傘のジレンマ/織田
「あれ、織田。久しぶり」
「――?」
乗換駅で声を掛けたかつての同級生は、一瞬訝しげに視線が泳いで、それから「あぁ」と頷いた。
「楠木か、卒業以来だな」
「君が私の姿を見るのは、ね。私は結構君の姿見てるんだけどね」
「うん? すれ違ってたのに気付いてなかったか?」
だとしたら悪いことを、と焦る織田に空いた右手で否を示す。
「いいや、試合で観たんだよ。夏、二次予選でウチと当たったから」
「ということは湘南大付属か、葉蔭に通ってるのか」
「アタリ。葉蔭に行ってるんだ。頭良い方のクラスじゃないから、心行くまで部活やれてるわ」
理数科行っちゃうと部活どころじゃないからねえ。
あくまで私の頭では、だけど。飛鳥先輩みたいな人もいるから一概には言えない。
「そうか……元気そうで何よりだ」
「君こそ。完全に復活したみたいじゃん? おめでとう」
「あぁ。あの時は、お前にも世話になったな」
僅かに、膝に視線をやる織田。私も、ほぼ無意識だ。
リハビリをしていた織田を、隣で見ていた頃の記憶が蘇る。
今更あの頃のことをどう言おうと云うわけじゃないのは、何となく互いに分かっている気がした。
「良いってことよ。君の怪我のおかげで、進路が決まったからね私」
「卒業式の日にも言われた覚えがあるな――だが、当分は選手をやるんだろう?」
「まーね。高校でやれるトコまでやって、選手として花が咲かなかったら潔く進学する。その方が、リハビリ中の選手の気持ちも分かるからね」
私自身はまだ、選手生命に関わる怪我はしていない。
だけど織田が膝をやってから卒業で離れるまでの一年と少し、傍で見ていたから分かる。
あれがどういうコトなのか。それから、織田がポジションを変えた理由も。
色々な事を思い出して、ほんの少し、奇妙な沈黙が落ちる。
私が左手に持っていた傘を右へ持ち替えたタイミングで、織田が言いにくそうに視線を戻した。
「その、楠木、今更訊くのも妙な話だが」
「ん?」
「あの時、云ってたこと。俺はまだ本気にしてるんだが――お前は、」
まだ覚えてるか? とか。
慰めのつもりで言っただけか? とか。
織田が何を言おうとしてるのか、何となく感じる。
多少ネガティブな発言になりかけたから言葉を止めたんだろう。
考え方が現実的に過ぎて少し悪い方への想像をする癖は、昔と変わらないらしい。
「今でも本気だよ。君がプロになって、私がメディカルの資格を取れたら、私が織田の専属のスタッフになってやる。
君が選手を続ける限り、メンテナンスを任される役割は私が担いたい」
「そう、か」
まぁそれだと私はプロになれなかった、ってことなんだけど。
ついでに言えば私は確実に大学を出てからなんだから、織田が高校を出てすぐプロになったら、そもそも四年間の空白は出来るけど。
「……責任重大だな、お前を個人的に雇えるだけ稼がないといけないわけだ」
ふ、と崩した表情に、今度は私が訝る番だった。
ちっとも変わって無いかと思ったけど、なんだ、随分変わったんだな。
こんな風に笑う織田は初めて見た。
良い出会いが、あったんだろうか。あったんだろうな。
「ははっ、そーだよー? 期待してるからね」
「さしあたり、次はお前の所にも負けられない。勝ち上がればほぼ確実に戦う相手だ、いつまでも胸を借りるつもりでは居られないからな」
「言ってくれるじゃん? ウチの新兵器見て驚くなよ?」
織田のとこのスーパールーキーにも負けない、一年でウチのレギュラー勝ち取った子が居るんだから!
ともあれ江ノ高が本当に勝ち上がってくれば、織田の云う通りどこかで当たるだろう。
当然私は葉蔭を応援するけど、ただひたすら織田が怪我をしませんようにと祈ってる自分は容易に想像がつく。夏もそうだったし。
ホームに電車が近付く警告が響く。
時計を見る。つい話したさに、乗るはずだったのを既に二本見送っている。
さすがにそろそろ行かないと拙い。
「それじゃ、私三番ホームのだから、もう行くね」
「あぁ、気を付けてな。楠木さえ良ければ、また会おう」
「ん! 織田も、気を付けて! またねー!」
傘が壁へぶつからないように、また左手に持ち替えて。
降りて行く階段の中で、そういえば織田はここが最寄りだったと思い出した。
江ノ高の部活が終わるのは何時だろう。
どんなに変わっても、織田が制服で寄り道する姿は想像できない。
ホームで待つ時間を入れて、さて、何時にここに来れば織田とすれ違えるだろう?
(多分何度会っても、あの頃みたいにあやのと呼んでくれる事はないけど、それでも心は弾むんだ。)
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二人の関係は具体的には一切書いてません。
お好きなように、読み取って頂けたら良いなと思います。
12.05.18 加築せらの 拝
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