私が女郎蜘蛛達の元に来て数週間が経ち、傷は癒え、体の調子も大分良くなった。
最初の数日は食事が喉を通らず水意外口に出来なかったのだが、しびれを切らした女郎蜘蛛に糸で簀巻きにされて口にご飯をつっこまれたのはいい思い出である。(女郎蜘蛛の後ろで大ヤモリが顔を青くさせて見守っていた)
「(そう言えば服を剥かれてお風呂に突っ込まれた事もあったな…)」
此処数週間の出来事を思い出して私は苦笑する。怪我が酷いうちは濡らした手ぬぐいで体を清めていたのだが、怪我が良くなってくると女郎蜘蛛にお風呂に入れてもらった事もあった。(そして悲しきかな、たくし上げられた着物の下から見える雄々しい二の腕や脚を見て女郎蜘蛛は男だという事を知ったのだった)
初日は恥ずかしさのあまり抵抗したのだが、女郎蜘蛛の有無を言わさない姿勢に怪我が良くなるまで体を洗ってもらっていたなんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。…流石に大やもりはお風呂までは着いてこなかったが。
時々自分の中の妖力が抑えきれず、以前の時のように巨大なカメレオンの姿になって用意してもらった服を破いてみたり、気持ちが高ぶった時は放電してしまったりとでかなり迷惑をかけている自覚がある。
それでも2人は苦笑しながら、慣れるまでは仕方がないと言ってくれる。
申し訳ないと思いつつも、女郎蜘蛛と大やもりの温かな笑みに次第に妖怪になってしまった自分を受け入れるようになりつつあった。
「あー…、疲れた。どっこいしょ」
「…女郎蜘蛛、なんかおじさんみたいだよ」
「あらあ、大やもり……聞き捨てならないわね」
「あー…っ!首、首絞まってる…!」
2人の声を聞いた私は、そっと部屋から顔を覗かせて屋敷の入り口辺りで行われているであろうやり取りを見守る。
調合した薬を知り合いに渡してくると出かけて行った女郎蜘蛛が背負っていた薬箱はとても大きく、華奢な身体とは裏腹に力があるのだなあと感心してしまう。
そして女郎蜘蛛に胸ぐらを掴まれている大やもりの顔が青くなっている。…あ、これ本当に首が絞まっているかもしれない。
しかしお世話になりつつも、女郎蜘蛛が怖い私は物陰からそっと見守る事しかできなかった。大やもりごめん。
ふと女郎蜘蛛の顔がこちらに向く。目が合って思わず肩がはねてしまった。
「あら、起きていたのね。いちか」
女郎蜘蛛は大やもりの胸ぐらから手を離すと、手招きをする。私は恐る恐る近づいた。
…なんだろう、私何かやらかしてまっただろうか。
目の前まで行くと彼…げふん、彼女は微笑んだ。
「…。んん?おかえりなさい、が無いわねぇ」
「……お、おかりなさい」
「うん、うん。ただいま」
満足げに頷く女郎蜘蛛を見ていたら、何故か母の顔が浮かんで少し泣きそうになってしまった。
女郎蜘蛛は私の顔を覗き込むと、ところで,前話した事…考えてくれたかしらと問いかける。
それは怪我が良くなってきた辺りから女郎蜘蛛に話をきかせてもらったバスターズに入隊しないかという話だった。聞いた当初は戸惑ったし、迷いもした。しかし女郎蜘蛛や大やもりと一緒に過ごすようになって心は決まった。
私は静かにうなずいた。
「はい。私もバスターズの一員にしてください」
「…いい返事よ。でも、本当にいいのね?断ってもいいのよ」
「そうだよ、いちか。バスターズは大変な仕事なんだから」
大やもりも心配そうに私に声をかけてくる。
バスターズの仕事は困っている妖怪が居ないか見回るパトロールや、依頼を受けて出動したり等…確かに危険が伴う仕事ではある。依頼を失敗して大けがする事や、任務中に昇天しかけてしまう事だって少なくないそうだ。
常に死と隣り合わせ…と言っても過言ではない。(妖怪にも“死”があるそうで、驚かせられた。妖怪の命は永遠では無く、終わりがあるようだ)
それでも私はバスターズの妖怪達に救われたのだ。
以前の自分のように困っている妖怪が居たら助けたいと思うし、私の力が誰かの役に立てるのなら力になりたい。
私は小さく息を吸うと口を開く。
「覚悟は決めてます。…女郎蜘蛛や大やもり達に救われた命だから、今度は私が誰かの力になりたいと思ってる」
「いちか……」
「全く、この短い期間のうちに立派な事言うようになったじゃないの」
大やもりは心配そうな顔をしつつ頷いてくれ、女郎蜘蛛は感極まったような顔で私の背中を叩いてくる。(…結構痛い)
そうして2人の顔を見ていたら、女郎蜘蛛は小さく咳払いをするときりりと引き締まった顔になった。
「バスターズに入隊したいのなら明日から修行ね!ビシバシ行くわよ。いちか、貴女には素質があるわ。あとは努力次第ね」
「は、はい…!」
確かに人命救助のような仕事もあるだろうし、きっと厳しい修行になるだろう。それでも頑張らなければ。妖怪になってしまった以上、下ばかり見てはいられない。今の自分を受け入れて前を向いて進まなければ。
女郎蜘蛛を見ていると、大やもりが隣に来て優しく微笑む。
「改めてだけど、宜しくね。いちか。俺も力になれる事があったら協力するから」
「何言ってんのよ、大やもり。あなたもいちかの修行に協力してもらうんだからね。それにやもりもカメレオンも似たようなものでしょ」
「ええええ!?俺それ一言も聞いてないんだけど。それに似たようなものって……爬虫類って所しか同じじゃないからね!生体とか全然違うよ!?」
大やもりの抗議を聞き流しつつ、女郎蜘蛛はウインクして「期待してるわよ、いちか」と言う。……女の私ですら見とれるその仕草に色気を感じてしまったのは秘密だ。
明日から頑張ろう。
辺りが暗くなり、いちかが眠ったのを確認すると大やもりは腰を下ろして部屋の奥で薬草の在庫を確認する女郎蜘蛛の背中に話しかける。
「…あの子、バスターズに入隊するんだね。まさか自分から入るなんて言うとは思わなかったよ。それに、女郎蜘蛛が面倒を見るって言いだした時はバスターズに入れる気満々だと思ってたから…まさか彼女に選択させるなんて思わなかった」
「そうね。最初は入れる気満々だったけれど…思った以上にあの子の心の傷が深くてね。選ばせるべきだと思ったのよ。自分の進む道を」
「……」
小さくため息を吐いて女郎蜘蛛は振り返る。
数日前、妖怪市役所にいちかを連れて行って改めて手続きをしたのだが、本人は気丈に振舞っていたが見知らぬ妖怪達が近づく度に怯えたような眼をする彼女に女郎蜘蛛は気づいていた。
その事を話すと、大やもりは自分で茶を入れて一口啜ると頬杖をつく。
「人見知りならぬ妖怪見知りみたいな…?」
「それもあるけれど…多分、あの子以前悪霊になりかけた時の事を引きずっているのよ。誰かに触れる事も触れられる事も恐れているように見えてね。時々どこか遠くを見ているような眼をしている時もあるのよ」
女郎蜘蛛がそう言うと大やもりは、ふうんと相槌を打ちつつもう一口茶をすすった。
一度悪霊化しかけた妖怪の扱いは難しいと聞いていて、比較的立ち直りが早く見えたいちかだったがまだ完全に心の傷が癒えた訳では無いのだ。(そもそも悪霊化しかけて持ち直した妖怪の例が少ないのでただでさえ扱いに手を焼く事が多い)
しかし出会った当初と比べると口数も多くなり、時折笑顔を見せるようになったいちかを見ている大やもりは悩まし気な女郎蜘蛛を見て口を開く。
「それでもあの子が前をむけるようになってきた事はいい事なんじゃない。女郎蜘蛛のおかげだよ」
「大やもり…」
「それにさ、いちかの事を話している時の女郎蜘蛛ってお母さんみたいな顔してるよ。あ、でも女郎蜘蛛はおと「だまらっしゃい」あぐっ!痛いよ女郎蜘蛛…!!」
女郎蜘蛛の拳が腹にめり込んだ大やもりは、これ自分じゃない他の妖怪だったら確実にしずんでたなと痛みに耐えつつも思った。
全く口には気をつけなさいよなんて言いつつ、女郎蜘蛛は彼の湯飲みを奪って残りを飲み干す。…大やもりは、それ俺のなんだけどという言葉を心の中で呟きつつ空になった器にもう一度茶を入れた。
女郎蜘蛛は薬草の在庫を確認していた手を止めて大やもりの向かい側に腰を下ろす。そして口を開いた。
「あの子の傷も癒えてきたし、妖怪見知りをなんとかしたらいい加減土蜘蛛に会わせに行かないとね。結構気にかけてるのよね」
「あー…、それ大ガマもだよ。というか、いちかが生前女子高生だって知るや否や「成程、今で言うJKか」なんて言い出して催促の文がしつこくて…。一度悪霊化しかけて持ち直したっていう物珍しさみたいな所もあるせいか本家に欲しいとか言っててさあ」
「全くあいつも新しい物好きというかなんというか……はあ、また変な意地の張り合いにならなければいいけれど」
「振り回されるこっちの身にもなって欲しいよね…」
互いに元祖と本家の大将達を頭の中に思い浮かべながら思いため息を吐いたのだった。
20160129/おわり
*)続きが打ってみたくて打ってみた修行に入る直前の話
bkm