※蒼紅主従の幼少期捏造



ずっとずっと昔の話だ。
甲斐から客が来ているからと、父に座敷に呼ばれた。渋々向かった座敷には、甲斐の武田に仕えているという男と、俺より少しばかり年下だろうその息子。そして、何故か忍がいた。小十郎よりいくらか若い。
忍はその辺の石でも見るような無関心さで、人間じゃねぇとでも言いたげに俺をチラリと見る。人間じゃねぇのはてめぇだろうに。忍のくせして主の真後ろに控えて、害意の一欠けらも見逃さねぇと周囲を睨み付けている。そこまでは別に良かった。忍ってのはそういう生き物だ。しかしその忍、底冷えのするような目で俺を眺めておいたくせをして、幼い主を向いた瞬間爺さんが孫を見るようにデロデロと目を緩ませる。
少し、興味を引かれた。好意的なものでは無く、怖いもの見たさのような興味を。今から思えば、道具だと教えられていた忍が人のように動き感情を表に出す様に、薄気味悪さのようなものを感じていたのだろう。

「忍、お前名はあるのか」

問い掛けた俺を、忍は見もしなかった。ここまであからさまに忍に蔑ろにされる謂われは無い。ふざけんな、俺は奥州筆頭になる男、伊達家の嫡子梵天丸様だぞ。何とかその言葉を飲み込む。これではいかにも子供っぽすぎる。俺のそんな様子にも、忍は一切興味を示さない。気に入らない忍だ、と思った。

顔見せの後は大人の話があるからと、弁丸と二人裏庭へと追いやられた。弁丸はあの忍の主とは思えない程良い奴だった。俺にとっての初めての友達を、俺はとても気に入った。

「なぁ、あいつ、あの忍」
「佐助のことでござるか?」
「名前なんかどうでもいい、あいつ、信用してるのか?」
「ああ、佐助はそれがしの一番の友だ!」

だから稽古の途中、鍛練とも呼べない程に拙い児戯の合間に聞いてみたのだ。あの忍をどう思うのかと。その問いに、弁丸は心底嬉しくて仕方が無いと言うように答えた。それ所か、いかに自分が忍を好いているか、いかに忍が優れているか、自分の忍程素晴らしい者はこの世にない、と聞いてもいない事を捲し立てる。
気に入らない。とにかく気に入らない。この瞬間、薄気味悪い甲斐の忍はこの世で最も気に入らない奴だと俺の脳裏に刻まれた。そう、俺は俺の友が目を輝かせて語る忍のことが、心底気に入らなかったのだ。

「あんな奴、所詮忍だろう」

忍は信用ならない。忍は裏切る。忍はいつかお前を泣かせる。何より忍は人では無い。友になどなれる訳が無い。弁丸の一番側にいて、弁丸に一番信頼されているのが忍だという事実がとにかく俺を苛つかせて、つい口から出た。途端に激昂した弁丸が言い返してくる。その後はまぁ想像通り、殴る蹴るの大喧嘩になった。
今でこそrivalだdestinyだとやりあっているが、まだ十にも満たない子供の二歳差ってのはでかいものだ。決着はすぐについた。勿論俺の勝ち。
大声を上げて泣く弁丸の側に、忍は瞬きの間にやってきた。そのまま弁丸を抱き上げる。忍に有るまじき行為だ。だが、直ぐさま忍の首に齧り付いて頬を押し付ける弁丸の様子から、それが日常なのだと知った。
忍は俺を見ない。怒るでも無い、睨むでも無い、ましてや叱るなど論外だ。ただ、俺を見ない。幼い主をその腕に抱えて、あやし続けている。細いが力強い腕の中、ぐすぐすと忍の名前を呼び、弁丸は泣く。
忍の名前以外何も知らぬとでも言うようにしゃくり上げる弁丸が妙にカンに障って、俺は口汚い罵り言葉と共にその場から逃げ出したのだった。当然、忍は俺を引き止めなかった。

みっともなく泣きながら、俺は廊下を渡る。泣きながら行く所など一つしかない。小十郎に慰めて貰おうと思ったのだ。あの忍が弁丸にしたように、抱き上げて大丈夫大丈夫とあやして欲しかった。大きくて武骨な手が背中を擦ることを期待して、小十郎を探して歩く。
果たして小十郎はすぐに見つかった。当然だ。幼い主君だけを残して守り役が遠くに行くはずが無い。恐らく、ほんの少し席を外した合間の出来事だったのだろう。泣く俺を見た小十郎は慌てふためいて俺の前に膝を着き、目線の高さを合わせて問い掛けた。

「如何なされたのですか、梵天丸様。弁丸様と喧嘩をなされたのですか」

大きな両手は俺の肩に乗るけれど、俺を抱いてはくれない。膝を折って目線の高さを揃えてはくれるけれど、引っ張り上げてはくれない。その事が悔しくて悔しくて、益々俺は涙を零した。

「梵天丸様、梵天丸様、泣くばかりでは小十郎には分かりません」

困り果てたように眉を下げる守り役に、不満ばかりが募る。何故分かってくれないのだ、ただ俺は、そう俺は。

「し、しのびっ、忍なんかより、こじゅうろうの方が、こじゅ、小十郎の方がすごいんだ!」
「は…梵天丸様?」
「あんな奴より、俺の方がずっとっ、ずっと、ともだ、ちだし、あいつなんか忍のくせして、」

悔しかったのだ。小十郎が忍のように俺を甘やかさぬことも、俺の小十郎より素晴らしい臣下などいないのに俺の唯一の友がそれを否定することも。そして何より、俺の一番の友が俺以外を一番と呼ぶことが。つまりは幼いやきもちだったわけだ。
だって小十郎は臣下だから、友にはなってはくれないのに。だから俺の一番の友は弁丸なのに、なのになんで忍が一番なんだ。確かそう泣き喚いた。正直記憶から抹消したい。

散々泣いて、眼帯に隠されていない目をごしごしと擦り顔を上げた俺が見たのは、あの忍に負けず劣らずデロデロと蕩けた笑顔で俺を見る小十郎の顔だった。

「なに、笑ってる…」
「いやいやそうですか、そうですな」

意味の分からない同意と共にうんうんと頷いた後、緩みきった顔を嘘のようにキリリと引き締めた小十郎は俺に向き直る。それに釣られるように、俺も姿勢を正した。

「梵天丸様、何事も口で言わねば伝わらぬのです」
「でも」
「梵天丸様は弁丸様と仲良くしたいのでしょう?ならば尚更、気持ちは口に出しなさい」
「どうやって」
「仲良くしたいと、言うだけでよろしいのです」
「…でも、もう嫌われた」
「何故ですか?」

また、視界がじわじわと濡れ始める。噛み締めた歯の隙間から何とか言葉を紡ぐ。

「泣かせた、し、いっぱい殴った」
「どちらもお互い様でしょう」

引き締めた顔を僅かに緩め、小十郎が言う。

「ほら、謝っておいでなさい。きっと許してくれますよ」

その言葉に背を押され、俺は踵を返した。恐らくはまだ弁丸とその忍がいるだろう裏庭に向かって。

精一杯に気配を殺して辿り着いた裏庭に、やはり弁丸と忍はいた。廊下の角に身を隠し、様子を伺う。
縁側に腰を下ろした忍の膝に向かい合わせに乗った弁丸が、忍の胸に顔を埋めて泣いている。静かに話す忍の声が、俺のいる場所まで聞こえてきた。

「ほーら弁丸様、もう泣き止んでくださいな。そんなに泣いたら目が溶けちまう」
「う、ぐすっ…」
「男の子でしょ、喧嘩に負けたくらいで泣かないの」
「しかし、しかし、梵天丸殿は佐助をばかにしたのだ、おれの佐助を」

涙混じりに話す弁丸の声に、胸が痛む。出ていく勇気を削がれ、俺はその場に佇んだ。

「俺様は忍だもの、いいんですよ」
「なぜ佐助までそんなことを言う。佐助は、佐助だ。おれの佐助だ」
「可愛いこと言ってくれんじゃないの」

砂糖菓子を塗したような声で言った忍が、弁丸の頭を撫でる。益々出ていけない。

「佐助をばかにする梵天丸殿など、きらいだ」
「でも弁丸様、折角友達が出来たのにいいの?あんなに喜んでたじゃないですか」

忍は俺が角から見ていることなど、とうに気付いていたのだろう。知ったのは随分後になってだが、その名を日ノ本中に轟かせる程の忍なのだ、子供の忍び足に気付けぬはずはない。
膝に乗った子供一人に聞かせるには少々大きい声で、忍は言葉を続けた。

「ほぉら、仲直りしていらっしゃい。きっと梵天丸様も仲直りしたがってますよ」
「そう、だろうか…」
「ええ、弁丸様の佐助が言うんだから間違いなく。梵天丸様は弁丸様の一番のお友達でしょ?」
「一番は佐助だ!」

朗らかな笑い声が裏庭に響く。忍は弁丸を一度ぎゅう、と抱きしめると、その体を持ち上げ廊下に立たせた。

「俺様はお友達よりも、弁丸様の一番の忍になりたいなぁ」
「な、ならば佐助はおれの一番の忍だ!」
「はい、ありがとうございます。さ、いってらっしゃい」

トンと軽く背中を押された弁丸は、忍を振り返る事無くこちらへ歩いてくる。
慌てて俺は、今廊下の向こうから歩いてきたばかりですよという風を取り繕い、隠れていた角から出た。正面には弁丸。

「梵天丸殿!」
「おい弁丸、さっきは、…悪かったな」
「それがしこそ申し訳なかった」

謝るのは意外と簡単な事なのだと、この時知った。そして許される事がこの上なく幸せな事なのだとも。
しかしその先が続かない。気まずい時が流れる。謝ったぞ、小十郎、このあとはどうするんだ。残念な事に友達の一人もいなかった俺は、仲直りというものを知らなかったのだ。ちらりちらりと弁丸の出方を伺う。仲良くしたい。だがそれを素直に口に出すのは、まだ生来の天の邪鬼が邪魔をした。

「ではまた共に遊びましょうぞ!」

俺の葛藤やら困惑やらなど一切知らんと言わんばかりに、にこにこと笑う弁丸が俺の手を引く。小さな俺の手よりもまだ小さい。

「お、おう!」

そのまま駆け出して、忍のいる方へ。
縁側に座ったままの忍は、先程の小十郎とよく似たデロデロに溶けきった笑顔で手を繋ぐ俺と弁丸を眺めていた。握った手に力を込めて、ぐっと忍を睨みつける。弁丸は俺の友なのだという威嚇を込めて。力の入った俺の手を、同じように弁丸も力強く握り返す。それにどうしようも無く嬉しくなる。
俺達を眺める忍の、益々細められた目はまるで、自分で歩くこともままならないような小さな子供を見ているようだ。その目を見て再確認した。やっぱりこいつは気に入らない。

その評価は結局、あれから十年近くも経った今になっても変わらないままだ。
ずっとずっと昔、俺が生涯のfriendでrivalでdestinyと出会った日。同時に心底気に入らない忍とも出会った日の話。





2011/07/04 19:30
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