こういう遊びは、もっと早く誘ってほしかった。
こんな言い方をしたら怒られるかもしんないけど。多分怒られるけど。物事にはタイミングってものがあるじゃない。なんでこのタイミング。なんで寄りによって今。なんでせめて一か月、いや一週間前に呼んでくれなかった。
何がって、神々の戦争の話だ。

現在に至るまでの話をしよう。
まずは最後の瞬間の話。俺は全ての想いを清算して、実に清々しく、格好よく、爽やかに、天高く浮かぶ飛空艇から飛び立った。青い空、無数に舞う幻光虫、どこか軽くなったように感じる空気。俺は俺の為すべきことを成し遂げて、親父はまるで俺を待っていたかのように笑い、ただひたすら青い歓喜だけが満ちた空で、力いっぱいハイタッチをした。実際にはどっちも実体がないから、擦り抜けたわけだけど。想像するだけで感動的。涙が止まらなくなりそう。教科書に載ったっておかしくないね。そんなハッピーエンドを迎えた世界で、俺もまた幻光虫になったわけだ。
それまではそりゃいろいろあったさ。親父なんか死ぬほど嫌いだったし、死にたくなかったし、故郷はそこに実在するって固く信じてたし、自分ってもしかしてこの世に存在してないんじゃない? なんて想像したことすら無かった。だって考えてみろよ。自分の存在が夢なのかも、なんて日常的に考えるやつがこの世にいるかっての。いたとしたら、そいつはとんでもなく変人だ。少なくとも俺は変人じゃなかった。変人のふりはしたけれど。
ともかく最後の瞬間、俺は人生で最も晴れやかな気持ちだったってこと。
じゃあ次、どうやってその最後の瞬間まで至ったかの回想。俺、誕生。父親、失踪。母、死去。後見人、来襲。そして俺の華々しいスター生活、までは今回はそんなに関係ないから省略。ここまでの人生で大事なのはただ一つ。俺が生まれたその瞬間から親父を嫌ってたっていう、それだけね。それだけ覚えておいてくれたら、正直俺の故郷での生活なんてどうでもいい。
サクサクっと飛ばして17歳の夜。俺は異世界に飛ばされて、そこで運命の女の子と出会う。でもってその女の子が俺の親父っぽい誰かをベタ褒めするからモヤッとしたり、後見人がしみじみと親父との思い出を語ってイラッとしたり、あのクソ親父が伝説なんて言われてるのにムカッとしたりした。
ハイじゃあもう一度、最後の瞬間をよく思い出して。俺は晴れやかな気持ちで、親父と笑顔でハイタッチなんかしちゃってた。つまり旅の最中までは確かに大嫌いだった親父だが、最後にはそうでもなくなってたわけ。
ここだけの話、でも無いけど、俺は人生の大半を親父を嫌って過ごした。生まれた直後からの反抗期。それが終わりを迎えたのが、つい最近だ。ここ一か月とか一週間とかのレベルじゃない。ここ数日。世界に隠された色んな秘密を知っちゃって、それと折り合いをつけたここ数日。俺は親父への長年の恨みだとか妬みだとかを清算して、とっても綺麗な俺に生まれ変わりました。そして空のお星さまになりました。これからは夢の海でこの世の終わりまで幸せに暮らすのです。めでたしめでたし、のはずだったわけだ。なのに気が付いたらここにいた。そう、荒れ果てた神々の闘争の世界に。
これは困った。心底困った。だって色々あった結果、清算してしまったのだ、俺は。親父との確執だとかそんなもんを全て。
俺の中のドロドロしたものは全部なくなってしまった。無くなったって言うと語弊があるかな、昇華されたって言おう。昇華された結果、俺の中に今残ってるのは、純粋に親父を尊敬する気持ちだとか、もっと親父といっぱい話しとけばよかったなっていう寂しさとか、いつか親父以上の選手になってやるっていう決意とか、そんなんだけだ。
お星さまになったネオ・ティーダは綺麗なものだけで構成されているんです。体を構成する幻光虫だって、人の3倍は輝いてるよ。夜空であの子に見つけてもらえるように、あの子の上に優しい光だけを届けられるように。なんつって。
はい、回想終わり。

じゃあ回りを見てみよう。ここにいるか? 俺以外に人生の諸々を清算済の人間が。人間じゃ無いっぽいのもいるけど。ともかく、過去の遺恨だとか禍根だとかをすっきりさっぱり清算して、世界って優しさで満ちてるよね! なんて爽やかに言ってのけられそうな人間が。
一人もいねぇよ。
俺を除いて一人もいねぇ。
まぁつまり、そういうことだ。どうやら清算済の人間は俺だけらしい。で、だ。俺は言いたいわけ。
こういう遊びは、もっと早く誘ってほしかった。
どうするんだ、俺。今親父と会ったって、再会喜んで抱き合って一晩中語り明かしちゃうぞ。

「あいつ、絶対許さない!」
と言ってる仲間の隣で俺は、親父は今何してんのかなぁとか考えてます。
「もう奴の好きにはさせない…!」
と言ってる仲間を横目で見ながら俺は、親父は今日何食ったかなぁとか考えてます。
ああブリッツしてぇ。
大体さ、大体だよ。ここは正義の陣営の筈だ。正しい心と、清らかな決意と、勇敢な精神を持ち合わせた戦士たちが世界に秩序をもたらすため、そして女神の願いを叶えるために集結した、正義の味方の集まりの筈だ。
だってのに、なにこれ。みんな敵方の悪の秘密結社さんちの誰かを心から憎んでるって、どういうことなの? 憎しみの心とか持っちゃだめだろうがよ、正義の味方は。少なくとも、俺が子供のころ大好きだった水中戦士ブリッツマンは憎しみなんか持ってなかった。いつも爽やかにブリッツマンシュートを決めてた。今思うとあれ、完全にジェクトシュートの動きだったけど。アニメの主人公の必殺技にまで採用されるなんて、流石オヤジ、マジ尊敬ッス!! 俺の父親。伝説のガード。ブリッツ界の帝王。悪の秘密結社に召集されちゃうだけあるね。ほんと。
あーあ、親父なにしてんのかな。大体俺は、親父が悪の秘密結社の構成員にされてることも納得がいかない。親父以上に正義の味方に相応しい人間がいるかよ。親父こそ正義の味方だろ。カリスマオーラで光り輝いてるだろ。ウォーリアより眩しいくらいだろ。俺と親父が親子で正義の味方やったら、一瞬でこの世界平和になるね。割と本気で思ってるよ、俺は。でも親父が悪の陣営なのは残念ながら事実なので、世界の優しさを信じてる俺は甘んじて受け入れるよ。なんたって俺、過去を清算したネオ・ティーダだから。世界の美しさを知ってるから。

親父と会ったら、話したいことが沢山ある。ブリッツのこととか、ガードのこととか、旅の間なに考えてた、若い頃どんなだったの、母さんとどこで出会ったの。俺の事、どう思ってたの。質問は後から後から湧いてくる。一晩かけたって終わらないくらい、親父には聞きたいことがあるんだ。
こんな所で正義だの悪だの秩序だの混沌だの言ってるよりも、俺は今すぐ親父の所に行って俺の成し遂げたことを褒めて欲しいんだよ。だって、もう二度と会えないと思ってたんだから。俺は空気にとけて、親父の成れの果ては幻光虫に変わって、俺たちは最初と同じように、始めからこの世に存在していなかったことを証明するように、一欠けらも残さずに消えてしまったんだと思っていた。でも目を覚ましたら俺はやっぱり俺のままで、親父も親父のままそこにいて、あの日出来なかったハイタッチをすることが出来るんだと分かった。
俺は、こんな所にいるよりももっとやらなきゃいけない事があるんだ。今すぐにだって、親父の所に行かなきゃいけないのに。
「我らの力をもってすれば、混沌を滅することも出来るだろう!」
「おお!」
悪を憎む正義の皆様は残念ながら未だ清算してはいらっしゃらないようなので、空気の読めるイイコちゃんなティーダくんは、周りに合わせて拳突き上げちゃったりしてるわけです。
ああ大変、綺麗なものだけで構成されてるネオ・ティーダ君の目が段々と死んでいくよ親父。アンタの息子がダークサイドに落ちようとしているよ。早く助けに来た方がいいよ親父。じゃないとジェクトさんちのお坊ちゃんは、回りに流されて拳突き上げるしか能の無い、目の死んだ根暗野郎になっちゃうよ。既に正義とかそういうのが弱冠信じられなくなってきてるよ。これはよくない兆候だよ。
ていうか親父、今なにしてんの、ホントに。俺は人生で一番親父に会いたいって思ってるよ。親父がいなくなって、母さんが毎日泣いて、ベッドから起きられなくなって、親父の名前を呼びながら息を止めちゃった時よりずっとだよ。それくらい、俺は親父に会いたくてしょうがないよ。だって親父は俺の親父だから。



さてさてさてさて!
俺の目が死に始めてから約一か月と言ったところだろうか。遂に遂に遂にですよ。遂にですよ! 待ちに待った邂逅の瞬間ですよ。俺と親父が今再び出会おうとしているわけですよ! 
この日の為に俺生きてた。この瞬間の為に俺、憎しみに満ちた正義の戦士さんたちに合わせて生きてきた。親父側にいるっていう狂った英雄サマへのキノコ生えそうな恨み節を黙って聞いたのも、世界を支配したとか恐怖政治したとか有りがちな悪い王サマの悪口を黙って受け止めたのも、全部全部この日の為だよ!
何を隠そう、混沌の軍勢との対峙の日であるわけです。会いたかったよ親父!

広い荒野に黒衣に身を包んだ軍勢が立ち並んでいる。こちら側の煌びやかさに比べたら、随分と地味だ。だが、だからこそにじみ出る禍々しさは桁違いだった。怨念や憎悪がその場に渦巻いて、俺たちを飲み込もうと大口を開けている。しかし俺たちには仕える女神がいる。彼女に授けられた使命がもたらす清浄な信念が、敵の悪意を跳ね返していた。それでもいずれ俺たちは負けるだろう。あの禍々しさは、とにかく桁違いなのだ。人でありながら人を捨てた者、または初めから人では無い者、そして人を憎むために生まれた者。ただ清浄であるというだけでは、奴らには適わない。
だが俺たちは戦わねばならない。なぜなら命の絶えきったこの世界において、俺たちだけが希望の光なのだから。
黒衣の軍勢の中に父親の姿を見つけた俺の行動は、素早かった。あれほどまでに憎み、慕い、憧れ、恨んだ父親だ。誰も彼もが同じ黒を纏う敵の中でも、迷うことなく父を見つけることが出来た。俺は剣を握りしめ、歯を食いしばり、ただ父親だけを見た。ここに来てからただ脳裏に浮かべ続けた父親だ。俺の瞼の裏でいつでも不敵に笑っていた父は、やはりこちらを馬鹿にしたような笑みで俺を見詰めていた。間違いなく俺たちはお互いを認識し、お互いだけを見ていた。
だから、走った。仲間が止める暇もなく、敵の頭目が前口上を述べる暇もなく、ただ俺は親父を認識した瞬間に剣を握って走った。一瞬ではるか後方となった仲間たちが何かを叫んだ気がするが、俺はそれよりも大切なことがあるのだ。
「親父!」
俺の怒号に、親父はますます笑みを深める。俺がかつてどうしても殴りたいと思ったあの顔だ。だがもうそんな事は思わない。だって俺は、もうあの頃とは違う。弱くて泣き虫のティーダではない。俺は、ネオ・ティーダなのだから。
「超! 会いたかった!」
多分俺、泣いてたね。だって親父カッコイイんだもん。相変わらずめちゃくちゃカッコイイんだもん。俺を真っ直ぐ見てんだもん。脳内になんか良く分からないモノローグだって流れちゃうよね。なんだよ、黒衣の軍勢って。清浄な信念って。意味分かんねぇよ。
でも俺ね、本当に頑張ったんだよ。誰かに褒めて欲しかったんだよ。誰かって言うか、親父に褒めて欲しかったんだよ。だから頑張ったんだよ。
多分俺はずっと、親父に褒めて欲しかっただけなんだ。
剣を投げ捨て、涙も拭わずに俺は親父に突進する。勢いを殺すとか、スピードを落とすとかはしない。だって俺の親父は伝説で英雄で王様なのだ。俺一人くらい受け止めてもよろめきさえするはずが無い。
親父が目を見開いて俺を見る。ピュアなハートをズタぼろにした、可哀そうな息子に驚いてるんだろう。でもその手は大きく広げられて、俺を迎える準備をしていた。うんとうんと小さい頃に、膝を擦り剥いて泣いた俺を受け止めたみたいに。益々俺の涙腺が緩む。生まれた時から憎んでたとか言ったってさ、ちゃんと俺は親父の息子してたんじゃないか。親父も、俺の父親してたんじゃないか。俺たちは始めからちゃんと親子だった。
俺の足が一際強く地面を蹴って、俺の体が宙に浮く。両手を広げた親父に向かって、俺は真っ直ぐに跳んでいく。もうあと少し、もうあとほんの数瞬でガッチリ感動的に抱き合う。という所で、親父は、一歩左に寄った。
え?

ちょっと意味が分からないですね。何で俺は地面とキスしてんの。何で俺はいい年してコケて顔擦り剥いてるの。何で避けてんの親父。どういうつもりだクソ親父が。
周りはシンと静まり返っている。冷静に考えるとここは敵陣ど真ん中の筈だが、攻撃される気配は無い。それを良い事に俺は、ゆっくりと起き上がった。地面に両手をついて、膝を立て、俯いたまま服に付いた砂埃を払う。そして俯いたまま立ち上がり、膝の砂を払った所で顔を上げた。そこにはとんでもなく凶悪な顔をした親父が立っていた。
「え?」
「てめぇ、誰だ」
「アンタの息子だよ」
「嘘つくんじゃねぇ!」
何がだ。状況に付いて行けずに、激昂する親父の顔を眺める。俺以上に状況についていけてないだろう混沌の皆さんは、取り敢えず静観することに決めたらしい。周りはまだ静まり返っている。遥か後方で秩序の皆さんも黙りこくっている。これは多分混乱してるだけだ。
「俺の息子は生意気で我が儘で、泣き虫だ」
「あ?」
「あいつはな、俺に甘えたりなんざしねぇんだよ! ましてや出会いがしらに泣きながら俺に飛びつくわけがねぇ! 俺に会ったって喜ぶはずがねぇんだ!」
分かったか! とでも言いそうな顔で、親父は俺を見ている。いや、アンタそれ自分で言ってて悲しくならないの。ていうかあるだろ、甘えたこと。膝擦り剥いた時アンタに甘えただろ俺。忘れてんのか。え、なんかイライラしてきたんですけど。出会いがしらに喧嘩売ってんのか。
「はぁ?」
「テメェ、俺の息子に化けて何するつもりかは知らねぇが、甘かったな」
「はぁぁああ?」
「ま、もっと良くお勉強してから出直すこった」
なに言ってんだこのオッサンは。俺たちのあの壮大な和解を忘れたのか。もうボケたのか。理想郷一つ消滅させた上の和解だぞ。忘れたら罰が当たるなんてもんじゃねぇぞ。そんなんだから息子に嫌われるんだよ。
それはともかくとして、俺はマジマジと親父を眺めた。上から下までじっくりと観察して、俺の知っている親父と何か違う所は無いかと探した。親父こそが偽物なんじゃないかと疑ったからだ。だって俺たちはもうとっくに和解してたし、親父だって俺の反抗期が終了したことはその身をもって知っている筈だ。それを知らないってことは、親父こそが偽物なんじゃないかと思ったわけだ。
でも残念ながら、親父は俺の知っているままの親父だった。あの日の朝練習に出かけたままの、ところどころに残された映像のままの、どこまでもふてぶてしくて憎たらしくて格好いい親父だった。そう、あの日のまま。10年前の、あの日のまま。
「え、マジで?」
「ぁあ? 何がだよ」
親父がガラの悪い目つきで俺を睨む。でも俺はそんなものに構っていられなかった。それどころじゃない。だって俺は気付いてしまったのだ。
もう一度、上から下までジックリと親父を見る。親父は俺の凝視が気まずいのか、少し目を逸らした。俺の方から目を逸らしてばかりだったから気付かなかったが、あの真っ赤な目が逸らされると余計にガラの悪さが目立つ。どうでもいい発見だ。
上から下まで眺めた親父は、やっぱりあの日から何一つ変わっちゃいなかった。俺がまだ親父に反抗ばかりして、親父を大嫌いだと公言して憚らなかった頃のまま。ひとつ残らず、そのまんま。
つまり親父は、俺と和解していないのだ。親父の中の俺は、今でも反抗期で父親嫌いで親父を憎んでいるままなのだ。どういう訳か、俺たちの時間はずれているらしい。
そう理解した途端、俺は全身から力が抜けてしまった。物凄くがっかりしてしまった。
俺は、俺が親父に会いたいと思うのと同じくらい、親父も俺に会いたがっているのだと勝手に思っていたのだ。なんたる高慢。恐るべき傲慢。俺ってばいつからこんなに自信過剰になってしまったのでしょうね。やっぱアレだね、孤独は人を歪めるね。何もかもこの異世界が悪いんだ。ネオ・ティーダすら歪ませるこの異世界と環境が。

親父が俺と和解してないっていうなら、じゃあ俺は何に希望を見出して戦えばいいの。
急に黙っていじけ始めた俺に、今度は親父が俺をじっくりと見てきた。きっとネオ・ティーダと旧ティーダの違いを探しているんでしょうよ。残念だったな、見た目の変化はなにも無い。なぜなら変わったのは心の綺麗さと輝きだから。とか思いつつ、俺は足元の小石を蹴った。生まれ変わって得た心の綺麗さも、もはや失われるのは時間の問題だ。
なんだかやる気が失せてしまった。全然やる気でない。もうどうにでもなーれって気分。
だって親父、俺と和解してないし。ハイタッチとかしてくれそうに無いし。じゃあ俺何のためにここにいるの。はいはい、世界を救う為ですよね。世界を救うために虫けらになってフラフラしてたのを改めてくっつけて固めて服着せて呼び出したんですよね。分かってる分かってる。あーあ、こんな世界滅びてしまえ。親父と俺の過ごした時間が違う世界なんて、もう滅びてしまえ。
俺はこんな世界の為になんか、絶対何にもしてやりませんよ。そういう気分でもう一つ小石を蹴った。小石はコロコロ転がって、親父の足元まで行った。小石が裸足の足にぶつかって止まる。怒るかな。チラリと視線だけで見上げたら、親父はまだ真顔で俺の顔を見ていた。だから俺は、なんだか泣けてきてしまった。
目頭が熱くなって、鼻の奥がツンと痛む。この段階に来てもまだ、親父の仲間も俺の仲間も黙って俺たちを見ている。暗闇の雲の触手が俺の頬を突っつこうとした時だけオニオンナイトが「あっ」と言ったけど、それっきり誰も口を開かない。俺と親父の、奇妙に噛み合わない邂逅を眺めている。俺だけが滑稽なこの喜劇を、どんな気持ちで眺めてるんだろう。俺を馬鹿だと思ってるんだろうな。俺の気が狂ったと思ってるんだろうな。それできっと、親父のことを悪い奴だと思ってるんだろうな。
何なんだよ。俺がどんだけ我慢したと思ってるんだよ。まだ我慢しなくちゃいけないのかよ。俺はもう嫌だよ。これ以上我慢するくらいなら、俺はとっととこの戦争から抜けさせてもらう。それでまた幻光虫になって、親父の回りをくるくる回るんだ。だって俺はただ、親父に会いたかっただけなのに。
ポタリと、堪えきれなかった涙が地面に落ちた。その行方を、親父の視線が追う。俺はそれでもジッと親父の顔を見ていた。親父、また俺を泣き虫だって笑うかな。でも俺のことを偽物だと思ってるから、笑ってもくれないかもしれない。それくらいなら馬鹿にされた方がまだマシだ。
下を見た親父の目が、再びゆっくりと上がる。真っ赤な瞳が俺を見て、瞬きを一つした。
「帰ろうよ」
思わず言った俺の一言を、親父がどう思ったのかは分からない。でも俺はそれ以上親父の真っ赤な目を見ていたくなくて、両手の拳を目に当てた。こうしていれば、もう涙が勝手に地面に落ちることもない。きつく目を瞑って、視界をただ真っ暗にして、俺はありったけの勇気を振り絞った。そして反抗期の裏にひっそり隠し持ってた親父への思慕だとか尊敬だとかが隠しようもなく滲んでしまっているだろう言葉を、親父にぶつける勇気も無く空に向かって吐き出した。親父からはきっと、俺の喉だけが見えてる。
「帰ろうよ、ねぇ。帰ろう、父さん」
俺はさ、アンタと帰りたいんだ。俺が偽物でも、アンタが覚えてなくても、もう何でもいい。帰る場所なんかとっくに無くなっていたって、それもどうでもいいんだ。父さん、アンタと一緒なら、俺はこのヘンテコな異世界だって故郷と呼んでみせるよ。だってアンタは俺の父親なんだ。俺の父親がいる所が、俺の家なんだから。俺の声は格好悪い程に震えて引き攣っていた。

静寂が辺りを包む。親父は俺の言葉を黙って聞いていた。俺もまた、それっきり黙りこんでいた。そして羞恥に死にそうになっていた。
だって一世一代の告白だ。親父のことを父さんなんて呼んでしまった。もうダメだ。絶対後で皆にからかわれる。なんか頬が熱い。もうとっくに涙なんて止まっているけど、拳を顔から離せない。どうしよう、一時のテンションに任せてとんでもないことを言ってしまった。どうしよう、俺もう17歳なのに。父さんとか。やばい逃げたい。
それにしても、なんで親父は黙りこくってるんだ。なんか言えよ。俺の恥ずかしさを吹き飛ばすくらい恥ずかしいこと言えよ。アンタかっこつけるの得意じゃん。寒すぎて一周回ってなんか逆に格好いいくらいの事言えよ。俺が恥かいたんだからアンタはそれ以上の恥をかけ。
俺の願いが通じたのか、親父が僅かに体を動かした。地面の砂利が音をたてたことで、俺はそれを知る。さて親父は何と言うのだろうか。俺は空を向いて目に拳を当てて、まだ感情が高ぶって泣いているようなふりをしながら、親父の言葉を待った。
「おまえ…」
さあ言え。なんか恥ずかしいこと言え。俺のように空気に流されろ。
「おまえ、やっぱり俺のガキじゃねぇな!」
勝ち誇った声で言うのが寄りによってそれかよ、クソ親父。だからアンタの息子は反抗期が終わらないんだよ、ダメ親父。

思わず拳を顔から離して、俺を指差して爛々と目を光らせている親父を見た。真顔だ。俺は今人生で最も真顔をしている。目はカラッカラに乾いている。
「今のではっきりしたな。お前は俺の息子じゃねぇ」
間違いなくアンタの息子だよ。なに高笑いしちゃってんだ。本当にどこまでダメ親父なら気が済むんだアンタは。なんでいつもいつも、結局俺の気持ちを分かってはくれないんだ。
なんかさ、俺が親父に懐かなかった理由も分かるよね。いやもう正直、最初に親父を嫌った理由なんて欠片も覚えてないけど。きっとこういう所だったんだろうな、小さなティーダ君がお父さん大っ嫌いって思うきっかけは。だって今俺、心からお父さん大っ嫌いって思ってるもん。これ以上ないくらい純粋な気持ちで。
「なんか、もういいわ。それで」
「ああん?」
「いいわもう、偽物で」
「ついに認めやがったか!」
やたらと自慢げな所が癪に障るが、なんかもう何もかもどうでも良くなってしまったので、俺はおざなりに頷いた。
「はいはい、偽物偽物。俺は偽物ですよー。あんたの本物の息子は今頃どっかの海でお父さんなんか大っ嫌いって言ってんじゃないスかね」
あ、やべ、泣きそう。さっきも泣いたけど、さっきよりずっと泣きそう。涙はあんまり出なくて、ただ胸の奥の方がギチギチ言う感じ。それを誤魔化すためか、俺の自慢のお口はいつも以上によく回る。どうでもいい事をどうでも良さげに、でも途中で口を挟めないくらい途切らせずに。
「そんでブリッツボールなんかヘディングしちゃってね、ボールは友達なんつって。他に友達いないからね。いやホント、いくら性格が明るくてもスター選手でもさ、両親がいないって結構響くよね。後見人はいても両親ともに不在、しかも父親は行方不明って、ヒソヒソするには十分だもんね。それで一人ぼっちでボールは友達やってんじゃないスかね、御宅の息子さんは。ボール飛ばし過ぎちゃっても投げ返してくれる友達もいなくてさ、自分で蹴って自分で取りに行ったりなんかして。どんだけ一人上手だよっつーね。そんな感じで本物のティーダ君は今日も頑張ってんじゃないスかねー。どっかの海で。一人ぼっちで。お父さん大っ嫌いって言いながら」
はーあ。溜め息出ちゃう。だってやってらんないんだもの。だってかつてないレベルでガッカリしたんだもの。はーあ。
「…おいテメェ、もしかして」
親父がなんか言ってるが、もう無視だ無視。生まれ変わった心の綺麗なネオ・ティーダは偽物なんですってよ。息子じゃないんですってよ。そんなこと言う親父なんか、もう絶対目も合わせるもんか。

大体さ、俺、思ってたじゃん。こういう遊びは、もっと早く誘ってほしかった。
そうだよ、所詮遊びだよ神々の戦争なんて。だって現実感無さすぎるし。女神サマはなんか神秘的すぎて逆に人工的な臭いがするし。女神様ってもっと原始的なもんだろ。原始的な服を着て、凝り固まった思想を持って、でもそれが世界の為だって信じてるもんだろ。悪の親玉だってそうだ。子供のお絵かきかってくらい分かり易い見た目してるしさ。悪役の皆さんだって、やり過ぎなくらい怪しい。極めつけに正義の味方はわざとらしいくらいキラキラだし。遊びと思って何が悪い。
俺はさ、一人だけ何もかも清算しちゃってたんだよ。だから微妙に一歩退いたところから、熱くも冷たくもなれずに皆を見てた。仲間たちほどこの世界にのめり込めなかった俺は、どうにもこうにも全部がおもちゃに見えて仕方がない。現代の若者の特徴だよね。
遊びだから、別に俺は傷ついたりしない。泣きそうになったりもしないし、絶望的に悲しくなったりもしない。今だって裸になって踊りながら飛び跳ねたいくらい陽気な気分だよ。ホントホント。嘘じゃないって。ホントマジだから。ヒャッホウって叫びながら親父攻撃したい気分だよ。ヒャッホウ!

振り返って、溜め息を吐いて、のろのろと仲間たちの所へ帰る。仲間たちはとても気の毒そうな顔をして俺を見ていた。そりゃそうだ。俺は宿敵に積極的に絡みに行って、拒絶されて、それでもしつこく食い下がったらまた拒絶された間抜け野郎だ。しかも泣いたし。明日から皆が仲良くしてくれなかったらどうしよう。
生まれ変わって手に入れた目の輝きなんて、もう消えてなくなってしまった。俺の魂が清らかに輝いてるとか言ったの誰だよ。俺だよ。とんだ自画自賛だな。ここに訂正をしまーす。俺の魂は全く輝いていませんでしたー。繰り返しまーす、俺の魂は輝いていませーん。あーあ。俺の魂、今日も変わらず元気に淀んでるッスよ。
「おい、ティーダ…?」
恐る恐ると言った風に、仲間たちがこちらに手を伸ばす。それを自虐的な気分で見た。お優しい英雄サマがたは、こんな間抜けでも心配してくれるらしい。ならもうそれでいいじゃん。過去のことなんて忘れてさ、今いる仲間のために生きればいいじゃない。もう生まれた時から親父なんていなかったことにしよう。俺には俺の仲間たちがいる、それでいいじゃないですか。親父なんてもう知らん知らーん。
「なんかゴメンね、うん、ゴメン」
「おいどうしたんだ」
薄ら笑いで定位置に戻って、隣にいたスコールに謝ってみた。今までマジかっこつけとか思っててゴメンね。正義の味方さんお疲れーッスとか思っててゴメンね。俺も今日から真面目に正義の味方さんやるからね。って意味を込めて。
いきなり肩に手を掛けられて謝られたスコールは、野良猫かってくらい肩をビクつかせて怯えた目で俺を見た。こういう所可愛いよね、スコールって。正義の味方だしさ。かっこつけてても抜けきらないこういう素直さが、きっと正義の味方には必要なんだろう。だとすると俺は完全に正義の味方失格なんだけど。
「お前、大丈夫なのか」
ほら、俺なんかの心配してくれちゃってる。知ってます? この子普段は仲間なんかいらないとか言っちゃってるんですよ。孤高気取っちゃってるんですよ。なのに見て、ほら。いざその仲間が落ち込んでると心配しちゃうの。なんてイイコなの、スコールってば。スコールも清算した暁には俺と愚痴ろうね。
「だーいじょうぶッスよ大丈夫。俺ちょっと自分のあり方とか見詰め直しちゃっただけだから。あと過去を忘れることを決意しただけだから。やっぱさ、大事なのは今じゃんね。過去に何があろうとさ、重要視すべきなのは敵対してる今じゃん?」
そうだろ、と同意を求めたら、スコールは意味が分からないという顔をしながらも頷いてくれた。明らかに気を遣ってくれている。俺もこれからスコールが一人ぼっちだったら積極的に声かけたりしてあげよう。
「おい…呼んでいるぞ」
「は? 誰が?」
「その…お前の父親が」
「俺チチオヤなんかいないッスよ」
スコールは分かり易く眉を下げた。まったくスコールってば、いい人過ぎて遂に幻聴が聞こえ始めたらしい。俺には何も聞こえない。遠くで半裸のオッサンが俺の名前を大声で呼んでるとか、本当に全く聞こえない。
大体俺に父親がいるはずないだろ? ネオ・ティーダ…じゃねぇや。偽物のティーダくんは天涯孤独なんだよ。一人ぼっちで寂しくて、父親のいるティーダが羨ましくなって真似っこしただけの、生まれて此の方ずっと一人ぼっちの憐れな物真似上手だよ。じゃあ俺一体誰なんだよ。この世のどこかに本物のティーダがいて、今も親父なんか大っ嫌いって言ってんなら、ここで親父会いたかったって言ってる俺は一体誰なんだ。知るわけねぇよ。だって俺はティーダだ。
俺の死にそうな雰囲気を悟ったのか、スコールがそっと俺に寄り添った。反対側にぬくもりを感じてそちらを見たら、ジタンが手を握ってくれていた。その隣ではティナが心配そうに俺を見ている。顔を上げれば、何か喚く親父が俺の方に来ないように、仲間たちが武器を構えて牽制してくれていた。
俺と親父の事情なんて、きっと何も知らないのに。俺たちの遣り取りを、意味わかんねぇと思いながら見てたはずなのに。なにこれ、俺をトキメキ死させようとでもしてんの? 清算前の正義の味方ってどこまでいい人たちなの? 俺、こっち側で良かった。正義の味方で良かった。本当にこないだまでちょっと冷めた目で見ててゴメンね。

俺が仲間の温かさに触れて感激している間に、親父の方は何か進展したらしい。ガシャンと大きな音がして、あのでっかい剣が飛んでいくのが見えた。親父は腕から血を流し、ウォーリアの前に膝を付いている。勇ましくて雄々しくて凛々しいウォーリアの背中越し、マントが風に靡いた一瞬、親父と目が合う。相変わらず怖い程赤い目は真っ直ぐに俺を見ていた。その前に居て今まさに命を脅かそうとしているウォーリアには、目もくれずに。
「てめぇは!」
親父が叫ぶ。またウォーリアのマントに隠れて、俺からは見えない。でもどんな顔をしているのか、俺には手に取るように分かった。
「俺の息子だろうが!」
そうだよ。でもアンタが否定したんだ。俺は口を噤んで、ウォーリアの背中を見る。きっと親父を嫌ったままの俺ならば、ウォーリアに憧れたに違いない、と夜中に何度も思い描いた背中だ。昔の俺はこんな風に、強くて大きくて武骨な、でも温かい背中に憧れていた。それらは全部親父が持っていたものだと気付きもせずに。
不意に、ウォーリアが一歩横に移動した。そうすると、俺と親父の間にもう障害は何もない。俺は真っ直ぐに親父を見て、親父は真っ直ぐに俺を見返す。
「俺の知らない間に、俺とお前の間に何があったのかは分からねぇ。でもお前は俺の息子なんだな?」
肯定も否定もせずに、俺はただジッと親父を見た。俺と視線が合ったことでいくらか落ち着いたのか、もう怒鳴ってはいない。その代わり、親父の声は低くてまるで唸っているみたいだ。表情を変えないように気を配りながら、俺は内心では親父が怒ったのではないかと危惧していた。
「どうなんだ、そうなんだろ」
「でも、アンタが違うって言ったんだ。俺はずっとアンタの為だけにここにいたのに」
愛の告白みたいで少し気持ちが悪い。親父は少し怯んで、でもまた強い瞳で俺を睨み付けた。ジタンが繋いだ手を固く握りなおす。スコールはほんの少し、たった数ミリ俺に近付いた。
「そりゃあお前、だってお前ずっと大っ嫌いだしか言ってなかったじゃねぇか」
「………」
確かにそれは俺が悪いような気がする。しかし認めたくないので、また口を噤んで親父を見た。そうしたら親父は少し焦ったように口を開きかけて、何かを言おうとしてまた閉じた。
そして俺は多分、今気付かなくてもいいことに気が付いた。俺今圧倒的に優勢だわ。完全に優位に立ってるわこれ。今なら好きなように親父転がせんじゃね? とか気付いてしまった。思い付いちゃったら実行したくなるよね。
試しに少し目を逸らしてみる。その途端に親父は「お、おい!」と大慌てで俺を呼んだ。なんだこれ、めちゃくちゃ楽しいな。再び親父に視線を戻す。親父は焦って立ち上がり、俺の方へ一歩踏み出した所でウォーリアのでっかい剣に止められた。
おお、何だコレ。俺今この空間を支配してる。ニヤニヤしちゃいそう。凄い楽しい。運命に翻弄されるばかりだった俺が! いつも誰かの思惑に踊らされてた俺が! 視線一つでどいつもこいつも右往左往! なにコレなにコレ! 今なら何でも出来ちゃうんじゃないの。子供の頃に我慢したあれやこれやとか。大きくなってから我慢したあれやこれやとか。こっちに来てから我慢したあれやこれやとか。抱き締めてとか。肩車してとか。そばに居てとか。優しくしてとか。遠くに行かないでとか。俺を見てとか。
しかしそうも言ってはいられない。大体俺はハイタッチさえ出来ればいいのだ。今更大昔の我が儘を持ち出すほど子供じゃない。俺はいい加減に目を逸らしたり溜め息をついたり涙ぐんで見たりして親父で遊ぶのを止め、真っ直ぐ親父を見た。背筋を伸ばした俺に、親父もまた立ち上がり、真っ直ぐに俺を見た。
知ってるか、俺たちは全く似ていないけれど、こうして真面目な顔をしていると横顔が良く似てるんだ。これは後見人が教えてくれた。
「悪かった」
「べつに、いい」
「なにがあったんだ?」
「親父にとっては未来のことだよ」
「そうか」
そのまま俺たちは見つめ合った。目の前にはあんなに会いたかった親父が立っている。腕も足もあの頃の親父のまま。もちろん鱗なんて無いし、見上げるほど巨大だったりもしない。人間の形をしている。俺たちが人間かどうかという問題は一先ず置いておくとして。

俺は一つ大きく息を吐いて、地面に立つ足に力を込めた。親父の強い視線が俺の内面まで見透かしているような気がして、このままだと倒れてしまいそうだと思ったのだ。視線一つでよろめいてしまう程、俺にとっての親父は強大で勇ましく雄々しい存在なのだ。その気持ちが少しでも、俺の視線から伝わればいいと思った。なぁ父さん。俺は本当にね、アンタのことを尊敬してるんだよ。今のアンタには伝えられないけれど、この先迎える未来で、アンタもそのことを知るだろう。だから今は、まだ言わない。
「その未来ってのを、教える気は無いんだな」
「今はまだ駄目だ。知ったらいけないんだ、多分」
だって親父はまだ人間だから。この先自分が、息子が、故郷がどうなるかなんて知らない、ただの人間だから。俺はどうしても、残酷な真実を伝える勇気が持てなかった。だってそうだろ。何度でも言う。自分の存在が夢なのかも、なんて日常的に考えるやつがこの世にいるかっての。いたとしたら、そいつはとんでもなく変人だ。俺はそんな変人じゃなかった。多分親父も、そんな変人じゃない。だから今は知らなくていいんだ。

でもどうしても聞きたいことが一つあった。これだけは親父の口からどうしても聞きたい。もうハイタッチが望めなくてもいいんだ。最後の我が儘、と思って、俺は口を開いた。
「なぁ、俺は親父にとって自慢の息子だった?」
そうだと言ってよ。親父が頷いてくれたら、それだけで俺はきっとこの理不尽に耐えられるから。俺たちの存在の理不尽も、俺たちにだけ未来がない理不尽も、なのに争わなきゃいけない理不尽も、俺だけが知ってる理不尽も、全部その肯定だけで乗り越えてみせるから。
俺の目には涙が溜まっていただろうと思う。必死すぎで、今自分がどんな顔をしているかまで考えることが出来なかった。10年だ。俺はもう、親父と過ごした時間よりも一人きりで過ごした時間の方が長くなってしまった。父と母と手を繋いだ時間より、一人で歩いた時間の方がずっと長いのだ。
こんな悲劇じみたことを他人に語るつもりはない。そんなことをすれば俺は、ナルシストな不幸自慢と思われてしまう。親父にだって言うつもりはない。でも俺はこの10年、ずっとずっとそれだけが悲しくてしょうがなかったのだ。そんな目に合う俺はなんてかわいそうな奴なんだと、いつも思ってた。
だからここら辺で少しくらい、報われてもいいだろう。望むものを一つくらい手に入れたっていいだろう。
でも現実はいつだって俺に厳しいものなのだ。
「いいや」
真っ直ぐ俺を見て告げられた否定に、俺は今すぐ首を括ろうと思った。なるべく人目に付く場所で、仲間も敵も全員が注目するように。この世界の数少ない生き物全員の記憶に残って、親父が常に罪の意識に苛まれればいい。あいつは言葉一つで息子を殺したのだと、常に視線で咎められればいい。そして俺が死んだ場所を見る度に、そこで風に揺られた俺の死体を思い出せ。いやでも俺は偽物のティーダらしいから、親父は俺を思い出したりしないかな。どこか遠くにいるらしい、一人ぼっちの本物のティーダを思い出すのかな。でも取り敢えず俺は、この世界で最も目立つ死に場所を見付けなくてはいけない。
「はは」
一瞬で今後の予定を決めた俺の口からは、力なく笑い声のようなものが漏れた。溜め息だったかもしれない。まだ親父は俺を見ていて、その真っ赤な目の奥はよく見えない。
背中に誰かの手が添えられた。温かいそれが誰のものかは分からない。スコールか、ジタンかもしれない。どこまでも優しい正義の味方様が、今だけは憎い。だってお前たちは生きているんだろう。俺より不幸ではないんだろう。生きて、そしてまだ夢の最中にいるんだろう。全ての夢をもう終わらせてしまった俺と違って。自分自身が夢と消えた俺と違って。お前たちの夢の先には未来があるんだろう。
「お前は、自慢の息子だったんじゃない」
じゃあなんだ。もう口を笑いの形に歪める気力もない。ただ親父を見る。
と、そこで俺はまた気付かなくてもいいことに気が付いた。親父は真剣な顔をしてるんじゃない。
なんだアレ。どっかで見たぞあの顔。絶対見たことあるぞあの顔。親父が決勝ゴールを決めたスフィアとか、ザナルカンド一の美女って言われた母さんとの結婚式のスフィアとか、ジェクトシュートの見本を見せた直後とか。あっれ、見たことある。あの顔、絶対見たことある。俺がイラッとするシーンでは必ずしてた気がする。あの顔を見る度に俺は心底イラッとした気がする。
嫌な予感がするぞ。親父が次の一言でこのシリアスな泣いちゃいそうな場面をぶち壊す、そんな予感がするぞ。ティナ、涙を拭いた方がいい。絶対に君が泣くほどの価値はこの場面にはない。ああ忠告してやりたい。でも背中に添えられた温かい手が俺の行動を遮る。
待ってそんなに俺を心配しないで。俺はもう大丈夫だから。親父へのガッカリ感とか失望感とかいろんなものを無事思い出したから。さっきまでの悲観的で自虐的なティーダは無事に首を括ったから。後に残ったのは、相変わらず心の淀んだティーダだけ。
「お前は…」
その口を閉じろ親父。やめておけ。アンタが思ってる程アンタは格好よく無いんだ。いや確かにさ、俺にとっては最高の親父だよ。めちゃくちゃ格好いいよ。でもアンタはオッサンなんだよ。厳つくて汗臭そうなオッサン、それが他人から見たアンタなんだよ。止めとけよ火傷するだけだって!
俺の願いも虚しく、親父は続きを口にした。俺を苛立たせる、あの最高のドヤ顔で。
「いつだって俺の自慢の息子だ。過去形なんかじゃねぇ」
ひゅーう格好いーい。思わず馬鹿にする意味でニヤッとしかけたのは俺だけだったらしい。
背中に当てられたスコールの手が震えた。スコールを見たら鼻の頭が赤くなっていた。口をぎゅっと噤んでいる所から推測するに、泣くのを堪えているのだろう。ティナはハッとした後その大きな両目からポロポロと涙を零した。ジタンの目もバッツの目も赤い。ウォーリアの背中が僅かに震えるのを見た。他の仲間たちもそれぞれ、どう見ても涙を堪えている。それを俺は、どこか冷めた気持ちで見ていた。

あれ、これ見覚えがある光景だな。つい今朝までと全く同じ光景だな。熱くなる仲間たち、一歩退いた所から見る俺。良く見るというか、いつもの光景である。いつもと違うのは、仲間の視線の先に親父がいることくらいだ。
あんなに会いたかった親父が今はもう遠い。そりゃそうだ、なんで忘れてたんだ。だって知ってたじゃないか。俺は、清算済み。親父は、未清算。
分かるかい、ティーダくん。俺と、親父は、相容れない。なんか清算とかそんな問題じゃない、もっと根本的な性格とかそっち方面の話のような気もするけど。とにかく俺たちは相容れない。
俺はそっと目元を拭った。当然そこは乾ききっている。だが経験則により、拭うふりをした。心中で何を思っていても、取り敢えず周りに流されておけ。それが、俺がこの異世界で学んだことである。暑苦しく感動する面々の中で、俺は一人乾ききった目元を擦り続け、泣いている演技をしたのであった。
ああ親父、ネオ・ティーダくんの目は完全に死んでしまったよ。それもこれもあれもどれも親父のせいだよ。親父が、暑苦しい未清算の人間だったせいだよ。

何だかよく分からないが、最終的にジェクト格好いいみたいな空気になってしまった。相変わらず寒すぎて一周回って逆に格好いいような気がすることを言うのが上手い親父だ。しかしそこで恥をかかないところが親父の一番格好いい所のような気がする。俺も大概親父が好きだな。
ネオ・ティーダなんて最初からこの世に存在しなかったんだ。そんな気持ちで、仲間たちがやいやいと親父を持ち上げる様を、俺は一歩下がったところから見ていた。目なんてとっくに死んでる。ダークサイドとか生まれた時から落ちてましたよってレベル。
「よぉし、俺たちも頑張るぞ!」
ぼんやりしてるうちに、何らかの形で話の決着がついたらしい。おお! とか言いながら拳を突き上げる仲間たちを見ながら、俺も惰性のように拳を上げた。だって俺、回りに流されて拳突き上げるしか能の無い、目の死んだ根暗野郎だから。ほらね、親父の助けが遅いから、俺こんな生き物になっちゃった。正義とかもう信じない。何も信じない。
決着をつけに来たはずが、気が付いたら和気藹々としてしまった。離脱する機会を逃したのか、何だかんだで敵方も全員いるのが恐ろしい。彼らは俺よりも死んだ目で、俺よりも離れた所からこの茶番を見詰めている。ご苦労様、という意味を込めて視線を送っておいた。ゴメンね、俺が親父に飛びついたりしなければこんな茶番は始まらなかったのにね。

帰ろうか、という雰囲気になって、俺も踵を返そうとした時、ふと親父と目が合った。いや、目は何度も合っていた。でも俺たちは敢えて、言葉を交わそうとはしなかった。だって親父は俺たちの和解を知らないし、俺は和解をしていない親父にはそんなに用事は無いからだ。どうしても確かめたかったことは、さっきの遣り取りの中で確認してしまった。
親父は、未来に起こる息子との何かを気にしないことにしたらしい。きっと素敵なことだと思ってんだろ? くくく、良く聞け、最低最悪の悲劇だ。と思っても言ってはやらない。まだ知らなくていい。
目を合わせたまま立ち止まっていると、親父が不意に口を開いた。
「またな」
「ああ」
短く交わす。何気なく親父が手を上げたから、俺も手を上げる。あんなにしたかったハイタッチではない。拳を軽く合わせただけだ。ハイタッチをしたい親父は、もう少し未来の親父だから今はこれでいい。そしてそのまま、背を向ける。
別れは異様にあっさりとしていて、でも俺はすごく満足していた。俺たちにはこれくらいが丁度いいのだ。

気分はすっきりとしている。きっと俺は明日も未清算の人間に囲まれて、清算済みの我が身を可哀そうがるだろう。そして周りに合わせて拳を突き上げて、ああ親父に会いたいと心の中で繰り返す。もしかしたら、呼ばれるのが早すぎた親父を少し恨むかもしれない。
でもなぜか、昨日までより少しだけ、ほんの少しだけだが、真面目に正義の味方サマをやってもいいかなって気分になれた。作り物みたいで出来過ぎな、現実感の無い冗談みたいな世界だけど、親父がそこで真面目に悪役やるってんなら俺も真面目に正義の味方をやってやろう。だって俺はほら、ネオ・ティーダだから。綺麗なものだけで構成されてるから。そうして夜空で輝いて、あの子に見つけてもらうんだから。目は死んでるけど。
物事にはタイミングってものがあって、俺が呼び出されたタイミングは間違いなく最悪なものだったと思う。でも、これもまた必要なことだったんじゃないかとも思えるのだ。
こういう遊びはもっと早く誘ってほしかった。でも、こういう出会いならこのタイミングで呼ばれてもそんなに悪くないかもしれない。
少なくとも俺は、自分がごく普通の人間だと信じている頃の親父に、息子に憎まれているわけでは無いと教えてやれた。それはとても、人間らしい幸せのような気がした。
でもさ、でももしもやり直していいよって言われても、俺はこのタイミングは選ばないだろうけどね。








2013/12/26 00:53
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