甘雨に溺れる


光忠はいつも格好いい。
その仕草にも、心意気にも、焦がれて止まない。
そのうえ、甘やかすのがとっても上手だ。

例えば並んで座っているとき。そっと腰を抱き寄せて、重みを引き受けてくれることだとか。
例えば執務中。美味しいコーヒーを淹れてくれることだとか。
例えばお風呂上がり。熱の引かない頬に触れて、唇を舐めとる仕草だとか。

私の目の色を読んで、光忠はいつだって欲しいものをくれる。私はまんまと甘やかされて、彼の温かな手中に身体を横たえてしまう。

優しさよりももっと甘い、ともすれば毒になりそうな愛情表現は私の思考をとろんと溶かして、すっかり奪ってしまうんだ。

それに不満がある訳ではない。だけど、たまには甘えて欲しいと思ってしまうのは、わがままだろうか?

くぷくぷと絶え間なく注がれる愛情で、私はぷわんと浮かんでしまって、まるで海月みたいだ。この透明な気持ちの中には、光忠が好きということ以外になく、ただ訳もないまま、幸せなのだ。

だけど、それをときどき、不安に思う。

私は彼の恋人として、ちゃんと彼を幸せにしたい。自分ばかりが、蜂蜜漬けにされるようなこの気持ちを味わっているなんて、いやだ。
対等な恋人として、いつもしゃんと伸びたあの背筋が、弛むところだって見てみたい。

庭を囲う縁側で、夕涼みをするのはこのところの日課になっていた。ひんやりとした宵の風が、湯上りの頬から熱を奪う。

梅雨が息継ぎをするように、今夜はぱっと晴れていた。星々と、久しぶりに目が合う。
じっくりと湿った土の匂いが、草木の緑を濃く煮詰めている。ずくずくとした遠い夏の予感。だから、うづき、という音は四月よりも六月に合っていると思う。
風の音が走る。さわさわと揺れた木々から、ぽとと、と残った雨粒が滑り落ちる。

「…ここに居たんだね。」

耳の中を柔らかに、撫でるような声。こんな話し方をするのは一人だけで、笑みが浮かんでしまうから困る。

「…うん。」

頷いて顔をあげたら、光忠は目を合わせて優しく笑う。まなじりが下がる、甘い表情。
それからするりと頭を撫でられる。あまりにも自然な仕草で、それは、天上がりの葉の上をすべる水滴みたいに他意がない。

「みっちゃんもお風呂上がり?」
「うん。君を探してたんだ。」
「そうなの?何かあった?」
「…いや、何かあった訳じゃないんだけど…。」

隣、いいかな?なんて。いいに決まってるのに、わざわざ聞いて、彼は腰を掛ける。
湯上りのためか着流しを着ているから、縁側から下ろされた素足が並ぶ。光忠の足は、私のよりも、うんと大きい。すらりと組まれた足。下になったほうの左足は、踏み石についてしまっている。
洗いざらしの夕闇と隣り合う。清潔な暗さのなかに、ぽうと浮かび上がるような素肌がとても綺麗で、ついじっと見てしまった。

視線を追った光忠が、くすりと笑って言う。

「君の足はちっちゃいね。」
「みっちゃんのが大きいんじゃない?」

そうかな?なんて言いながら、戯れるようにするりと私の右足に光忠のそれが触れる。
下からすくい上げるようにとられて、光忠の甲に私の足が乗せられる。
触れ合った肌は、滑らかで冷たい。
親子亀のように違うその大きさに、思わず声が漏れた。

「うわ、ぜんぜん違う。」
「ふふ。指も爪も、小さくて可愛い。……ねえ、なにか考え事してた?」

覗き込まれるように、瞳の色をうかがわれる。こうされたらもう私の思考なんて透けたも同然で、素直にならざるを得ない。

「…うーんと…。」
「うん?」

ただなんと言うべきか、言葉がうまくまとまらない。逡巡し、光忠を見つめ返す。
ゆっくりでいいよ、と橙が、優しい色で待っている。それに促されてそっと、伺うように口を開いた。

「みっちゃんってさ、疲れたりしないの?」
「えっ?僕?」

思いもよらない、というように、わずかに目が見開かれる。それに苦笑いを返しながら、言葉を重ねた。
光忠は優しい。私に対してはもちろん、本丸のみんなに対しても。彼は誰より面倒見が良い。なのに、弱音を吐くところを、一度も見たことがない。

「いつも甘やかす側でしょ?だから、その……。」

そこまで言って、口を噤んだ。
格好よくありたい光忠だ。
甘えていいよ、と言いかけて、言えなかった。

気まずくて逸らした視線の端、じいっと見つめられているのが分かる。光忠の眼差しが、頬をじりじりと焼いている。
ややあって、ふ、と光忠が笑う。

「ふふ、そっか。」

「え…?」

「いや、なんでもないよ。……それじゃあ、君が甘やかしてくれる、ってことでいいのかい?」

「……!うん!いいよ!」

「あはは、嬉しそうだね。」

そりゃそうだ。だって嬉しいもの。隠さず笑うと、にこりと柔和な笑みで返される。

「それで、どうやって甘やかしてくれるのかな?」

「えっ、ええっと…ひ、膝枕、とか?」

「ふふ、膝枕かあ。いいの?…じゃあ、お言葉に甘えて。」

嬉しそうに笑って、光忠がゆっくりと体を横たえる。
自分から提案したものの、ゆるりと屈められる大きな体に、どきどきとときめいてしまう。

確かな重みのある、まあるい頭が太ももに乗る。
薄い浴衣の生地越しに、光忠の吐息が太ももに触れてくすぐったい。わずかに身をよじると、「くすぐったかった?」と楽しげな声で光忠が寝返りをうつ。

下から見上げられると、今更恥ずかしくて、そっぽを向いてしまった。それから、手の置き場に困っていると、膝の上から声がかかる。

「ねえ、甘えさせてくれるんだよね?こっち向いて。」

それから右手をとられて、指を絡めたまま、光忠の胸の上に。背けた頬を、つう、ともう一方の人差し指の縁が撫でる。

敵わないと観念して、俯いた。

膝の上に落とした眼差しは、吸い寄せられるように光忠の視線と重なる。
そうして目があっただけで、光の粒がこぼれるように、ほんとうに嬉しそうに笑うものだから、胸を締め付けられて、どうしてか泣きたくなった。

誤魔化すように、左手で髪を撫でる。
さらり、横に流れた光忠の前髪をよけると、見惚れるほど美しい、白い額のなだらかな曲線が露わになる。
光忠はくすぐったそうにきゅうと長い瞬きをして、それでも飽きずに頬を撫でていた長い指で、流れ落ちた横髪を耳に掛けてくれる。

好きだよ、という想いが眼差しから溶けだして、沈黙を満たしている。熱をもった静けさに、じわりじわりと頬が火照ってゆく。

やがて光忠が、僅かに目を細めて、口を開く。

「君は優しいね。」

「…優しくないよ。」

「どうして?」

私は優しくなんて無い。甘やかしたいなんていう、この気持ちの正体は、独占欲だ。

「光忠が、ほかの誰にも見せない一面を、私だけに許してくれてるのが、嬉しいから。」

自分の後ろ暗い気持ちは、誰より私が一番よく知っている。

「そう……。」

光忠が、ふ、と目を逸らす。
それから、椿の花を溶いたように、白い頬に朱が差す。彼が照れるなんてめずらしくて、ついまじまじと見つめてしまった。

「困ったな。僕も、そっちの方が嬉しい。…ねえ、もっと甘えていい?」

「うん?…うん、いいよ。」

わざわざ許可を取るあたり、光忠らしい。甘えていい?という問いかけが可愛くて、つい頷いてしまう。

「ありがとう。」

蕩けるような眼差しで笑って、言うが早いか首の後ろに大きな手のひらが回される。
え、という形をした、驚いたままの口が、はむりと啄ばむようにして、光忠の唇に覆われる。歯の隙間から入ってきた光忠の舌に、ちゅるりと絡めとられた私の舌。ぢゅう、と音を立てて甘く吸われると、体の芯が溶けたように力が抜ける。
首の後ろを撫でている大きな手のひらが、ぞぞぞ、と私の欲を引き摺り出そうとしている。

私は胸が詰まる、くるしい。それは呼吸まで奪われそうなキスによってではなく、この胸の中に溢れて止まない愛しさで。

舌は口の中を、優しく撫でるようにねぶっている。ときどきくれる息継ぎさえ、陽炎のように熱くて、頭が茹だる。

くるしい、くるしい。この人のことが、好き過ぎて、くるしい、切ない。

大きな掌が、頬にぺとりと触れる。曇った湿度が肌と肌をしっとりとくっつけて、雨の気配がする。
それに誘われるように瞼を開けたら、待ち構えるように細められた黄金色の瞳が見える。深い眼差しへ、雨粒のように落ちて、一緒に溶けてしまえたらいいのに。

キスをしたまま、光忠の口角が僅かに上がる。ちゅう、と音を立てて、離れた唇の隙間で、強請るような声を聞く。

「はあ…かぁわいい。…ねぇ、ほら、もっと口開けて?」

光忠の望むことは、なんだってしてあげたい。そう思っていたはずなのに、まるで、すべて、私が願ったことが叶えられているみたいだった。

すぐ側で、光忠の心臓が鳴っている。命が朗々と燃えている。ぽつぽつと降り出した雨音が、遠い。

キスをしながら、光忠が体を起こす。
ちゅうう、と何度も重ねられる唇から、溶けた私のくだらない思考も全部、飲み干してくれたらいいのに。

大きな獣がじゃれるように、額をすり寄せて、光忠が私の上に覆い被さる。
繋がれた手のひら、指の間に押し入る指は、じれったい雨の気配に湿っている。

「…したい。」

曇ったガラスに文字を書くような、たどたどしい声で光忠が囁く。

自分の思いが暴かれてしまったような気分で、私は口をつぐんだ。
頬が茹だるように熱いから、きっと私はまた馬鹿みたいに真っ赤なんだろう。

「ねえ、甘やかしてくれるんだよね?」

強請るような熱い眼差し。この瞳には、私の心中など、すっかり見透かされているのだろう。視線を逸らして、こくりとひとつ頷く。

ありがとう。なんて言われて、私はやっぱり幸せで、また何も考えられなくなるんだ。

だって、貴方がしたいことのぜんぶ、私のしてほしいことで、困ってしまう。

軒先の向こうは雨。荒くなった息さえ、隠してしまう、優しい雨。うだるような夏が、もうすぐそこまで来ている。

野花が雨を吸う、強い香りが、そこかしこに立ち込めてむせ返る。
私は屋根の下、しとど降り注ぐ甘雨に喉を鳴らした。




/→

back

top
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -