「死んでもいいですよ」「嫌だねバァカ」:水瀬様
人が居ないような静けさの中で、ぱらぱらと一定のリズムで本のページを捲る音だけが響く。
耳をすましていれば分かる身動ぎの音で、ようやくこの部屋に人が居るということが確信できた。
ソファーに並ぶ2つの影は、互いに互いを気にした様子がなく、ただ1人本の世界に入り込んでいる。
チクタクと時を刻む煩わしい音はない。
どれくらい時間が経ったか分からないが、それから暫くして片方が本を閉じて自らの隣に置いた。
当然、もう1人の座っている場所と逆側にだ。
読み終えたのだろうそれの表紙をトントンと人差し指でゆっくり叩いているのを耳で聞き、もう1人も読んでいた本を置く。
目の前のテーブルの上に置かれたそれには栞が挟まれていて、こちらはまだ途中だったことが分かる。
読書を中断する形になったことを気にもせず、隣の男に問いかける。
「どうしました、花宮さん」
男―花宮は、たっぷり一息黙りこんでから、「なんでもねぇよ」と答えた。
花宮のなんでもないは、その言葉の通りか機嫌が悪いか、はたまた面白がっているかの三択。
すぐさま当たりをつけて、会話を促した。
「何が気に食わないんです?」
「何でもねーって言ってんだろ、テツヤ」
「そうあからさまな態度で言われても、説得力ありませんよ」
自身、分かっていたのだろう。
花宮は少々バツが悪そうに視線を彷徨わせた。
黒子は無理に急かそうとせず、花宮を待つ。
はぁ、とため息を吐いてから、花宮は傍らの本を黒子の置いた本の上に投げるように置いた。
黒子の視線は、自然とそれを追う。
「気分悪ぃ。つーかご都合主義でストーリーが甘すぎんだよ、これ。物事んな簡単に済むかっつーの」
「…ああ、なるほど。確かにそうですよね」
花宮が読んでいたのは、今流行りの恋愛小説だ。
ジャンルに拘らず読む彼だから珍しくはなかったが、この本は気に食わなかったらしい。
黒子の知るあらすじと言えば、対立していた家の男女が恋に落ちたが特に強い反対もなく結婚して幸せに暮らしましたなんてもの。
恋に落ちるまでは紆余曲折あったようだが、その時点でツッコミどころ満載だ。
ロミオとジュリエットで例えるなら、彼らの苦悩も周りの反対も何もなく、ああめでたいとあっさり結婚した…なんてそんなところか。
ああ、確かに気に食わない。
なんでそんな話が人気なのか不思議なところだ。
けれど気に食わない理由の一つは、自分たちがそう易々といかない恋愛をしているからかもしれない。
花宮の考えに同意したところで、黒子は思考を切り替えた。
つまり、どう花宮を宥めるか、だ。
拗らせると後で面倒である。
「花宮さん。”月が綺麗ですね”って知ってます?」
「夏目漱石がそう訳しとけって言ったやつか」
「はい。”I love you”の訳し方もそれぞれなんですから、多少都合よくても良いんじゃないですか?それが彼らの愛の形だったってことで」
「こんな奴らが現実に居たところで上手くいきゃしねーだろうけどな」
「所詮はフィクションですし」
「ふはっ、そりゃそうだ」
黒子の台詞に毒気が抜けたらしい花宮は、知らず知らず入っていた力を抜く。
そう、所詮はフィクション。
腹を立てるのもバカらしい。
なんでこうも苛立っていたのかも分からなくなる。
「で?お前の愛の形は何だよ」
「そうですね、”死んでもいいわ”、が近いんじゃないですか?」
「二葉亭四迷かよ。ま、勝手に死なせるつもりねーけどなァ」
「え」
「んだよ」
花宮が面白がるように聞くから、少し悩んで黒子は答える。
けれど、花宮の返答に黒子は目を瞬かせた。
その反応が気に食わなかったようで、花宮は不愉快そうに眉を寄せた。
古人の言葉を借りた訳ではあったが、紛うことなく黒子の本心である。
それが隣に座る自分の恋人に意に沿わない場合はどうするべきなのだろうか。
いや、そうにかなったところでそう問題ではないのかと、黒子は話を続ける。
「貴方のことですから、勝手に死んどけくらいは言われると思っていたので」
「は、嫌だねバァカ」
「はい?」
「死んだら面白くねーだろうが。お気に入りの玩具だっつーのに、また探すのめんどいんだよ」
「…ボクの変わり、居るんですか」
「ふはっ、まさか。俺についてくるのなんてお前くらいだろ。…それに、お前が死んだら」
花宮の手が、黒子の顔に伸びる。
「俺の前ではくるくる変わる表情も、見れなくなるし?」
黒子が呆然としていると、花宮は黒子の頬をつねった。
「いひゃい、いひゃいれすはにゃみやさん」なんて抗議して、ようやく離してもらう。
痛かったじゃないかと目で訴えて頬を撫でながら、花宮を見つめる。
「花宮さんのデレを見た気がします」
「まぁ、お望みなら血ィ抜いて防腐処理してキレイに保存して飾ってやるけど?」
「遠慮しておきます。ボクも、生きて貴方の傍に居たいので。死んだ自分にも嫉妬しそうです」
花宮はふはっと笑って、黒子の腕を指でなぞる。
くすぐったさに身を捩るが、よくよく意識をやるとそこは血管だった。
この人半分本気で言ってたのかと内心驚きながら、意識の方向を変えてやろうと話を戻す。
少し危ない気がする。
「ボクの”I love you”の訳ですけど」
「なんだよ」
どんな面白い訳をしてくれるのかとニヤニヤしている花宮に、告げる。
「”貴方が先に死んだら、寄り添って一緒に死んであげます”」
少し長いが、これが一番正確に表していた。
黒子は、自身の彼への想いをそう考えていた。
花宮が死んだら、この世に未練などない。
死んでも寄り添って、共に居ようじゃないか。
花宮は黒子の言葉に、「じゃあ俺は」と続けた。
先程までの話からして気持ち悪いとは言わないだろうとは思うが、はてさて何を言われるやら。
「”死んでも一緒に居てやるよ”」
「先に死なせる気もねーけど、もしお前が先に死んだら待ってろよ。俺は自殺する気なんてねーからな」
なんてちゃっかり付け加えた花宮にくすりと笑いながら、黒子は身を寄せる。
それでもいい。
一緒に居てくれるというのだから、居てもらおうじゃないか。
"死んでもいい"なんてたとえ話に苛立ちながら、"死んであげる"という自分を理由にした死は許す彼に。
社会的に許されない恋をしているのだから、この先も一緒だなんて確約はないけれど。
口約束を信じるくらいいいだろう。
「一緒に、ですか」
「ああ。離してなんかやるかよ」
「はい。…期待してます」
2人寄り添って、唇を合わせた。
願わくばずっと共にいられるようにと、願いを込めて。
2012/11/3 write by水瀬様
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