「大事な大事な男の子、あたしの唯一なの。あたしの太陽で、光で、救世主で、親友なの。ねぇお願い、あの子を助けてあげて」

そう言って、女の子はポロリと一粒涙を流した。
女の子は秩序の戦士だというのに、私を前にしても臆することなく言葉を紡ぐ。不思議な女の子だった。髪は太陽の光を集めたような完璧なブロンドで、彼女が歩く度に細かい三つ編みが跳ねる。妖精みたいに可愛い女の子。妖精みたいに純粋な女の子。そんな女の子が、私の前で泣いている。
キラキラ落ちた雫は、そのまま真珠になるのかしら。行方を目で追ってみても、雫はただ地面に染み込むだけだった。ああ、私が見つめているから駄目なのね。人知れず流された涙だけが、真珠になるのよ。お伽話のように美しい女の子は、ただ黙って涙を零し続ける。

「私、混沌なのよ。誰も救えないわ」

私の言葉に、女の子は一度大きくしゃくり上げる。子供みたいに泣くのね。子供の泣き止ませ方なら知ってるわ。
女の子の頬に手を当てて、大粒の涙を拭う。頭を撫でて、髪を梳いて、肩に手を添えてもまだ泣き止まない。

「泣かないで、どこも痛くなんてないのよ」
「ううん、痛いよ」
「いいえ、痛くない。だって貴女は怪我をしていないもの」
「そうじゃなくて、心が痛いの」

心って、何かしら。私は多分持っていないそれが痛いと言って、女の子が泣く。でも私は心がどこにあるのかを知らないから、ケアルをかけてあげることも出来ない。

「心って、どこにあるの?」
「わかんない」

分からない場所が、痛いのかしら。お伽話から抜け出たような女の子は、やはりお伽話のように不思議なのだ。少し考えて、これなら私でも理解出来そうだという質問に変えることにした。

「どうして心が痛いの?」
「だって、アイツ多分泣いてるもん。泣き虫なのに、きっと誰も慰めてくれない。あたしが慰めてあげたいのに」
「その子を慰めると、貴女の心が痛くなくなるの?」
「違うよ、アイツが幸せになってくれないと、ずっと痛いまま」
「なら幸せにしてあげればいいわ」
「出来ないもん!」

そう叫んで、女の子はさっきよりも激しく泣き出した。癇癪を起こしているのね。わんわんと泣く声は、きっと遠くまで響いている。この声を聞いて彼女の仲間が迎えに来てくれたらいいんだけれど、きっと無理だろう。どうやって入り込んだのか、ここは混沌の領地の奥深くだから。

「その子を連れて来たら、貴女は泣き止むのかしら?」

今度は悲鳴のように細く息を吸い込んで、女の子は唇を震わせた。顔は青褪めて、瞳は見開いている。怖い怖いお化けに出会ったような顔をして、女の子は素早く左右に首を振った。

「ダメ、絶対絶対ダメ。あたしがここにいることも言っちゃダメ」
「なぜ?」
「だってあたし敵だもん。仲間なのに、親友なのに、敵になっちゃった。アイツが知ったら泣いちゃう」

女の子はその子を慰めたいのに、女の子がここにいると分かるとその子は泣いてしまうらしい。ならばどうやったって、女の子もその子も泣き止まないということだ。複雑で面倒で絡み合っている。
私は考えるのを止めて、女の子の肩を抱いた。

「座って。ねぇ、その子のことを聞かせて。あなたのお友達の話」

誰かに聞いてほしいんでしょう、それは言葉にはせずに、近くの段差に座るよう促す。素直に言われるがまま座った女の子は、隣に座った私の肩にぴったりとくっついた。触れ合った肩が女の子の体温を伝えてくる。女の子がしゃくり上げる度に伝わる振動が、彼女の嘆きを伝えるかのように私まで揺らした。
小さな子供みたいね、泣き方も、行動も。ママとパパが早く迎えに来てくれたらいいのに。女の子の涙が涸れてしまう前に。


「ねぇ、名前を教えて」
「…リュック。あなたは?」
「ティナよ。ねぇリュック、泣かないで」
「ティナ…ちょっと、名前似てる」
「その子と?」
「うん。すごく強いんだよ、きっと世界で1番ってくらい強くて、足も速くて、何時間だって水の中にいられるの」
「そう」

さっきまで泣いていたのに、まだ涙の残る目元で笑ってみせる。そんなに好きなのね。でもそれは分かっていたことだ。こんな混沌の奥深くまで入り込んで、私みたいなヒトの出来損ないに泣いて頼むほどだもの。
大事な人が混沌にいるのだと言った。混沌にいるのはどれもこれも、ヒトの成り損ないか出来損ないだ。ヒトになれなかったヒトに似たもの。何よりもヒトになりたいと願ったもの。私と同じそれの為に流される涙は、私の目に殊更美しく映った。愛されるって、どんな気持ちなのかしら。

「愛しているのね」
「えっ、あっ、…うん」

消えそうな声で肯定したリュックは、顔を真っ赤にして俯く。晒されたうなじまで赤くなっている。

「親友だもん。1番仲良いんだもん。何も言わなくたって、何でも分かったもん」
「じゃあリュックがここにいることももう知ってるんじゃないかしら」
「ううん、ダメ。だってアイツ今混沌だし…知ってたら困る」
「何ていう名前なのかしら、その子は。もしかしたら知ってるかもしれないわ」

リュックは躊躇って、視線を左右にさ迷わせる。ああ、また泣いてしまうのかしら。
出来たら泣かないで欲しい。彼女がヒトでない私の仲間のために流す涙はとても綺麗で、羨ましくなってしまうから。リュックの涙が私のためのものであったらと、想像してしまう。だって同じ出来損ないなのに、ズルいでしょう。

「ティーダって…いうの」
「あら、ティーダだったのね」
「知ってるの?」
「知っているわ。いつもボールを抱えて、一人でつまらなそうにしているの」

私の言葉を聞くと、リュックは唇を噛んで俯いてしまった。その瞳から涙が零れなかったことに安堵して、リュックの華奢な手をそっと握る。
言われてみれば、似ているかもしれない。温かな金髪も、柔らかな雰囲気も、奇跡のような優しさも、ティーダとリュックは似ている。二人が寄り添って笑い合う様は、容易く想像できた。きっと笑ったらもっと似ているのだろう。
せめてリュックだけでもどうにか笑ってほしくて、私は口を開いた。ああ、この二人は甘やかしてあげたくなる所まで、よく似ている。

「ティーダはいつも一人でいるわ」
「………」
「可哀相な子。混沌に染まってしまえば何も感じなくなるのに、それが出来ないの。あの子の魂はとても輝いているから。優しい子よ、きっと混沌にいるべきではない子」
「うん…すっごい優しいの。優しくて、それで…」
「悲しい子ね。…混沌が、誰より似合わない子」
「混沌なんか捨てて、秩序に来ればいいのに! だって、何にも悪いことしてないもん。ティーダのやったのが悪いことなら、あたしだって混沌なのに!」

遂にリュックは再び泣き出した。輝く涙は滝のように流れ、彼女の手をしとどに濡らす。少しでも彼女の慰めになるように、膝に顔を埋めたリュックの肩を抱いた。

「いつも一緒にいたの。ねぇ、ずっと一緒だったんだよ。アイツがあたしたちの世界に来て、始めから最後まで。あたしが誰より最初に出会ったんだよ」

縋るように、リュックが私の肩に頬を寄せる。私たちは抱き合うように、温め合うように、お互いの背に手を回した。

「消えちゃう所まで、ずっと一緒だったのに。何にも悪いことしなかったのに。どんな悲しいことも、一生懸命笑って耐えたのに!」
「ええ、ええ」
「悲しいことばっかりだったの。辛いことばっかりだったの。でもアイツがいたから耐えられたの。あいつがいなかったら、きっと何にも出来なかった。なのに…何で離れ離れなの」

それっきり、リュックは私の肩に涙を落とし続けた。きつく回された腕が痛いけれど、きっとこれが彼女が感じている心の痛みというものだろうと、黙って耐えた。体中の水分を出し切ってしまうのではないかという程に泣く彼女の痛みは、もっと大きいのかもしれないけれど。

どれくらい時間がたったのか、泣き止んだリュックがそうっと顔を上げる。目は赤く腫れて、このまま帰れば仲間に心配されてしまうだろう。

「ゴメン。服、濡れちゃった…」
「いいのよ。すぐに乾くわ」
「うん、でも…ゴメン」

気にしないでと言う代わりに、涙の跡のついたリュックの頬をそっと撫でる。顔を覗き込んだ私に、リュックは僅かに口角を上げてみせた。笑みとも呼べない控えめなそれは、しかしひどく私を安心させた。泣いているよりは、下手くそでも笑ってくれた方がいい。どうやらこの短時間で、私はリュックをとても気に入ってしまったようだった。
そっとリュックが離れ、再び隣り合わせに座り直す。自然に互いの手を絡ませ合ったら、リュックがことんと私の肩に頭を乗せた。柔らかい金髪に、私も頬を寄せる。

「ティーダ、カッコイイでしょ?」
「ええ、そうね」
「王子様なんだよ。お姫様のために、どんな敵にだって立ち向かうの」
「お姫様は、あなた?」
「ううん、あたしは…お姫様の騎士かな。王子様と一緒に、お姫様を守って戦うの」
「素敵ね」
「でしょ? 一緒なら、何にも怖いものなんて無かったんだよ」

ぎゅっと、リュックが強く私の手を握る。目はどこか遠くを見て、懐かしそうな光りを宿した。もう戻れない時に思いを馳せているようだ。

「一緒にいられるなら、混沌だって秩序だって何だって良かったのに」

ぽつりと漏らされた言葉は、間違いなくリュックの本音だった。彼女はティーダが混沌に喚ばれたことを嘆いているのでは無い。ただ、同じ場所に喚ばれなかったことを嘆いているのだ。
きっとリュックは、二人一緒ならば混沌として世界を滅せと命じられても、どうでも良いのだろう。辛いことも悲しいことも、二人ならば乗り越えられるのだから。
出来ることなら代わってあげたいけれど、ヒトにもなれないこの身では秩序の戦士として振る舞うことさえ難しいだろう。だって私は、心がどんなものかさえ知らないのだから。ティーダとリュックが二人でなければ乗り越えられない混沌の非道も、私には日常でしかない。
本当に、二人は魂を分け合って生まれてきたのではないかというほど、良く似ている。

「そっくりね」

私の言葉に、リュックは瞳だけで意味を問う。渦巻きの不思議な光彩は、見ていると深い深い深淵に引き込まれてしまいそうだ。

「あなたたちは、そっくり。きっと、一つに生まれてくるべきだった」
「一つじゃ、慰められないよ」
「でも離れ離れにはならないわ」

リュックは口を噤んで、握った手にさらに力を込めた。

「どんな所が似てる?」
「髪の色も、笑い方も、涙も、温かさも、全部」
「………」
「あと、そうね。太陽に似ているわ」
「なにそれ」

眉を寄せるリュックは不可解そうだけれど、私は見付け出した表現にこの上なく満足していた。そう、この子たちは太陽に似ている。強く、明るく、そして誰も寄せ付けない。不用意に近付けば、あまりの眩さに焼け爛れてしまう。この子たちは、太陽そのものだ。誘われた私を、その優しさで無慈悲に焼き尽くす。

「そっくりよ。あなたたちは、太陽なのね」

手を伸ばしたいけれど、私にそれは許されない。
リュックは小さく、本当に小さく笑った。今までの下手なそれではなくて、心から。そして、私の手を持ち上げ、自分の頬に当てる。

「なら、ティナは月だね。綺麗で、静かなの」

驚いた私を見て、リュックはまた笑った。リュックの微笑みを見ていると、胸の辺りが締め付けられて、ここではないどこかへ帰りたくなる。帰る場所なんて、持ってはいないのに。

「私が月?」
「そう、夜空を照らす月。旅人が心の支えにする光」

そんな綺麗な表現が私に似合うとは思えなかったけれど、リュックが私を何かに例えてくれたということが嬉しくて、目を細めた。出来るなら、今目の前にいる妖精のような女の子の心を支えてあげたい。彼女が片割れを見つけて完璧な太陽になれるよう、暗い道行を照らしてあげたい。
ああなんだ、確かに私は月だわ。いつまでたっても太陽に近付けない所なんて、そっくり。

「ありがとう、リュック」
「ティナも、ありがとう」
「秩序の聖域の近くまで送って行くわ。ここは危ないから」
「うん。あ…」
「大丈夫。ティーダには、あなたがいたこと言わない」

リュックは眉を下げて、もう一度お礼を言った。

立ち上がり、リュックの手を引く。繋がれた手の温かさは、奇跡のように私に染み込んだ。こうしていつまでも握っていれば、私の冷え切った手にも彼女の体温が移るかしら。そうなればいい。そうしたら、私は夢の終わりで膝を抱えるティーダの手を温めてあげることが出来るから。彼の何より大事な片割れから貰った体温で。
無言で、出来る限りゆっくり、しかし真っ直ぐに秩序の聖域に向かって歩く。もうあと少し一緒にいたいけれど、きっとリュックの仲間たちは彼女のことを心配しているだろう。もう随分と長い時間、彼女は私と一緒にいる。

「ねぇ、また会いにくるね」
「ええ、待ってるわ」

不意に足を止めて、リュックが言う。彼女にもこの時間の終わりが目前だと分かったのだろう。私の手を両手で包み込んで、私の目を覗き込んで笑う。
この約束が果たされることは無いだろう。私は混沌の戦士で、彼女は秩序の戦士だ。きっとリュックは本当に私を探してくれるだろうが、私が彼女の前に現れることは二度とない。もう十分すぎるほど、私はリュックの優しさに触れた。その渦巻き模様の目に醜いこの身を映してもらった。これ以上リュックと接したら、私は綺麗なあの子が欲しくなってしまう。私が欲するものを、私の持ち主である残虐なピエロは放っておかない。

「じゃあ、またね」
「ええ」

手を離す。妖精はお伽の国へ帰る時間だ。私は自分のいるべき場所に戻り、寂しがり屋の太陽の隣に座ってあげよう。片割れを失った彼が、せめて寒くないように。

一度だけ振り返って、リュックが大きく手を振る。私はその場に佇んだまま、小さく手を振り返す。リュックの足が地面を蹴って、森の向こうに消えて行く。その背中が木々に紛れて見えなくなるまで見送って、私は空を見た。
威風堂々と言うには些か威厳の足りない、どちらかと言うと繊細な秩序の塔が天に向かってそびえ、仄かに放つ神々しい光が大地を照らしている。私が一度も行ったことがないあそこでは、秩序の戦士たちが微笑みを交わしているのだろうか。その光景を想像してツキリと痛んだ何かが、もしかしたら心なのかもしれない。






2012/09/28 00:15
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