幼い息子の手を引いて歩く。世間様にとっちゃぁ何て事の無いありきたりな光景だ。だが、俺にとっては槍が降るんじゃねぇかっつうくらい珍しい事だった。もしかしたら初めてかもしれない。息子はそれ程までに父親である俺を嫌っていた。
べそべそと泣く息子は右手を目に押し当てて涙を拭うものだから、足元が疎かになって何度も転びそうになる。それでも繋いだ手だけは離そうとしなかった。仕方なしに脇腹を持って抱き上げれば、今度こそ嫌がって抵抗するかと思えたその腕は意外にも首に回された。顔を押し付けられた肩が湿る。あまりいい感触では無かったが、それを口に出すほど大人げ無くもない。そのまま暫く、息子の泣き声だけを聞きながら歩き続けた。

どれくらい歩いただろうか。もう間もなく自らの陣地に着くという頃になって漸く、泣き声が小さくなった。

「泣き止んだか?」
「……っ」

答えは無いが腕の力が強くなる。ますます肩に顔を押し付け、ティーダは大きく息をついた。少しは落ち着いたらしい。

「どうする。降りて歩くか?」

いやいやをするように無言で振られた首に、そうかとだけ呟いて再び歩く。甘ったれをからかう事も出来たが、他に頼る者どころか知る者さえいない幼くなった息子にそれをするのは躊躇われた。母もいない、後見人の友人もいないこの場所で、息子が甘えるのは自分だけだと考えると少しいい気分にもなる。これほどまで切迫した状況にならねば甘えてすら貰えないという事実には、気付かないふりをした。

「…どこ、行ってたんだ。」
「あん?」
「帰ってこないから、母さん泣いてた。」

まだいくらか湿った声で、ティーダが問い掛ける。息子から話し掛けてくるなんて、天変地異の前触れを疑う位には珍しいことだった。それ程見知らぬ銀髪の兄ちゃんと二人きりの状況は心細かったのだろうか。
しかしそうか、こいつの中では俺がいなくなったのはつい最近の事なのか。

「おい、ガキ。」
「………。」
「俺が居なくなってからどれぐらいだ?」
「今朝、朝練から帰ってこなくて、明日から皆で探すって。」

なんてこった。本当に居なくなって直ぐなのか。シンに飲み込まれた日の朝、最後にこいつと交わした会話をまだ覚えている。忘れるわけもない。それだけを支えに異世界を旅したのだ。

行ってくるぜ、と頭を撫でた俺の手を振り払って、ティーダは「早く行け。もう帰ってくるな。」と言った。涙の混じる、拗ねた声で。それに俺は、俺がいなくなったら世界中の人が悲しむぜ、なんせブリッツ界の帝王だ。と返した。それにこのガキは、ジェクト様の息子は、こう言い切ったのだ。「悲しまない。すぐに俺があんたを追い抜いてブリッツの王様になるから、皆あんたの事なんか忘れる。」相変わらず、涙声のままで。
あれ程までにこの息子を誇らしく思ったことなど無い。流石は俺様の息子だ。抱き上げて、撫で回して、お前こそが俺の誇りで自慢で愛する存在なのだと高らかに宣言してやりたかった。お前は最高に出来のいい息子だと褒めてやりたかった。何故そうしなかったかと言えば、時間が無かっただとかそういった下らない理由だ。
そして俺はもう一度ティーダの頭に手を軽く乗せ家を出て、シンに飲み込まれた。後悔という言葉で思い出すのはいつもこの朝だ。もう二度と会話する機会が無いのなら、何が何でも伝えれば良かった。

ふと、息子を見る。肩に埋められていた顔は上げられ、不安そうな顔で荒廃した周囲の景色を見回している。今なら言えるんじゃないのか。そうだ、関係を修復するなら今だと先程思ったばかりだ。俺にとっては10年も前だが、こいつにとっちゃぁまだ今朝の出来事なんだ。ゴクリと、喉がなる。

「俺がいなくなって…世界中が悲しんだだろ?」

きょとりと動いた目が、みるみるうちに顰められる。子供に似合わないしかめっつらで、ティーダは口を開いた。

「すぐに忘れる!」
「あん?何でだ。」
「俺がすぐにあんたなんか抜いて、皆あんたの事なんか忘れちゃうんだ!」
「俺を抜くってか?」
「そうだ!あんたの記録なんか、全部俺が…」

もう耐え切れなかった。腕の中の小さな存在を強く抱きしめれば、ティーダは一瞬息を止めてこちらを伺う。本当に、もう。この息子は俺の為だけにこの世に生を受けたのではないかとさえ思う。俺の息子、俺の宝物。そうだ、お前は俺なんて飛び越えて、誰より高い所に立つんだ。そうして満足そうに笑ってくれよ。それを見ることだけが父の願いなんだ。

「おやじ…?」
「よく言った!」
「うわっ」

言うと同時に、小さな体を高く持ち上げる。いきなり変わった視点に着いて行けず目を白黒させるティーダにこれ以上無い程に笑いかけた。

「それでこそジェクト様の自慢の息子だ!」
「えっ」
「俺を追い越せんのはお前だけだ。それまでは仕方ねぇから俺が頂点にいてやるよ。」

くるりと体を手の中で反転させて、首に跨がらせる。肩車をしてやった事なんて今まで無かった。
まだ良く分かってないらしいティーダは、それでも不安定さに頭に手を添える。足を支えてやりながら上機嫌に足を踏み出す。そろそろと控えめに髪を掴み、ティーダが搾り出すように声を出した。潜められてはいるが、声には嬉しさや期待が滲む。

「俺、おやじの自慢?」
「ああそうさ、お前以上にジェクト様の息子に相応しいヤツはいねぇ。」
「俺、おやじよりブリッツ上手くなれるかな?」
「お前以外に、誰が俺様を追い抜けるってんだ。あ?」
「うん…。」

緩く掴んでいただけだった手が、しっかりと俺の髪を掴み直す。頭皮に走る痛みには黙っていてやる。肩に跨がった足がリズミカルに跳ねて、ふふふ、とついぞ聞いた事の無い嬉しそうな笑い声が頭の上から響いた。

「おやじ、おやじ、」
「あ?なんだ?」
「俺ね、俺、ブリッツ好き。」
「そうか、俺もだ。」
「ふふふ。」

こいつから、好きなものなんて聞いた事があっただろうか。有るわけがない。それ程、俺は息子から嫌われていた。答えが返ってこないと知っているから、問い掛けたことも無かった。
機嫌よさ気に鼻歌を歌う息子の声を聞きながら、目の前にある自陣へと足を進める。
なんだ、こんな事で良かったのか。たかだかこの程度の事で、決して埋まることが無い程深く見えた溝には橋を架けてしまえるのか。

勢いを付けてぐるんと回ってみせる。息子の歓声と笑い声が、荒廃した大地に響いた。





2011/02/13 15:33
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -