絶望ってのは、今この時の為にある言葉なんじゃなかろうか。目の前に倒れ伏す息子を見て、そう思った。
俯せになっているから見えないが、その胸にはバッサリと斜めに走る傷が出来ている筈だ。なんで分かるかって?答えは簡単、その傷を付けたのが俺だから。
致命傷だ。見なくても分かる。手の平に残った感触がそう言っている。
あまりに現実感が無さ過ぎて、ぼんやりと息子を眺める。その手がピクリと動いた。微かに苦しそうな呻き声。そこに至って漸く、我に返った。
何やってんだ俺は。自分のガキが目の前で怪我してんのに、何やってんだ。眺めてる場合じゃない。例えその怪我を負わせたのが自分だとしても。

「おい、おいガキ、おい!」

慌てて駆け寄って、傍らに膝を付く。そうっと体をひっくり返せば、その胸には想像した通りの傷がある。
一際大きく呻いて、ティーダがうっすらと目を開いた。

「おい、大丈夫か」

大丈夫じゃない事は俺が一番知っている。でも聞かずにはいられなかった。返事をしないティーダの視点は定まらず、宙をさ迷っている。こちらを認識しないその目に、最悪の事態ばかりが脳裏を過ぎる。

「今ポーションやるから。おい、目ぇ開けてろ!」

再び閉じようとした目に焦って軽く頬を叩けば、開いた目が今度こそ俺を捉えた。その事に少しだけ安堵する。思ったよりも怪我は軽いのかもしれない。それがただの希望的観測にすぎない事は分かっていたが、ほんの少しの可能性だろうと縋れるなら何でも良かった。今ならどんな神だって信仰できる気がした。
少しでも楽になるように、ティーダの上半身を俺の膝に乗り上げさせ左腕で頭を支える。あまりの体温の低さに、背筋を冷たいものが走る。
手が震えて上手くポーチが開けられない。この中に、確かにあった筈だ。朝仲間から貰ったポーションが、確かに。
ヒヤリとしたものが、そっとポーチを漁る俺の手に触れた。驚いて見れば、自分のものより幾分か小さい、まだ発展途上だと分かる手が俺の手の動きを遮るように重なっている。

「もう、遅い…」
「あ?何言ってやがる、馬鹿言ってねぇで離せ。今…」
「無理…だって。…分かっ…てん、だろ?」

切れ切れにそこまで言って、ティーダは激しく咳込んだ。俺は返す言葉も見付けられずに、ただ咳込んだ拍子に口から漏れた真っ赤な液体を見ていた。
どうしろってんだ。目の前で今まさに自分のガキが消え去ろうとしてて、俺には何も出来ない。何とか救いたいのにガキはもう消える事を受け入れちまってる。
どうしろってんだ。

「大、丈夫、これぐらいじゃ…はっ、消滅しな、い」
「あ?消滅?」

ああ、あんた知らないんだっけ。ガキが呟いた言葉は、こんな時だというのにやけにのんびりと響いた。
まるで俺の存在など無いかのように、ガキはぶつぶつと次は俺も、だとか一回目だとか呟いている。これヤバいんじゃねぇのか、直前に幻覚が見えるなんてぇのは、良く聞く話だ。

「おい、ガキ、」
「親父」

唐突に、ティーダの目に光が戻った。声にも芯が通る。真っ直ぐ俺を射抜く目は、まるで傷を負う前のようだ。戦う前との相違点があるとすればただこの体勢と、そして胸の傷から流れる赤色が確実に床の上に広がり続けている事くらいか。

「なぁ、遠く…ゲホッ、遠くに、」
「あ?遠く?海が見たいのか?」

最後に、なんて言ったら殴ってやろうと思った。そんな女々しい男であるくらいなら、俺の手で留めを刺してやる。出来もしない事を考える。完全な現実逃避だ。しかしガキが続けた言葉は、そんな現実逃避さえ俺から奪い去った。

「遠くに、行ってくれ」
「…あ?」
「頼むよ、二度と俺の前に現れるな」

それが今際の際に親に向かって言うセリフか。そんなに俺はお前を苦しめていたのか。
くらりと、眩暈がした。
ティーダの瞳は尚も強い光を宿し、俺を睨む。

「クソ、ダメだ。また、勝ったのは…、なぁ、頼む、頼むから、遠くに、なぁ」
「何言ってやがんだ、さっきから!おいガキ!」

ティーダの手が震えながら重なったままの俺の手を握る。
確かな意志を持った行動に、今までの発言が決して譫言などでは無いのだと知った。

「また、すぐに次が始まる…はっ、あんたの…仲間、もう残ってない。またあんたらの負けだ」
「またって何だ、おい。」
「だから!早く遠くに…!!もう会わないように…」

ティーダの手から力が抜けてゆく。末端から順番に、黒い霞みが出始める。それと同時に、仄かな光を纏った玉がふわりふわりと空へ昇り始めた。幻光虫だ。一瞬、意味が分からなかった。この虫は何を表しているのだったか。体がこの虫に姿を変え始めたら、俺達は一体どうなるんだったか。
カオス軍の者達が消える際に発する黒い霞みよりも雄弁に、幻光虫の存在は息子の限界を告げる。ティーダの目は先程の光が消え、もう俺を映さない。虚ろにさ迷う視線に言いようの無い恐怖を感じる。

「おい、ガキ!」
「頼むよ…俺にあんたを傷付けさせるな…」

たった一粒、息子の瞳から零れた涙が地面に染みを作る。完全に力の抜けた手が地に落ちる。体を揺すっても頬を叩いても、もう息子は何の反応も返さない。

「おい、おいガキ、ティーダ、なぁティーダ!馬鹿野郎目ぇ開けろ、なぁおい!」

膝の上から、重さが消える。消えてしまう。跡形も無く。
柄にも無く目の前が歪む。眠っているかのようだというのに、もう息子は二度と俺に悪態をつかないだなんて、そんな馬鹿げた事があるか。

ああ待ってくれ、待ってくれ。こんな筈じゃなかった。俺とお前がこんな風に最後を迎えて良い筈が無いだろう。俺とお前は今度こそ一緒に、なぁそうだろう?
ああ頼むよ待ってくれ。
何で俺が正義でお前が悪なんだ。何でお前が死んで世界が平和になるんだ。

立場が反対だったなら。
お前が正義で俺が悪だったなら。
せめてお前の為に死んでやれたのに。

霞みと幻光虫に姿を変えた息子は、俺の手の中にたった一欠けらの余韻さえ残さず空気に溶けた。





2011/05/10 00:05
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