いつか、任務中の待機時間、暇を持て余して雑談したことがある。相手は子供の時からバラムガーデンにいる女性で、どんな話の流れだったのか僕は質問をした。

「なんで任務のことだけ忘れないんだい? 君たちは色んなことを忘れるのに」

彼女は、そう確か金髪だった。太陽の光を反射して、やけに眩しかったのを覚えている。光の帯を束ねたような金髪を揺らして、彼女は笑ったのだ。

「本能よ」

僕は何故ともう一度問うた。

「帰巣本能なの。何があったって、ガーデンに帰るのよ。自分の名前すら思い出せなくても、任務さえ覚えていれば帰れるでしょう?」

それに何と返したのかは、もう覚えていない。でも、とても泣きたくなったのは覚えている。



一年に及ぶ単独潜入任務は、僕の心をひどく疲弊させた。
構成員にG.F.をジャンクションさせ、悪事を働く組織。与えられた任務は組織に潜入し幹部の信を得て、組織がG.F.ジャンクションを知った経緯と手に入れた経路を探ること。
潜り込んだ組織で当然のようにジャンクションさせられたG.F.は、容赦なく僕の心の拠り所を奪っていく。両手から零れる水のように記憶は失われ、もはや何を忘れたのかさえ分からない。ただ愛用の銃の部品、解体せねば見えないそこに、僕のものでは無い筆跡で刻まれた「無事で」の文字だけが、アーヴァイン・キニアスという名の僕を繋ぎ止めていた。

「おい、ボスが呼んでるぜ」
「今行く」

特徴的だった長髪は、この任務にあたる前に切り落とした。ふわふわで気持ちいいと誰かに褒められて、僕はそれがとても嬉しかったはずなのに、もう誰に言われたのかも思い出せない。誰かさんは短髪になった僕を見て、どんな感想を述べたのだろうか。服装も変えて、ダメージジーンズに色の褪せたTシャツを着てしまえば、どこにでもいるならず者の出来上がりだ。アーヴァイン・キニアスはお洒落好きな男だったはずだけど、今の僕は服よりも賭博なんかに興味のある男だ。
女の子にウケる甘い顔立ちは、少々そっちの気があるらしいボスのお気に召したようで、僕はとんとん拍子に組織内での地位を上げた。必要な情報はほぼ集め終わって、定期連絡でガーデンにも伝えてある。あとは撤退の合図を待つだけだ。
ボスの部屋の扉を叩きながら、一刻も早く撤退命令が出ることを祈った。もうガーデンの全景も、そこで共に過ごした人々の姿も思い出せないけれど。見上げた空は酷く晴れていて、突き抜けるような青が誰かの瞳を思い出させるような気がした。



ドールの港で、僕は途方に暮れていた。撤退命令が出たのは、今朝のことだ。僕は嬉々として自分の痕跡を消し、愛用の銃を手にアジトを出た。
ティンバーで同行者を撒き、一度ガルバディアに入り、更にドールへと渡った。自分がバラムガーデン所属のSeeDだと悟らせない為だ。ドールでSeeDの拠点に入り、私服に着替えた。テンガロンハットは似合わない気がして、手に持つだけにした。これでボスのお気に入りのブラウンは、この世のどこにも存在しない。ブラウンは、この一年使った僕の偽名だ。自分の髪の色か、いつも被っていたテンガロンハットの色から取ったのかと思っていたけれど、違う気もする。
ここまで来て一体何に困っているかと言うと、今更ながら帰り方が分からないのだ。ドールまでの手順は撤退命令と共に細かく指示されたし、任務前に渡された書類にも書いてあった。しかしドール以降のことは書いていない。ということは、ドールからガーデンまでの道のりは、SeeDにとっては書くまでもないほど容易なものなのだろう。しかし一年もの間G.F.をジャンクションし続けた影響か、僕にはそれさえ分からなくなっていた。

港に佇み、ぼんやりと海を眺める。バラムガーデンというからには、ガーデンはバラム近郊にあるのだろう。正確な場所は、覚えていない。ただ、この海を渡ればバラムなのは確かだ。適当な定期便にでも乗ればいいのだろうか、それともSeeD専用船などがあるのだろうか。誰かに聞きたいが、誰の顔も浮かんでこないし、大体連絡手段も無い。弱りきった僕に、後ろから声がかかった。

「おい、おいてめぇだヘタレ野郎」

振り返ると、やけに不機嫌そうに眉間にシワを寄せた男がいた。顔を斜めに走った大きな傷と白いロングコートが、とんでも無く男の威圧感を増している。ただでさえ長身なのに、これでは誰もが避けて通るだろう。
目を瞬いて男を見ていると、そんな僕の反応に男は首を傾げ、その後何かに納得したように頷いた。

「自分の名前は分かるか?」
「ケヴィン…」
「そっちはもう終わっただろうが」
「…アーヴァイン・キニアスだ」
「よし、それが分かってんならいい。帰るぞ」

ケヴィン・ブラウン、それが今朝までの僕だった。しかし男は僕の本名を聞いて、満足そうに頷いた。
本当なら、警戒すべき場面だ。しかし何故かそんな気は起こらなくて、促されるままに男が指定する船に乗り込む。何より、帰るという単語に酷く心惹かれた。客は僕らだけなのか、直ぐさま船が岸を離れる。遠ざかる岸を見ながら、僕はどうしようもないくらいにホームシックだったらしいと気が付いた。

男は名乗らなかった。名前を聞いたら鼻で笑って、それっきりだ。「てめぇが覚えてねぇってのも中々面白いな」とだけ言った。僕と同じく任務帰りなのだと言って、疲れていたのか男は寝てしまった。
船が着岸し、起こすべきか迷っているうちに男は自分でさっさと起き出して、今度は当然のように近くに停めてあった車に乗り込む。早く乗れと言われてようやく、僕は男もSeeDなのだと気付いた。何故気付かなかったのだろうか。一体何の任務帰りだと思ったのだろう。
男は僕をガーデンまで連れ帰ってくれるらしい。もしかして、親しい間柄だったのだろうか。だとしたら名前を尋ねたのは失礼だったかもしれない。結局、ガーデンにつくまで会話は無かった。

ああ、確かにこんな感じだったかもしれない。それがガーデンを見た最初の感想だ。思っていたより大きかった。男はどうやら用事があるらしく、駐車場に車を止めると「司令室行けよ」と言い置いてどこかに行ってしまった。実は司令室とやらが何処にあるのかも分からないのだが、そこまで迷惑をかけるわけにも行かず、こうして一人で歩いている。
擦れ違う人擦れ違う人、皆が声をかけて行く。おかえりだとか、久しぶりだとか。どうやら僕は知り合いが随分多かったらしい。それに曖昧に答えて、司令室とやらを探す。ようやく見付けた案内板で、この階には無いのだと知った。
しかし、一介のSeeDである僕が何のアポも無しに司令室に入れるものなのだろうか、という心配は杞憂に終わった。エレベーターも司令室のドアも、僕の指紋であっさりと動いたからだ。迎え入れた青年を見て、少し不思議に思った。ここにはもっと歳を取った小太りの男性がいたような気がしたのだ。今目の前にいる黒髪の男よりも、にこやかな。だがきっと僕の勘違いなのだろう。向き合った青年には、さっきの白コートの男と対になるように、顔に傷が走っていた。

「ご苦労だったな」
「はい」

青年もとい司令官が、一瞬怪訝な顔をする。

「帰ってこれて良かった」
「ドールからは、白いコートを着た顔に傷のある人が送ってくれました」
「サイファーが?」

そうか、サイファーと言うのか、あの男は。聞き覚えは、無いと思う。ぼんやりと考えていたら、司令官は人形じみていると言ってもいいほど美しいその顔を、少し笑みの形に変えた。

「そうか。…あいつ、お前のこと心配していたんだぞ」
「そうなんですか?」

やはり、親しかったのだろうか。でもあの男はそんな素振りは全く見せなかったのに。
司令官は、もう一度怪訝そうに僕の顔を見た。しかし何も言わず、ただ何かに納得したように頷いて少し楽しそうに笑うと、一枚の紙を差し出す。司令官の、彼に不似合な笑い方に気を取られて一瞬反応が遅れてしまったが、司令官が気にした様子は無かった。

「今日から一ヶ月の休暇だ。これがお前の部屋の場所と、ネットワークの暗証番号。ゆっくり過ごせ」
「はい」

敬礼をして、背中を向ける。自動ドアの開閉ボタンに手を伸ばしたところで、後ろから司令官に名前を呼ばれた。返事はせず、ただ振り返る。地図の表示された大きな机にもたれ掛かった司令官は、さっきよりも柔らかい笑みを浮かべていた。

「サイファー、今回の任務はバラムだったんだ」
「そう…ですか」
「ああ。じゃあ、良い休暇を。…おかえりアーヴァイン」
「はい」

改めて扉を潜って、廊下に抜ける。エレベーターのボタンを押し到着を待つ間、司令官が最後に僕を呼び止めてまで言った言葉の意味を考えた。任務地がバラムなら、なぜサイファーというあの男はドールで僕に声をかけたのだろう。

時間を持て余してしまった。一ヶ月もの時間を、何に使えばいいのか分からない。きっとアーヴァイン・キニアスには趣味があったはずだ。例えばTボードとか? 考えてみて、頭を振った。しっくり来ない。
そのまま自室に戻っても良かったが、ふと思い付いて食堂に向かう。朝食を食べたっきりで、お腹がすいている。食堂はさっき司令室を探した時に見付けておいたので、迷うことなく見付けることが出来た。

「あれ、アーヴァインじゃん。帰ってきてたのか?」
「ああ、うん。ついさっき」

空いていたテーブルに座ると、端に座っていた金髪の少年が話し掛けてきた。逆立てた髪と、額から頬にかけて入ったトライバルが印象的な少年だ。アーヴァインの友達は顔に特徴のある人物が多いな、と思って少し笑った。アーヴァインは僕だ。

「髪切ると爽やかだな」

6人掛けのテーブルの端と端に座っていたのに、少年はわざわざ僕の正面に移動した。少年のトレイの中身は既に空に近く、少年が僕と話すためだけにわざわざ移動したのだと分かる。

「子供の頃みたいだ」
「あー…うん、まぁね」

少なくとも、子供の頃を知ってる程度には深い付き合いらしい。答えあぐねて曖昧に濁した僕を、少年はキョトンとした顔で見た。小さな子供のように無防備な顔だ。
しかしそれも数秒のことで、少年はすぐに訳知り顔になると僕に向かってにんまり笑う。

「今は俺の方がよく覚えてんだな」
「サイファー、だっけ? 白いコートの彼にも似たような言われたよ」
「そうかそうか」

まるで悪戯に成功した子供のように、少年はくつくつと笑う。そのまま立ち上がると、飛ぶように一歩で僕の隣に立った。

「俺、今から二週間エスタなんだ。会えてよかった」
「あ、うん」
「帰ったら遊ぼうな」

体格に見合わず大きい、ごつごつした手がこちらに伸びる。避ける間もなく、タコの目立つ手の平が僕の髪を掻き混ぜた。

「うわっ」
「セルフィに会ってこいよ、待ってるぜ」

そしてそのまま、振り返ることなく少年は空のトレイを抱えて行ってしまった。名前を聞き忘れたな、と気付いたのは、自分のトレイを空にしてからだった。

昼食を終えて、またガーデンをぶらぶらと歩く。さっき巨大な飛空艇が飛び立つのを見た。あの少年が乗っているのだと、なぜだか僕は確信した。こんなに直ぐに飛び立つほど出発時間が近づいていたなら、食堂で悠長に過ごしていて大丈夫だったのかな。なんでギリギリまであそこにいたのだろう。あのせいで遅刻したのではないだろうかと心配になる。怒られなければいいな、と思った。
さてどうするか。訓練施設に行く気分ではない。図書館も気が進まない。寮に戻るのも物足りない。足は自然と、中庭へと向かう。踏み入れた中庭では学園祭が近いのか、そこかしこで金槌を振るう音や掛け声が聞こえた。何処か懐かしい気がする。僕は学園祭実行委員でもしていたのだろうか。あちこちから視線を感じる割に誰も話しかけてこなくて、少し戸惑う。実行委員では無いけれど、彼らとは面識があったのだろうか? だとすると僕には何の目的があったのだろう。
木々の間を抜けて芝生を通り、たどり着いた中庭の1番奥。特設ステージの前に、その女の子はいた。

外に跳ねた髪が風に揺れて、真ん丸な瞳が僕を映す。女の子は僕を認めるとこぼれ落ちてしまいそうなほど目を見開いて、直ぐさま満面の笑みを浮かべた。顔中が口になるんじゃないかってほどの笑顔だ。
女の子は手に持った木槌を放り出し、僕に向かって駆け出した。木槌が飛んでいった先で悲鳴が聞こえたけれど、女の子はそっちを見もしない。両手を大きく広げ、僕だけを見ている。避けることもできたけど、僕の足はそれをしようとはしなかった。
力一杯胴にタックルをかまされて、思わず倒れそうになるのを何とか堪える。アバラくらい折れたんじゃないかという衝撃に、声さえ出せない。

「アービン! おかえり〜!」
「う、うん…」

随分幼い呼び方だ。アービン、なんて。彼女意外の誰も、そんな呼び方はしなかった。それだけこの女の子は僕にとって特別なのだろうか。

「えっと…ゴメン、僕…その、君のこと…」
「忘れてしもたん!?」

トラビア訛りだ。ガルバディアで育った僕と、どこで接点を持ったんだ。バラムガーデンで知り合ったのかな。
忘れた、という単語に、女の子は泣くかと思ったけれど、そんなことは無かった。さっきよりもずっとずっと嬉しそうに、彼女は笑う。

「ほんなら、今はウチの方がアービンに詳しいんやんな!」
「…僕は、そんなに記憶力が良かったかい?」

女の子はまだ僕に抱き着いたままだ。そのまま甘えるように僕に頭を擦り付けて、うふふと笑う。本当に楽しそうで幸せそうな笑い声に、僕の方が困惑してしまう。忘れられたのに、何故こんなに楽しそうなのだろうか、誰も彼も。だって、僕だったらきっと忘れられるなんて耐えられない。泣いてしまう。

「サイ、ファー? にも、顔に入れ墨をした子にも、言われたんだ。司令官も、笑ってたし」
「顔に入れ墨しとんのはゼルで、司令官はスコールや」
「そっか…その、僕は」
「アービンは、全部覚えとってんで」

僕の胸元から顔を上げて、女の子が僕の瞳を覗き込む。司会一杯に広がった彼女の瞳は、吸い込まれるかと思うほど美しかった。

「アービンだけが、覚えとった」
「僕、忘れちゃったよ」
「今度はウチらが覚えとるからええんよ」

抱きしめる力が強くなる。恐る恐る背中に手を回したら、ますます強くなって息が詰まりそうだった。僕は全部忘れてしまったけれど、それでもこの子が覚えててくれるならそれでいいような気もしてきた。胸の奥が熱くなって、その熱がじんわりと心地よく前進に広がっていく気がする。

しばらくそうして、二人抱き合っていた。僕は彼女との関係はおろか、彼女の名前すら思い出せない。でも酷く満たされた気持ちだった。僕はずっとここに帰りたかったのだと気付く。何もかも忘れたって、帰ることだけは、帰る場所があることだけは忘れなかった。

「あら、楽しそうね」

通り掛かった金髪の女性が、抱き合う僕らを見て笑う。口元に手を当てて、まるで子供を見守る母親のように優しい目をしてる。腕の中にいた女の子が嬉しそうに手を振ったから、きっとこの女性も僕の知り合いなのだろう。
彼女は抱えていた資料を側にいた人に手渡して、こちらに歩いてきた。隣に立つと、僕の方が随分高い。当たり前のことなんだけど、僕は彼女がもっと背が高いと思い込んでいた。

「聞いたわ、アーヴァイン。何も覚えてないんですって?」
「うん」
「よく帰ってこれたわね」

楽しそうに目を細めて笑う。金の髪はまるで光の帯を束ねたようで、太陽光を反射して目に突き刺さるほどまばゆく輝く。いや実際に、その光は僕の脳を突き刺した。そうだ、僕はいつだったか、金の髪の女性の言葉に、泣きそうになったのだ。

「本能なんだ」
「あら」
「帰巣本能なんだよ」

本当に本当に楽しそうに、彼女は声を上げて笑った。木々の間を、彼女の笑い声が通り抜ける。春の風のように爽やかに、僕の心を駆け巡る。そして姉のように、母のように、優しく扉を開いていく。

腕の中の女の子に向き直って、大きな瞳を覗き込んだ。新緑の色をした瞳は、どこまでも澄んでいて、彼女の魂そのものだ。外に跳ねた髪は甘そうな栗色で、ツヤツヤと光を反射している。それを見て、ああこれだったんだと納得した。

「ねぇ、僕、君が好きみたいだ」

女の子は顔を真っ赤にして、ウチもやでと可愛く笑った。

ブラウンは僕の髪の色でも、帽子の色でも無い。彼女の髪の色のことだ。ケヴィン・ブラウンだなんて、僕はなんて分かり易い男なんだろう!
短い髪も格好いいと褒めてくれた彼女を、今度は僕から強く抱き締めた。



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2012/08/11 02:43
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