大輪の花束


誰もいない夕暮れの浜。
浴衣の袖から、潮風が肌に触れる。
なまえと鶴丸国永の影が、防波堤のでこぼこの上を伸びたり縮んだりしながら進んでいく。

ざり、と下駄のうらで砂がすべる。

「おっと、転ばないでくれよ。」
「うん、ありがとう。」

無条件で差し出された手につかまった。
ふたりの影も同じように繋がる。
たしかな強さで握られた指先は、互いにすこし汗ばんでいて、やわらかい。

ざざん、と波が寄せて、引いて、貝殻をゆっくりとまあるい形に変えていく。

砂浜に降りて、座った。
握られたままの右手。
となりについた左手で、地面を撫でると、指の間でなだらかな縞模様ができる。触れた砂のなかには昼間の日差しが残っていて、まだ少しあたたかい。さらさらと、乾いたそれは風に消える。

橙がゆっくりと溶けていく。夕陽が見えなくなると、青と藍の境界線は、虹を溶いたような色になった。

ざざん、ざざん。
波がうたう、その隙間で鶴丸が言った。

「なあ、歳をとるってのは、どんな感じなんだ?なにか変わったか?」

一年。季節は一周してぐるり、いまここにいるなまえは、365日分だけ朝と夜をくぐってきたのだ。
波間に沈んだ太陽が、海の向こうの遠い国で朝日になるのを思い浮かべた。少し考えて、なまえは答える。

「何にも変わってない気がする。」

鶴丸がなまえの横顔を見る。
視線に気付いたなまえが、今度は鶴丸に問いかける。

「何か変わったかな?」
その笑った顔。

たしかになにも変わらないように見えて、鶴丸はどうしようもなく安堵した。

見上げた空には星が浮かびはじめている。

…だけど。
音もなく、そっと、目を凝らせば凝らすほど現れる星々に、諭されるようになまえがこぼした。

「…でも、もしかしたら一年前とはちょっと違ってるかも。」

夜の海を映している彼女の凪いだまなざしが大人びて見えて、鶴丸はどきりとした。

ざぶん。すっかり暮れた海は暗い。そこにあるかもわからないほど夜を吸って真っ黒だ。波の音だけが、雄弁に横たわっている。

「あー、髪がすこし伸びたか?」
「むしろ切ったから去年より短いけど。」
ごまかすように言ったら、ぴしゃりと返答が返ってくる。

「そのあと伸びたってことだ!」
「ふふ、そんな焦らんでも。」

変わっていくもの、忘れていくものがある。なにかを失う。新しいなにかを得ながら、忘れてしまったものは戻らないから、なくなったことにさえ、気付けないまま。

貝殻がゆっくりと転がりながら波にさらわれて、やがて砂になる。
長かった髪も、さらり、風になびく香りも、そっと姿を変えていくのだ。

実のところ、鶴丸はこわかった。
自分を置いて、なまえがいってしまうことが。

同じだけの時間を重ねても、ともに朽ちることはできない。
ずっとずっと繋いでいたい柔らかな手も、きみのだけ、いつか風に溶けて、指の間をすり抜けていくんだ。

だけど、切なさを悟られないように、鶴丸国永は笑う。なまえが生まれた、今日ほど喜ばしい日は、ほかにない。

「誕生日、おめでとう。」

かち合った視線。

「ありがとう。」

なまえが言葉にした瞬間、ぱっと周囲が明るくなる。

まぶしいほうへ顔をあげた。
周囲から音が遠のき、大輪の花火が夜空にあがる。光を追って、どぱんという破裂音が海を、ふたりの胸を、波立たせた。

満天の濃紺に、咲いて、咲いて、咲いて、夜一面がはなやぐ。
それを追うように、胸を直接ゆさぶるような、音が降ってくる。どん、どんどん、と。

思ってもみなかった光景に、なまえは言葉を無くした。無意識に、繋いだままの右手をきゅうと握り返した。

燦々と降る光の雨。
胸の奥の記憶を呼び起こすような、懐かしい景色と音。風がはこぶ、火薬のにおい。

花火は止まない。
こちらへ落ちてくるような、自分が浮かびあがるような錯覚さえ覚える。
次々と、咲いて散って、夜の闇を、暗い海を、染め上げる。

なまえの瞳の中まで、一面に、光の花が満開になる。

鶴丸国永は、照らされたなまえの横顔を見ている。ぽかんと開いた彼女の口が、やがてそっと笑むのを、優しく見ている。
慈しむような黄金色の眼差しは、ずっと向こうから花火を見下ろしている一途な星々とよく似ていた。

いつまでもこの時間が続けばいいと願って、それと同じだけ、彼女に降りつもる時の流れを、愛おしくも思った。

色とりどりに染め変えられていくなまえの頬を、ずっとずっと隣で眺めていられたならいい。きみのことを、いつでもすぐそばに思い出せるくらいに。

「まあ、俺はどっちでも好きだがな。」

きみが変わってしまおうと、この気持ちは変わらない。なににも代えられないまま、いつまでも共にあるなら、途方も無い年月だってこわくない。

花火に隠すようにして囁いたのに、なまえが嬉しそうに聞き返す。

「え?」

聴こえていて、からかっている顔だ。まったく。少しくらい照れてほしいものだ。

「短い髪もいいんじゃないか、ってことだ。」
「そうやってごまかすー。」
「その言葉、そっくりそのままきみに返すぜ。」

咲いては消えていく。
花火も、人も。
それは、それは眩しい。
瞳の奥に散らばる火花。
いつまでも、いつまでも見ていたい光は、簡単に消えて、花びら模様の影になって胸に焼きつく。

やがて最後の一輪が散る。
はらはら、花弁は金の尾を引いて、夜に消えた。
どきどきとうるさい胸をなだめるように遠くから、ゆっくりと耳に潮騒が戻ってくる。

なまえも、ほんとうはすこし怖かった。
彼らを置いて、自分だけが変わってしまうことが。

だけど、たとえ変わっても、かわらず好きだと言ってくれるのなら、そう悪くはないのかもしれない。
透明な朝日の膜を折り重ねるようにして、ゆっくりと年老いていくのも、いいかも知れない。

「帰るか。」
「うん。」

帰ろう、手を繋いで。
瞼の上の火花も、鼓膜の中の大きな音も連れて。

「光坊がきみの好物を作るってはりきってたぜ。」
「それは楽しみ。」

「走って帰るか?」
「なんで?」
「腹を空かせてたほうが喜ぶだろう。」

なまえは、少し上にある鶴丸の顔を見上げた。屈託ない笑顔は、自分よりずっと無邪気な子どもみたいに見えた。
この人はいつも、誰かを喜ばせることばかり考えてるな。と思ったら、こちらまで幸福にあてられて笑ってしまう。

「あはは、いっぱい食べるから大丈夫。」

こんなに好い人を独り占めするのはバチが当たりそうだけど、今日くらい、もうすこしだけ。
何にともなく言い訳をして、なまえは歩調を緩めた。

「歩いて帰ろう。」

そっと合わされた歩幅。

繋いだ手は、波のようにゆったりとふたりの間で揺れている。

浴衣の袖もとに溜まった潮騒が、ぽろぽろとこぼれ落ちて、帰り道を天の川のように流れていた。



/

back

top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -