけ泣いたのにまだ整頓つかねぇっス」
「傑も、出逢わなゃ良かったとは思ってなかった。それは本人から聞いた俺が保証する。きっとそう思ったまま逝ったんだから、お前もそれで良いんじゃねぇの?」

傑がこの世に未練を残してるとしたら、まだサッカーがやりたかったことと、駆を騎士に出来なかったことと、お前のことくらいだろ。
僅かに笑う雰囲気がもの寂しげな鷹匠に、ボール蹴りませんか、と持ち掛ける。
砂の上での弾まないボールは俺の方が慣れてるから、U-19日本代表が相手でもそこそこ楽しめるはずだ。
「……ここによ、傑が居たら――と、待てオラ!」

慣れない足元のドリブルにもたつく鷹匠からボールを奪ってバラックの柱の間にシュート。
砂の上に倒れ込んだ所に鷹匠が蹴りを入れてくるので転がって避けた。

「傑が居たらきっと、駆も呼んできて二対二でやりそうな気がしますね」
「やっぱお前もそう思うか」

考えるまでもない、と二人で笑い崩れる。
一緒にプレーした時間は短かった。恋人だった時間はもっと短かった。
いつか俺でも手の届かない舞台に行くんじゃないかと思っていたけど、まさかこんなに早く、絶対に越えられない境界線の向こうに行かれるとは思ってなかった。

「……あと七、八十年もしたら、そうなってんじゃないっスかね」
「俺たちが向こうに行ったら?」
「えぇ。たった七十年、それくらいなら傑も待っててくれるんじゃねぇかな」
「あー。レオニダスとか、もう向こうに行っちまった選手に遊んでもらってたりして」
「黒いダイヤモンド懐かしいっスね! 有り得るなぁ、アイツ人好きするし」

傑をダシにひとしきり随分と先の話をして。少し過去の話もして。
最後に、ほんの少し先の話を鷹匠が零した。

「総体では当たれなかったからな。選手権では絶対に上がって来い。
 俺がいる内に駆ともやっておきてぇし、傑がなりたがってた『駆の王』をやってるお前を、俺たち鎌学が叩き潰す」
「――負けないっスよ。あの逢沢傑が選んだ学校なんだから、絶対に負けられない」
「その言葉、傑の墓に届けとくぜ」

そんじゃあな、と来た時と同じくらい唐突に去って行った鷹匠を見送る。
そういや選手権の神奈川予選が終わって少ししたら傑の命日だし、優勝報告がてらボールでも供えに行くかなぁ、と空を見上げた。




Fin.



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傑荒webアンソロの企画お題03「境界線」、ご利用例的な展示作品です。



11.08.07 加築せらの 拝