本当にもう、誰か俺を救ってくれないかなぁ。だって欲望だの憎しみだのが絡み付いて、一人では浮上することも出来なくなってしまったのだ。海底から見上げる光は綺麗だけれど、だからこそ手を伸ばす気力さえ奪っていく。
本当にもう、誰かここまで助けに来てくれないだろうか。どうせ水の底以外では生きていけないと誰よりも自分が一番よく知っているくせに、藻掻く努力さえ放棄して俺はただ助けを待っていた。
人魚姫じゃあるまいし、誰が助けてくれるわけも無いのに。

唐突に鮮烈に、海面を豪快に割って登場したピンクの稲妻は、派手な光を撒き散らしながら俺の手を力任せに引っ張り上げた。

「…なんだ、混沌か」

キラキラなんてもんじゃない。ギラギラと生命力に溢れたその人は、こちらを見る事も無く俺の体を浅瀬まで引きずり、そうして俺が自分の仲間でないと分かるや否や投げ捨てるように俺の腕を放し、さっさと背中を向けてしまう。
ザバリと水を大股で掻き分ける音に我に返った俺は、未だ水の中にへたりこんだままだった腰を大慌てで上げ、濡れそぼつその人のマントの端を何とか掴んだ。薔薇のような深紅をしているマントは、その人にこれ以上なく似合っている。

「ちょ、まっ、待って!」
「…なんだ」

眉間にシワを寄せて振り返った顔の、なんと恐ろしいことか。とても秩序の女神に仕えているとは思えない。だが、勇気を振り絞った俺は恐る恐る、だがしっかりと、マントを掴んだ手に力を込めた。

「名、前を…教えてください」
「は?」

何も、そんな顔をしなくてもいいじゃないか。俺の震える手を見て何を思ったのか、その人は更に眉間のシワを深め、俺に向き直った。その目は冷たく俺を睨み据え、持ち上げられた両腕がまるで俺とその人を分かつ鉄壁のように、胸のやや下で組まれる。
決して友好的ではないその態度だが、マントを掴んだ手を放す気にはなれなかった。

「まず自分から名乗るのが礼儀だろう」
「ティーダ!」
「ライトニングだ」

ライトニング。馴染ませるように、心の中で何度も反芻する。俺を引っ張りあげたのはピンクの稲妻は、本当に稲妻だった。

「それで、いつまで掴んでいるつもりだ」
「あっ…、いや、でも」
「なんだ」

離したら、確実にライトニングは俺を二度と振り返ること無く去って行ってしまうだろう。俺は俺を引っ張りあげた稲妻を、どうしても手放したくなかった。しかし、引き留める言葉が思い付かない。
考えあぐね、あーうーと無意味な言葉を発する俺をじろりと睨み、ついにライトニングはさっさと歩き出してしまった。その拍子に俺の手から、大事に握っていたはずのライトニングのマントがするりと抜け出す。一瞬の後に頭が真っ白になるほど慌てた俺は、気付けば必死にライトニングの後を追い、何とか再びそのマントの端を握ることに成功した。大股で淀みなく歩くライトニングは、そんな俺を一瞥したものの、無理に払うことも剣を構えることもない。これは、許されたと思っていいのだろうか。

「ついて来るな」
「で、もぉ…」
「なんだ」

なんだ、と問われても、明確な答えなど返せるはずもない。答えない俺にどう思ったのか、ライトニングもそれ以上言葉を発することなく歩き続けた。

「あの、さ。どこ行くッスか?」

質問には答えられなかったが、かといって無言で歩くのにも耐え切れず、俺は全く関係の無い質問をライトニングにした。しかし気になっていたのも事実だ。ライトニングは迷わず歩いているが、このまま行っても崖しかない。

「どこでもいいだろう」
「でも、この先崖ッスよ」

ピタリ、と突然歩みを止めたライトニングの動きについていけず、思わずつんのめる。危うく転びそうになった俺を助けたのは、力強く腕を掴んだ何かだった。見なくても分かる、ライトニングだ。

「…なぜ早く言わない!」
「えぇっ」

だが、見上げたライトニングの顔は、最早般若と呼ぶのが相応しい。理不尽な気がしなくもないが、俺にはしどろもどろに謝るほか選択肢など無かった。

「ご、ごめん、でもさぁ…」
「でもなんだ!」
「ごめん!」

盛大に舌打ちをして腕を組んだライトニングは、本当に本当に秩序の戦士には見えない。だがその秩序の戦士らしからぬ様子に、俺は心底安心していた。知ったかぶって優しくされるよりは、ずっとマシだ。
そこで俺は、ライトニングがあんな辺境とも呼べる水辺にいた理由、そして今真っ直ぐに崖へと向かった理由にはたと気が付いた。

「もしかしてライトニング、迷ったんスか?」
「………」
「ひっ」

イライラと組んだ腕を叩く指と、眼光鋭く俺を睨んだ目を見れば、もう答えは貰ったも同然だった。どうやらライトニングは、間違いを指摘されるとキレるタイプの人間らしい。
だがしかし迷ったというのなら、俺はこれ以上なくライトニングの助けになれるだろう。

「俺、道分かるッスよ」
「………」
「ほんとだって!」
「…ふん」
「あの、秩序の聖域まで送ろうか?」

正確には、秩序の聖域が見える所まで、だ。あまり近付きたい場所では無いし、それに聖域には遠くからでも非常に分かりやすいシンボルがあるからある程度近付けば迷うことは無いだろう。
ライトニングと出来るだけ長く一緒にいたかったが、それよりも俺はライトニングの信頼や信用が欲しかった。でも少しくらいなら分からないように遠回りしても、許されるだろうか。

「お前は混沌だろう」
「そうだけど、俺、ライトニングの役に立てるッスよ」
「………」

顎に手を当てて、ライトニングは俺を上から下までじっくりと眺め回す。まるで判決を待つ罪人のような気持ちで、俺はライトニングの鋼のような美貌をちらりと見た。
何というか、騎士という言葉がとても似合う顔だ。大きな両手剣を構えて、主君と王国のために強大な敵に立ち向かうような。
いや、何か違うな。ライトニングはきっと誰にも仕えたりなんかしない。もっと気高くて高貴だ。例えば、白馬に乗って強い意思と巧みな剣技を武器に、魔王に攫われたお姫様を助けに行く王子様みたいな。

「仕方ないな」
「えっ」

完璧に自分の思考に没頭していた俺は、ライトニングの言葉に我に返ると、一瞬ライトニングの言葉の意味を考えた。そうしてたどり着いた答えに、俺は一気に有頂天になる。脳内があっという間に光り輝いて、この興廃した世界さえ美しく見えてしまう。

「此処からだと、聖域までどれくらいかかる?」
「あっ、えっと、ここは南東の端だから、えっと、歩けば多分三日くらいッスよ!」
「三日だと!?」
「うん!」

三日もだ。三日もライトニングといられる。俺は握ったままだったマントの端を持つ手にもう一度力を入れ直し、嬉しさに緩む頬を隠しもせずライトニングに少し近付いた。ライトニングは三日もかかることに納得がいかなさそうだが、此処から真っ直ぐに聖域に向かうと混沌の領域の端を通ることになる。多少時間が掛かっても回り道をした方が安全だろう。
ライトニングは大きな溜め息をついて、仕方ない、とさっきと同じ台詞を呟いた。ふと、ライトニングの目がマントを握る俺の手を捉え、冷たい色を帯びる。

「おい」
「なっなに!」
「シワになるだろう。それに、歩きにくい」
「ごめっ、でも、俺」

ライトニングが舌打ちをする。嫌われてしまったのだろうか。俺の意思に反して、ライトニングの挙動ごとに肩がビクリビクリと跳ねる。目に涙まで溜まった俺に、ライトニングは心底呆れた顔をした。

「まったく…」
「あっ」

俺の手から、マントがスルリと抜かれる。追い縋ろうとした手を、暖かくて滑らかななにかが捉えた。

「ほら、逸れたくないならちゃんと掴んでいろ」

もう、俺は死んじゃうんじゃないだろうか。今すぐにでも消滅してしまいそうなほど、顔が赤くなっているのが分かる。何だか視界まで歪んできている気もする。
ライトニングの剣ダコの出来た手は、俺の人より少し水掻きの大きい手をしっかりと握っている。恐る恐る握り返して見上げた顔は、やはり眉間にシワが寄っていた。

「よし」
「うん」

ここまできて漸く、俺はライトニングにとって眉間にシワを寄せた状態こそが通常なのであって、決して不機嫌なのではないと理解した。俺を嫌っているわけでも怒っているわけでもないのだと分かれば、もう怖いものなど無い。緩む頬を戻す努力などさっさと放棄して、俺はライトニングとの距離を詰める。触れ合った肩と近付いた瞳に、余り身長の変わらないことを感謝する。
す、と優雅に、ライトニングが手を空に向けた。その手から放たれた赤い結晶を、空に向けた手にいつの間にか構えていた銃で撃ち抜く。全て片手でやってのけられた動作に俺が感嘆の溜め息を漏らした時、それは何処からともなくやってきた。
馬だ。真っ白くて大きな機械の馬が、天から駆け降りてきてライトニングの前に止まる。思わずライトニングの背中に半歩隠れた俺を、ライトニングは小さく笑ったようだった。
あっ、と思った時には繋いだ手は離され、ヒラリと身を翻したライトニングは既に馬上の人になっている。その似つかわしくない剣ダコに彩られた真っ白な手が、もう一度俺に伸ばされる。

「行くぞ」

言葉なんて、出なかった。ライトニングの余りの格好良さに。まるでさっきの空想から抜け出てきたようだ。
差し出された手をしっかりと握れば、力強く馬上に引っ張り上げられる。最初に戻ったみたいだが、俺はもう稲妻の正体を知っている。

「ライトニングって、王子様?」
「何を言ってるんだ。徒歩よりは早くつけるだろう」

腰に腕を回しても、ライトニングに拒否されることは無かった。細い肩に後ろから頬を擦り寄せると、自然に笑いが込み上げて止まらなくなる。

「ライトニングは、王子様だ」
「言ってろ」

それで俺が、お姫様。似合わないな。
空の王子様が海のお姫様を助けにくるなんて、まるでお伽話だけど、そもそもここはお伽話のような世界だ。そんな奇跡が起こることもあるのだろう。

「ほら、早く方角を教えろ」
「あっち」
「よし」

唐突に鮮烈に海面を割って現れた稲妻の王子様は、お姫様が見惚れるほど華麗に白馬の手綱を引くと、秩序の城に向けて走り出した。

水底より数倍は濃い酸素に喉が焼ける心配よりも、俺はただライトニングがこの手の届く所にいる幸せを噛み締めた。
なるほど、王子様のために人魚姫が尾鰭を捨てたのは、こんな気持ちだったのか。





2011/10/24 19:11
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