今になって思う。
ザナルカンドは、あの夢の故郷は、まるで羊水の中のような場所だった。全てから完璧に護られた、狭くて温かい場所。それだけで完結した世界。怖いものなど何一つ無い母親の胎内で夢を見ていた俺は、17の歳に追い出されるようにして現実世界へ生み落とされたのだ。
ザナルカンドを孕んだ母親とは一体誰だったのだろう。ザナルカンドの為に祈り続ける召喚士エボンか。それを護るシンか。
いや、違うな。エボンは父だ。あの小さな世界を護り、慈しみ、そして何よりザナルカンドを作り出した大いなる父。夢のザナルカンドにとって神にも近い存在、それがエボンだ。
それよりも、死の螺旋を描く世界の為に死に、それでも尚スピラの為だけに存在し続けたあの女、ユウナレスカ。ただスピラの安寧を願ったあの女は、スピラの庇護者であると同時にきっとザナルカンドの母でもあった。あの女が究極召喚を授けるという事は新たなシンを誕生させるという事であり、シンが存在するからザナルカンドを召喚するエボン=ジュが護られる。そしてザナルカンドは理想郷に相応しく今日も栄華を極めるのだから。
ユウナレスカをこの手で葬った日。世界から究極召喚が永遠に失われた日、俺の故郷は飛沫と消える未来を辿る事が決定した。

ユウナレスカ、あの女が俺の、俺達全ての母親か。あの平和で優しい世界の何もかもが、あの女の子供であり、エボンの子供か。ならば成る程。いつか誰かが言った通り、確かに俺は業の深い罪を背負っている。親殺しとは、俺も中々の人で無しぶりじゃあないか。
ああそうだ、そもそも人では無かった。

何であろうと、二度と母の胎内に還れぬ事に変わりは無い。



*****



ティーダの身の内には憎しみだけが宿っていた。その他の感情はほぼ無いと言っても良い程に、憎しみが渦巻く。それは実の父親に向けたもので、覚えている限りの遥か昔から腹の中に飼ってきたものでもある。
一人きりで部屋で過ごす時も、善人とは言い難い仲間達と笑い合う時も、敵軍に所属する者と向き合う時でさえ心の中では延々父親への呪詛を吐き続けているのを、誰かに悟られた事は無い。表情を取り繕う事は得意だった。自我が芽生えた瞬間にはもうそうして生きていた。

父親を憎む明確なきっかけは覚えていない。物心がついた時には既に憎んでいた。だが、憎む理由ははっきりしている。あの男のせいで優しく暖かい胎内から蹴り出されねばならなくなったからだ。
幼い頃の記憶もこの荒廃した世界に来るまでの記憶も酷く曖昧だが、それだけははっきり覚えている。あの男さえ罪の象徴に触れたりしなければ、自分は今頃微睡みのような世界で優しい夢に浸かっていられたはずだったのに。勝手に消えて勝手に後始末を押し付けた父親が、ティーダは憎くてしょうが無かった。
この闘争にしてもそうだ。幻光虫となった俺を復活させてまで何故ここに召喚したのだと聞いたら、石の玉座に座る主君は一言「ジェクトがいるからだ」と答えた。何を考える事も感じる事も無く、ただそこに在るだけの虫にようやくなれたというのに。またしてもお前のせいで、と、ティーダは更に父親への憎悪を深めた。
ティーダの望みはただ一つ、何にも傷付けられぬ場所へ。それだけだった。

「おかしいと思った事ないか?17の息子を持つ身にしては、アイツは若すぎる」

次元城の麗らかさとは裏腹に、そこに立つ二人は酷く暗い顔をしていた。見下ろす遥か下に、コスモス軍の者が数名。楽しげに騒ぐ彼らを何の感情も篭らない目で眺め、ティーダは隣に立つティナに話し掛けた。
ティナは答えないが、ティーダは気にしない。そもそも、ティナが喋るとは思っていない。

「本当なら、あと十は歳食ってんだ。でもアイツがアレ以上歳取る事は無いんスよ。そもそも存在して無いから」
「………。」
「俺も似たようなもんだけど」
「………。」
「俺もさ、どんなに世界移ったって、これ以上歳取らないんだよ。生きてないから」

ティナは黙ったまま、微動だにしたない。
この人形のような少女が道化の傍を離れるのは、本当に稀有なことだった。何をしたのかは知らないが、道化の機嫌を損ねたらしくパンデモニウムにがらくたの様に打ち捨てられた少女を見つけたのは1時間程前だ。そのまま少女の腕を引っ張りここまで来た。ティーダに優しさや心配があった訳では無い。一人でいるよりかはマシかと思っただけだった。

「じゃあさ、俺は何なんだろうな。こうやってカオスの駒やってるけどさ、それが終わって元の世界戻ったって、その瞬間に俺は消える」
「………」
「…アイツさえいなきゃ、俺がこんな目に会うこともなかったのに」

不意に、物言わぬ人形に語りかける自分が虚しくなった。これでは幼い女児のようだ。
ティーダが口を噤んでしまえば、その場からは音が消えた。遥か下にいるコスモスの者達の声はここまでは届かない。
そろそろ道化が少女を探す頃合いだろうか。ティーダが、面倒臭い事になる前にティナを返そうかと考え始めた頃、ティナが僅かに動いた。

「お母さん、は…?」

小さな声だった。だが、他に音の無い場所で聞くには十分な声だった。
おかあさん。
言われた言葉を反芻する。正直な所、ティーダは母親の存在については殆ど覚えていなかった。元の世界についてあまり思い出していないというのもあったし、何より母と過ごした期間は短く、そして別れは余りに早すぎた。幼い頃に死んだ人。父の事が何より好きだった人。その程度の印象しか無かった。
代わりのように思い出したのは、ユウナレスカの事だった。ユウナレスカ、ユウナレスカ。母親のような女。スピラの存続だけを望み、結果としてザナルカンドをも護っていた女。英雄と呼ばれた魔女。
ティーダは自分が何故こうもユウナレスカに固執するのか分からなかった。何故自分はこじつけのような理屈を並べてまで、ユウナレスカとの間に何かを見出だそうとするのだろうか。純粋にザナルカンドを生み出した母親、という観点で言えば、ユウナレスカよりもザナルカンドの祈り子たちの方がよっぽど近い。なのに自分はそれを認めず、ひたすらユウナレスカとの関わりを探している。
何か特別な絆でもあったのだろうかと考えるが、ユウナレスカと自分では生きる時代どころか次元が違う。

似た誰かを、知っていた気がする。

それが誰かは思い出せない。何故か、父親の顔が浮かんだ。
その途端に母もユウナレスカも思考の奥深くに沈み、ティーダの身の内は憎しみで満たされた。そうだ、何もかもアイツのせいだ。母もユウナレスカもそれに似た誰かも誰ひとり思い出せないのは、父親がいるからだ。

渦巻く憎悪を再び感じながら、ティーダはティナの質問に一言だけ返した。

「あんた、喋れたんだ」

眼下にいた筈の父親とコスモス軍の者達は、いつの間にかいなくなっていた。

父を憎むきっかけは覚えていないが、憎む理由ははっきり分かる。父のせいで温かな胎内から蹴り出されねばならなくなったからだ。
しかし、それ以前は。
まだ羊水に浸かっていた頃や、母の胎内には二度と戻れないと知る前。何故自分がああも頑なに父を憎んでいたのかは、どうやっても思い出せなかった。





2011/05/25 21:26
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