※ルールーが混沌にいます。



「逝くのか」

隣で倒れ伏す女に、一瞬目だけを向ける。

「いいのか」

女は少し、笑ったようだった。腹の傷は随分深い。もう助からないだろう。次の戦いを見ることなく、この戦いで消滅するのは確実だった。

「…あの子を傷付けるくらいなら、消滅する方がマシよ」

妙な女だった。
黒い服に、派手な化粧。混沌にいる女達と変わらぬ服装をしているのに、その目にはまるで秩序の戦士のような理性が宿っていた。
女は何故か、俺を構った。何くれとなく気にかけ世話を焼く女の事を俺は知らなかったが、女が言うには俺と女は同じ世界の出身で、さらにはよく知った仲であったらしい。
だが女には、俺以上に気にかける存在が、秩序にいた。随分ひ弱そうな娘だ。そう言った俺に、女は少し怒ってみせた。女にとっては命よりも、それこそ自らの世界よりも大切な存在なのだと言う。
そして今、女はその娘の為に、命の灯を散らそうとしていた。

「アンタを一人、残して、行くのは心配だけど」
「心配されることなんか何もない」
「そうね、ふふ」

ゴホゴホと女が咳込む。それをまた横目で見て、俺は女の頬でも撫でてやるべきかを考えた。世話になった自覚はある。それくらいの事はしてやるべきかと思えたが、やはりやめることにした。女は自分の世界で仲間だった子供の世話を焼いただけであって、過去を何一つ持たない、混沌の駒である俺の世話を焼いたわけではない。

「ああ、じゃあ、またね」
「ああ」
「泣かないでね、あの子を…」

その続きは、分からない。不意に途切れた声に思わず振り返った先には、もう誰もいなかった。中途半端に言葉を残して、女は既にこの戦場から永久に消え去ってしまったのだと理解したのは、五秒ほど後の事だ。
結局最後まで、女は俺の名前を呼ばなかった。

女は、名前をルールーと言う。
初めて会った時、ルールーは俺を見て大粒の涙を零した。



*****



その娘は、凡庸な顔形をしていた。これといって特徴が無い。強いて言うならば服装が奇抜であることくらいだが、それとてここでは良くあることだし、そもそも俺には「普通の格好」というものの記憶が無かった。ルールーの方が大分と美人で迫力があったし、大体この娘はルールーとは違って弱そうだ。何故ルールーがあんなにもこの娘を溺愛していたのか、全く分からない。
岩の上から飛び降りて目の前に立ったきり、何も言わない俺に、娘は杖を構えてこちらの動向を伺っている。隣に立つ、娘とは親子ほども歳の離れた、これまた大剣を構えた男がガリガリと頭を掻いた。

「おいおい兄ちゃんよう、さっきからだんまりってなぁどういう事だ?」
「あの、私達に何か用ですか?」

気の弱そうな娘だな、と声を聞いて思った。そして、気に食わない娘だ。
手に持ったものを、娘に向かって投げる。娘が手を伸ばすより早く、隣の男がそれを掴んだ。

「あん?何だいきなり」
「お前、ユウナだろう」
「え、は、はい!」
「それ、やる」

別に、どちらが受け取ろうと秩序の者の手に渡るならば、それでよかった。だから男の言葉を無視し、ルールーが可愛がった娘に声をかけた。娘は戸惑い、男と俺の顔を交互に見る。
目的を果たした以上、ここに留まる理由は無い。幸いな事にこの二人は戦闘意欲が低いようだが、他の秩序の兵に見付かればこうはいかない。さっさと戻ろうと踵を返した俺を、娘が慌てて引き止めた。

「あ、あのっ、待ってください!」

はきはき大きな声で喋りなさい、真っ直ぐ前を向きなさい、背筋を伸ばしなさい、自分に自信を持ちなさい。唐突に頭を過ぎったルールーの声に、一瞬足元がグラリと揺れた。地面に吸い込まれるような錯覚に慌てて頭を振った俺を、娘と男は不思議そうな顔で見た。
娘が妙におどおどと喋るものだから、ルールーの言葉などを思い出したりしてしまったのだ。責任転嫁に娘を睨み付けると、気弱そうな娘はどうしていいか分からない、といった風にチラチラと男に視線を向けた。
一人で立つことも出来ない、か弱い存在だ。ルールーが気にかけるような大層なものには、やはりとても見えなかった。

「なんだ」
「これ、ルールーの…ですよね?何であなたが持ってるんですか?あの、ルールーは?」
「ユウナちゃん、ルールーってのは誰だ?」
「幼なじみなんです。私のお姉さんみたいだった人で…。ルールーがここにいるんですか?いったいどこに…」

縋るように俺を見る娘の肩に、男の手が掛かる。俺は目の前に立つ、一見不釣り合いな二人組の関係性を、ようやく理解した。つまり、守る者と守られる者なのだ、この二人は、ルールーとこの娘がそうであったように。どこにいても守られる存在、それがこの娘のか弱い雰囲気の正体なのだろう。

「お願いします、教えてください!」
「おい兄ちゃん、なんか言えよ」
「消えた」

言うべきではなかったかもしれない、と、一瞬にして舞い降りた沈黙に、思った。戦力の減少を敵に知られるのは得策では無いし、何より、いかにもショックだという顔をして固まる娘が気に障った。
今の今までルールーの存在も、ましてやルールーに守られていたという事実さえ知らなかった癖に、娘がまるでルールーの消滅に最も傷付いているのは自分だという顔をしているのに、無性に腹が立つ。

「なんで…」
「おい、何があったんだ?最近混沌の奴らと誰か戦ったなんて聞いてねぇぞ」
「別に、なにも」
「何もってこたぁねぇだろう!」

そこで顔を手で覆い肩を震わせる娘に差し向けられた軍勢と、たった一人で戦ったのだ。
いっそのこと、話してしまおうかと思った。俺が向かった時には既に、無限に広がるイミテーションの残骸の中、ルールーはその身を霞に変えゆく最中であったのだと。
だが、無性に腹が立った。それを聞いて、娘が哀れな悲鳴を上げて泣き崩れるのかと思うと。
だから、そのまま立ち去ろうともう一度背後を向く。一歩踏み出した所で俺を制止したのは、やはり娘の声だった。

「ま、待ってください…!」
「………」
「何で、私にこれを?」

娘の声に思わず従ってしまうのは、ルールーが何度も何度も俺にこの娘が如何に大事な存在かを説いたせいだ。この娘の言うことには従わねばならぬと、記憶の中でルールーが言うからだ。決して、俺の意思では無い。
これ、というのは、先ほど投げて渡したものだろう。
ルールーの消えた跡に転がっていたのは、ルールーがいつもしていた髪飾りの一つだった。何も残さず消えるはずの俺達だが何故か残ったそれを見て、きっと俺が持っているよりも、娘に渡ることをルールーは望むだろうと思った。

「お前のことを、よく話していた」
「そう、ですか…」
「ユウナちゃん…」

心行くまで泣けばいいと思った。そして、隣の護衛に優しく慰められればいい。どうせこの戦いが終わったら忘れてしまうのだ、俺と違って。妙に、感傷的な気分だった。

「ありがとうございます、届けてくれて」
「………」
「あの…」
「まだ何かあるのか」
「どこかで会ったこと…ありましたっけ?」
「あー、俺も思ってたんだよ。兄ちゃんどっかで見覚えあるんだよなぁ」
「俺は無い。用事は済んだ」

もう、どんな風に声を掛けられたとしても、立ち止まる気は無かった。案の定後ろからは俺を呼んでいるだろう声がするが、そのまま足早にその場を離れる。5分も歩けば声は聞こえなくなったが、その頃には俺の足は歩くというよりかは走るに近い速度で動いていた。
若干乱れた呼吸を整えるため、足を意識してゆっくりと動かす。しばらくそうしていれば、自然と呼吸も元に戻った。
俺は、気付いてしまっていた。親しそうなあの二人は、きっと元の世界でも仲間同士だったのだろう。ルールーの仲間の娘、その娘を守る仲間の男、そしてルールーと親しかったという俺。それならば俺もあの二人の仲間であるのは、当然のことだった。
ルールーは最後の一息で、それを言おうとしていたのだ。「あの子を」に続くのは、「守って」だったのだ。思えば当然のことを、何故俺は今まで思い付きもしなかったのだろう。

「いやだ…」

自分の爪先だけを見つめ呆然と呟いた声は、誰もいない荒野の闇に吸い込まれて消えてしまった。俺の声を隣で拾い、「なにが?」と聞いてくれる黒衣の魔女は、もういない。
ルールーは俺に、ルールーと同じ存在になれと言う。召喚士を守る、ルールーやあの男と同じ存在になり、命を賭して戦えと言うのだ。

「いやだ!」

声の限りに叫んでみても、反響した声に返ってくるのは静寂ばかりだった。
俺を無闇に構うくせに、名前の一つも呼ばないで、守られるだけの敵の小娘ばかりを愛しいと言う。挙げ句、欠片も記憶に無いというのに、仲間だったのだから守れと言う。
余りに残酷すぎるのではないだろうか、自分は俺に黙って死地へ行ってしまったというのに。
再び、地面がぐにゃりと歪む。足元に空いた真っ暗な穴に、いっそ落ちてしまえたなら良いのに。進むことも戻ることも出来ずに、俺はただ只管その場に立ち尽くした。





2011/10/17 03:31
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