今のところ秘密なんだ。/佐伯
「おはよー佐伯くん。朝練お疲れさま」
「あぁ、おはよう楠木」
午前九時、少し前。
朝練を終えて教室に向かうと、隣席から声が掛かる。
どうせ一時間目は体育だからと、ジャージのままなのはお互い様。
理由は、同じようで半分違うけど。
俺は朝練に出てたから。楠木は、朝練する俺達のサポートで。
グラウンドでは一旦会ってるんだけど、教室で顔を合わせたらもう一度挨拶するのが習慣になっている。
朝練と言っても有志が集まるだけの自主練だから、本当はマネージャーの仕事外なんだけど、彼女は文句ひとつ言わずに手伝ってくれる。
いつだったか、そこまでしてくれる理由を尋ねたら「朝練に集まるのって、レギュラーがほとんどでしょ」と笑っていた。
最初はファンの子に気兼ねなくレギュラーの皆の姿が見れるからって意味なのかと思った。
実際、レギュラー陣のファンの子が、近くで姿が見れるならとマネージャーとして入ってくることはままあるから(そして大抵は予想以上の激務で辞めて行く)。
だけど、続いた言葉に自分の発想を恥じた。
「ウチって、すごく大所帯じゃない?
だから努力したって試合に出れないまま三年間過ごす人も沢山いるけどさ、あの人たちって、その人たちの努力に負けてないから番号貰えるんだよね。
最初はさ、番号貰ってるから、そこから落ちないために朝練までしてるんだと思ってたんだよ。
でも、誰より沢山練習するからあれだけ上手くなって、だから試合に出れるんだなーって。
それが当たり前に出来るくらい、サッカーが好きなんだなーって。
今更と言えば今更なことだけど、鷹匠さんや佐伯くん見てて、改めて感じたんだ。
それだけサッカーが好きな人たちの傍に居るなら、私に出来る限りの事はしたいな、って思ってさ」
どうせ家も近いし?
にかっと笑って茶化す楠木に見惚れたのは内緒だ。
早々に音を上げた彼女の同級生たちとは一線を画する、本当にサッカーが好きな人の笑顔だった。
あの日以来、俺は楠木が気になって仕方ない。
マネージャー本来の仕事以上に関わろうとするくらいサッカーが好きだって分かったから、自然と意気投合して、教室でも度々話すようになったし。
衛星放送でしか映らない海外の試合を録画して貸したり、毎週買うには懐事情が、ってサッカー雑誌を交代で買ったり。
サッカーを挟まない会話はほとんどなかったけど、申し分のあろうはずもない。
初めてかもしれない、ピッチの外、グラウンドの外での充実した時間を過ごしている。
「青春してるね」なんて世良にからかわれたけど、自覚は十分すぎるほどあった。
ただまぁ、一つだけ難を挙げるとするなら。
楠木は、浮いた噂ひとつないタイプだってことだ。
そこだけ取れば余計な虫の心配もしなくて済むし大変結構なんだけど――奈何せん、色恋沙汰に興味がない。
一応俺も教養の範囲で、中高生の女子がその手の話題が好きだということは知っている。
聞こうとせずとも教室内で過ごしていれば、いつも誰かが誰それを好きだの今度告るだのと云う話をしているのは分かる。
それが自分の懸想する人の話題となれば多少行儀は悪いが聞き耳も立つというもので。
楠木が話題の中心に祭り上げられている時にそれとなく聴いていたが、思わず机に突っ伏すような会話だった。
「あやのもいい加減彼氏作ればいいのにー」
「まだいいよ。今は彼氏に時間使うよりサッカーの方が良いの!」
「えー、でもマネージャーでしょ? 自分で女子サッカー部入って選手やってるならともかく」
「マネージャーだって楽しいよ? 将来のためにも、いい勉強になるし」
……楠木の将来の夢ってなんだ?
マネージャーの経験が役に立つような事って?
思わず訊きそうになったが、聞き耳を立てていることがバレるとマズいから我に返って雑誌読んでるフリを続行した。
「ふーん、あやのがそれで充実してるなら良いんだけどさー。彼氏作って高校生らしいお付き合いすんのは、今しか出来ないよ?」
「それ言うなら、インハイや選手権目指して頑張ってる先輩や同級生を、マネージャーとして支えるのも今しか出来ないよ。
そりゃどっちも取れたら二倍充実するんだろうけど、私は不器用だからね。
どっちかひとつ取るなら、サッカー選ぶわ」
いつの間にか横に居た世良が(ご愁傷さま)って俺だけ聞こえる程度に呟いて、肩を揺らしていた。
答える俺もごく低い声で返す。
(あんま笑うなよ。不審がられる)
(ごめんごめん。でも普通はさぁ、サッカー部員の彼氏を持つ女の子の心情だよね)
(……何が?)
(「自分を見てほしいけど、ピッチに居る時があの人は一番輝いてるから、何も言えない」「他の女の子は牽制できるけど、最大のライバルはサッカーかも」ってヤツ)
(あー……マジだ。ドンピシャでそれ)
楠木はピッチに立つわけではないけれど、サッカーに関わってる時が一番生き生きしてるのは事実だ。
そもそもそんな彼女に惹かれたのだから、恋よりサッカーを取ると言われても、正直何も言えない。
なおもからかってくる世良をうっさい、と肘で小突いて黙らせた。
でも空元気はそこまでで、さすがにべしゃっと机に伏してしまった。
このまま良い雰囲気を保ちつつ、距離が縮まったら告白……なんて考えていたのも数週間の夢だった。
よりによって告白する前にフラれた。
だけど、楠木は「まだいいよ」って言ってた。
それはつまり「いつかは彼氏を作っても良いかな」と思ってるワケだ。
だったらまだ、望みが完全に断たれたわけじゃない。
攻撃に出ないのは何よりマズいけど、ただやみくもに攻勢を掛ければ良いってもんじゃない。
息をつめて相手のラッシュを凌いだ後の空白の一瞬とか、完全に警戒から意識が逸れた瞬間とか。
駆け引きに出るにはタイミングが何より大事だから。
楠木がサッカーの話題抜きでも俺と話をしてくれるようになるまで、警戒してたことさえ意識から消えるその時まで、この恋は今のところ秘密なんだ。
Fin.
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サッカー>>>(越えられない壁)>>>祐介。
ぐらいに祐介には見えてるけど、実際のところ
サッカー≧祐介ぐらいじゃないかな…頑張って報われろ青少年(丸投げ)。
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