畳を踏み込む静かな音と共に、体にわずかな重みを感じて紫苑は目蓋を持ち上げた。まだ眠りに落ちたばかりであったのか、すぐに意識が覚醒する。暗闇に慣れない瞳は未だ不鮮明な視界に覆われているが、自分の上にある『何か』を判別することぐらいは出来そうだ。
月明かりに輝く金色の髪、闇夜に浮かび上がる白い肌。月夜の下でしか歩けぬ体を持つ彼は、俗に『夜兎族』と呼ばれる天人の身体的特徴を持っていた。もっとも、こうして彼に組み敷かれている自分も彼と似たような外見をしているのだが。
紫苑は特に驚いた様子も見せず呆れたようにため息をついた。常に笑みを絶やさぬかの人物を、紫苑は痛いほどよく知っている。


「――何の用だ、神威」


寝転んだ状態のままじっと彼を見上げれば、視線を絡ませた神威はゆっくりと口の端を引き上げた。


「随分冷たいなぁ、紫苑は。数ヶ月も仕事でいなくなったかと思えば、帰ってきて俺にただいまの一言もなしに寝るなんてさ」
「お前だっていなかっただろうが」
「だーかーら、わざわざこうして会いに来たんだろ?俺達親友じゃない」
「気持ち悪い冗談はよせ」


心底嫌そうに紫苑が眉を顰めても、神威は大して傷ついた様子も見せずからからと笑う。照れちゃって、とどこか的外れなことばかりを言う彼にどれだけ脱力させられたことか知れない。乱雑に神威を振り払って起き上がる紫苑が照れているのか本気で嫌がっているのかどうかの判断も出来ないというのなら、とんだプラス思考を持っているのではないだろうか。
そもそも『親友』などという彼との間柄を認識したのは今が初めてだ。顔を合わせる度に相手を殺そうとし合う二人を親友と呼ぶなんて知らなかった。因縁の相手といった方が正しいんじゃないか。しかしそれを言ってもどこか逸脱した思考を持つ神威は「同じようなものだろ?」としか返さないから、結局紫苑は何も反論することなく黙り込んだ。こんな厄介な相手と関わってもう何年も経つ。まともに相手をすればこちらが疲れるだけだと、身をもって経験している。
神威を跳ね除けた紫苑は前髪をかき上げながら身を起こし、悠々と布団の上で伸びをしている神威を眺めて半眼に目を細める。帰ってきたその足で家に帰ることもなくここにやってきたのだろう、所々血や泥で汚れている服のままだから、そのまま寝転がせておけば布団が汚れることは確実だ。
無言で彼を突き倒して上着を剥ぎ取る。他人から見ればあらぬ誤解をされてしまいそうな絵になっているなと自覚はしていたが、わざわざ布団を洗うくらいならこの男の服を洗った方がまだ楽だから、そこらへんは目を瞑ろう。


「あれ、紫苑ってそっちの人?俺いくら紫苑が美人でも、男とヤれるかはわかんないなぁ」
「うるさい、黙れ。血生臭いんだよ。風呂入んのが嫌なら帰ればいい」


俺以上に女顔のお前に言われたくない、と紫苑はぎゅっと口を引き結んだ。いくら冗談だとしても神威の言葉には嫌悪しか感じない。そんなおぞましい事をこの男とするくらいなら死んだ方がまだマシだ。
誘うようにゆったりと紫苑の頬をなぞっていた神威の指を払う。そうして剥ぎ取った彼の服をそのへんに投げ捨てると、布団を頭から被って「むしろ帰れ」と願って目を閉じた。
こんな男の為に起きているなんてバカバカしい話だし、付き合ってやる義理はない。そもそも仕事から帰ってきたばかりで疲れているのだからもう寝なければ――今度こそ安眠妨害した時には蹴りの一つでも決めてやる、と決意して紫苑は神威の存在を無視しようとした。
だが、それは再び上に圧しかかってきた重みによって妨害される。いつもの神威ならば素直に脱衣所に向かうものだから、紫苑はてっきり彼が風呂に入りに行ったかとばかり思っていた。ぎょっとして目を開き慌てて身を起こそうとしたのだが、もう遅い。その細身の体のどこにそんな馬鹿力が眠っているのか、ギリギリと紫苑の背中を布団に押し付けた神威は楽しそうに嗤った。


「俺が血生臭い?へぇ、紫苑はそう思うんだ」
「…何がおかしい」
「だってさぁ」


ぐ、と上半身を傾けたのだろう、神威の吐息が布団越しに耳朶に触れた。


「血の臭いがするのは自分の方だって、何で思わないの?」
「―――――!」


紫苑が肩を揺らすと、クスリと後ろで笑うような気配がした。


「久しぶりに会ったからよくわかるよ。何人殺してきたのか知らないけど、あんたの周りには粘つくような血の香りが充満してる。全部洗い流しちゃったのはもったいなかったね。俺さ、紫苑が血塗れになってる姿見るの好きだから」


返事することなく息を押し殺して布団に埋もれている紫苑を見て、神威は「ねぇ」と呟く。


「俺の魂を潤してくれてたあんたは、いつからそんな腑抜けになっちゃったの?血が好きなくせに。戦場が好きなくせに。――『もう殺しはしない』?あんた、自分の性分を忘れたわけじゃないだろう。いつかきっと血に飢えるよ」


可哀想に地球なんてぬるま湯につかってきたからボケちゃったんだね、と肩を落とした神威の指が首に触れ、紫苑の気道をゆっくりと締め上げた。
この男の性格など熟知している。強い者にしか興味を示さない神威は紫苑に失望したのだろう。あるいは裏切られたと思っているのかもしれない。


「弱いあんたになんか興味ない。早く前みたいに戻らないと、俺が殺しちゃうよ」


呼吸することが困難になり、取り込める酸素が徐々に薄くなっていく。だがそれでも、布団から顔を出しゆっくりと後ろに視線を向けた紫苑は口元に笑みを浮かべた。
ああ、それも悪くない。これ以上己の手を他人の血で汚すくらいなら、いっそのこと今お前に殺された方がいいのかもしれない。そう神威に言ったら彼はどんな顔をするのだろうと想像したら、笑うしかなかった。

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