存在意義は、と聞かれたら、きっと迷わず守ることだと答えただろう。
絶対の庇護者だった兄が剣を取り、それでも戦禍は止まることなく、全てを焼いた。街も、大人も、兵士も、全てが一瞬で失われた。
残された子供を守る人間が必要だった。でも大人は復興で忙しく、庇護者を失った子供を顧みる人はいない。
守らねばならない、子供たちを、自分が。ヴァンがそう思い至ったのは、薄暗いダウンタウン、帝国兵から盗んだ銀貨が、掌の上で僅かな光を反射した時だ。もう何も出来ない子供ではない、だが働けるほど大人になってもいない。手持無沙汰で中途半端な存在だ。それでも、残された小さな子供にとっては必要な存在だろう。
何かが欲しかった。自分に頼り、自分を必要とする、自分より弱く小さな存在が。それを守ることに、ヴァンは自分が生き残った意味を見出そうとした。
いざ守るべき存在が、自分を必要とする存在が出来ると、途端にそれがヴァンの生きがいとなった。何よりも儚く、愛おしい存在たち。自分がいなくては生きていけない子供たち。守るためならば、何でもしようと思った。しなければならないと思った。
存在意義は、守ることだ。子供たちを、王女を、仲間を、国を、守ることだ。それらを守る力ならば、どんなものだろうと手に入れてみせる自信など、始めから持っていた。



ヴァンは確かに馬鹿だったが、愚かでは無かった。だから、違う世界の出身である仲間たちの持っている常識と、自分の持っている常識が違うことも、ちゃんと理解していた。国が違うだけでも大きな差があったのだ、当然のことである。
例えば世界には、服を沢山着る所とそれなりに着る所、あまり着ない所に全然着ない所がある。ヴァンの世界は全然着ない所で、ジェクトはあまり着ない所、その他の仲間たちの世界の多くはたくさん着る所。一度スコールに、男でそんな厚着じゃモテないだろ、と言ったら無言で困惑され、ヴァンはこれが世界の差か、と頷いたものだ。なにせヴァンの世界、中でもとりわけヴァンの住んでいた砂漠の国は、王族でさえ半裸で過ごすような場所だったので。
ヴァンは理解していた。仲間として過ごしてはいるが、皆それぞれの人生を持ち、それぞれに違う信念の許生きてきたのだと。しかしだからと言って、分かり合えない訳ではない。それらを乗り越えてなお余りある程の信頼もまた、確信していた。

子供は守らねばならない。それがヴァンの確固たる信念であり、また、ヴァンの世界の常識であった。
あの凄惨な戦争の最中、世界の非道を集めたような帝国軍でさえ、決して子供を手にかけようとはしなかった。もしかしたら、幼く聡明な第二皇子の影響もあったのかもしれない。何せ帝国中が彼を愛してやまなかったのだ。しかしそれは侵略された側であるヴァンの預かり知らぬ所であり、また興味の無い所でもあった。大事なのは、どんなに激化しようと、ヴァンの世界の常識では、15歳以下の子供を決して攻撃せず、ましてや戦場に立たせるなどもっての外と考えていた、ということである。だから、ヴァンはオニオンナイトを見た時、てっきり彼は元来背の低い人種なのだろう、と思い込んでいた。『人間』がただの一種族に過ぎない、亜人種が当たり前にいる王都で育ったヴァンがそう考えるのは、当然のことだった。
そのオニオンナイトがヴァンの基準でまだ幼い子供だと知った時、闘争で疲弊したヴァンの心は、俄かに色づいた。守らねばならない。だって存在意義は守ることだった。ようやく呼ばれた意味を見つけたとすら思った。

神々の争いに興味など、欠片も持っていない。秩序の女神は身勝手に主張をし、混沌の神は戦士の統制さえ取れていない。そもそも自らを決して戦禍に晒すことなくただ安穏と指示だけをしてくる神の、何を信じて戦えというのか。義侠心に溢れた仲間たちのため、決して口にすることは無かったが、ヴァンは一人戦う意味を見いだせずにいた。
空賊は合理的な生き物だ。夢を追い、空に焦がれはするが、合理的でなければ飛空艇の操縦は出来ない。感情に流され理性を捨てたその瞬間に、艇は地面に落ちるだろう。だから、空賊の信じる神も合理的だ。ただ風を吹かせ、石に魔力を宿し、砲弾から艇を守る。実に簡単で分かりやすい、時代と共に能力を増やしていった女神だ。空賊の例に漏れず、古くはただ風を司るだけだったという女神を信仰していたヴァンは、だから合理性に欠ける秩序の女神を敬ってはいなかった。彼女の優しく包み込むような人柄は好いている。だがそれだけだ。命を捨てて、という気には到底なれそうも無い。
ぼんやりと戦っては体を休め、また戦闘に身を投じるというだけの日々を送っていたヴァンは、一気に活力を取り戻した。やるべきことは一つ、世界を守ることでも女神の望みを叶えることでもない。幼い子供を守ることだ。故に、どんなに煙たがられようと、他の仲間に窘められようと、ヴァンはオニオンナイトから離れず、危険が迫れば背中に庇おうとした。
世界によって常識が違うなど、よくよく分かっている。オニオンナイトが歴戦の騎士であることも、世界によっては子供が戦場に立つことが当然であることも。それでも、子供がいるならば守らねばならない。それがヴァンの、信念だったのである。



ヴァンが情報を得たのは、本当に偶然だった。偶々フリオニールとバッツが会話している所に出くわしたのだ。二人が口にした聞き覚えのある名前に、ヴァンはきょとんと目を丸めた。

「エクスデスと、マティウス?」
「おう、混沌のだよ」
「え、混沌にいんの?」
「今更何を言っているんだ、ヴァン」

苦笑するフリオニールを見て、もしや知らなかったのは自分だけかとヴァンは少し苦く思った。この情報をもっと早く知っていれば、今までの戦闘がどれだけ楽になっただろうと考えたのだ。

「で、なんでお前ら行かないの?」
「は?」
「何でって…危険だろ」

今度はフリオニールとバッツが目を見開く番で、妙な沈黙が三人の間に漂う。早々に理解をしたのはヴァンだった。どうやらここも、世界によって見解が別れる所であるらしい。まあそんな世界もあるんだろう、といつものように自分を納得させ、ヴァンは二人に別れを告げたのだった。有用な情報はもう手に入った、長居をする必要は無い。手を振って走り去るヴァンの後ろ姿を眺めながら、どうにも噛み合わなかった会話に、残された二人はもう一度首を傾げたのだった。



「俺さ、ちょっと混沌の所行ってくるから。いい子で待ってろよ」
「はぁっ?」

慌ただしく帰ってきたかと思えば突然言い放たれたヴァンの一言に、オニオンナイトは驚愕して振り返った。スペースの節約、とばかりに小柄な者が押し込まれたテントの中には他にもスコールがいて、オニオンナイトと同じく驚愕に目を見開いている。普段なら冷静にヴァンの言葉を聞き対処していただろうジタンは残念ながら今はおらず、オニオンナイトの少々ヒステリックな声が響く。

「ちょっと待ってよ、どういうこと!?」
「用事出来てさ。危ないから連れてってやれねぇんだ、ごめんな」
「危ないって、何するつもりなの!?」
「そんな大したことじゃねぇよ」
「だって混沌なんて!」

引き止め方が分からずオロオロと手を上下させるオニオンナイトからは、普段の大人ぶったヒネた様子は全く感じられない。年相応の子供のような仕草だ。オニオンナイトとてなんやかやと文句を付けてはいるが、ヴァンのことが嫌いでは無いのだ。子供扱いする所には辟易するが、今まで甘えさせてくれる存在がいなかった身には、小さな事でも気にかけ世話を焼いてくれるヴァンはどこかくすぐったく嬉しくもあった。仲間としての情も当然ある。敢えて死地に向かおうというのを止めるのは、当たり前であった。
だが、一度連れていかないと決めたのならヴァンはそれを決して曲げない。無理に付いて行こうとすれば、無理やり眠らせるくらいはするかもしれない。徹底的に自分を子ども扱いするヴァンの頑固さを、オニオンナイトは良く分かっていた。結果、引き止め方も分からない、付いていくことも出来ないオニオンナイトはオロオロと手を上下させることしか出来なかった。
それを眺め、今まで事の成り行きを黙って見つめていたスコールが動いた。溜め息を吐いて立ち上がり、通り過ぎざまにオニオンナイトの肩をポンと叩き、ヴァンの正面に立つ。

「俺が付いて行こう」
「スコール!」
「スコールが?」

うーん、とヴァンがスコールの前身を上から下まで眺め、考える素振りをする。スコールには大変不満な点であるのだが、ヴァンはスコールのことも庇護対象として見ている節があった。同い年であるにも関わらず、何かと世話を焼こうとする。だから、これは賭けでもあった。ヴァンがスコールもダメだと言ったなら、もはや止める術は無い。生憎と今日は年嵩の者は出払っており、秩序の聖域にいるのは番を任されたオニオンナイトとスコールだけだ。他の者を呼び戻し事情を話す頃には、ヴァンはとっくに混沌の領地にたどり着いてしまっているだろう。最後の砦とも言うべき申し出に、少し考えながらもヴァンは頷いた。

「危なくなったらすぐ逃げろよ」
「…ああ」
「ヴァンもだよ!」

聖域の見張りがあるために、こっそり付いていく事も出来なくなったオニオンナイトが、心配げに二人を見比べている。それに力強く頷きを返し、支度を整えたヴァンとスコールは、混沌の領地に向け一歩を踏み出したのだった。



二対の眼が、油断なく辺りを見回す。そろそろ混沌の戦士が出てきてもおかしくない場所である。月の渓谷のなだらかな斜面には濃い影が落ち、小高い丘が死角を作る。襲うならば絶好の場所だ。それが分かっているからこそ、ヴァンとスコールは神経を研ぎ澄まし前へと進んでいた。
一瞬のことだった。今まで誰もいなかったはずの巨岩の上で、土を踏む音がする。素早く向き直った時には既に、二人の背後に人影は降り立っていた。淡く光を放つ剣が、ヴァンの首筋に押し当てられる。この状況にも関わらず、殺気の無い剣先が不気味さを増長する。今にも仲間の頸動脈を切り裂かんとする刃を目の端に捉えて、スコールはその場で凍りついた。

「なーにやってるんスか」

掛けられた明るい声とは対照的に、剣先は僅かでも動けば殺すと言わんばかりに突き付けられている。想像していたよりもずっと若い声にスコールが思わず振り向くより早く、ヴァンが動いた。
臆すること無く突き付けられた剣に手をかけ、首筋から外す。剣の持ち主はそれに抵抗をしなかった。促されるままに剣をずらすが、それでも一瞬で致命傷を与えられる位置で止める。僅かだが出来た隙間を利用してヴァンが振り返ると、そこにいたのは同じくらいの年ごろの少年だった。ヴァンが動いた気配に、息を詰めていたスコールも釣られて振り返る。そして、思っていたよりも若く小奇麗な見た目の少年に、目を見張る。混沌の者は人外に近しい禍々しい装飾をその身に施していることが常であったからだ。黙りこんだままのスコールをちらりと見て、もう一度少年は明るい声で「何してんの?」と問いかけた。

「召喚獣と契約しに行くんだよ」
「召喚獣?」

訝しげな少年の声に、スコールが漸く我に返る。そういえば、未だヴァンの目的を聞いていなかったことに気付いたのだ。しかし召喚獣とは一体どういうことか、態々こんな危険に身を晒さずとも、モーグリショップでも手に入るというのに。平然と言ったヴァンに全く同じ疑問を少年も抱いたらしく、首を傾げている。それに対し、ヴァンは大きく一つ頷いた。

「この辺に召喚石は無かったと思うんスけど」
「いや、石じゃなくてさ。いるって聞いたから」
「ふーん?」

納得はしていない顔だが頷いて、今度こそ少年は剣を完全に下ろした。自分たちに害を成さないのならば、それでいいらしい。その手から剣を消し、代わりのように歪な形のボールを取り出す。それを両手で弄びながら、少年は一歩後ろに下がった。

「戦いに来たんじゃないってことは、一応言っとくよ。誰も聞かないと思うけど。あそこの山から先は混沌の領地だから、避けた方がいいと思うッスよ」

元来が親切な性質なのだろう、少年は敵方であるにも関わらずそう忠告すると、背中を向けて立ち去ろうとした。それを引き止めたのは、ヴァンの手だ。グローブに包まれた少年の手を取り、制止している。ギョッとしたスコールが慌てて放させようとするも、頓着することなく少年に並ぶ。

「お前、名前は?」
「え、ティーダ」
「そっか、じゃあ一緒に行くぞ」
「は?」
「どういうつもりだ、ヴァン!」

思わずスコールの声も上擦る。折角穏便に事が済みそうだというのに、わざわざ引き止めてまで敵と行動する意味はない。しかしスコールの珍しい怒声にも、ティーダの警戒を滲ませた視線にも動じることなく、ヴァンはそれが当然であるかのように、目的地に向かって踏み出していた。あまりに自然な動作に抵抗も出来ず、ティーダがそれに続く。そこに立ち尽くすわけにもいかず、スコールも共に歩き始めるが、鋭い相貌はティーダを睨んだままだ。どういうことだ、と唸るようにヴァンに問えば、少し肩を竦めたヴァンがチラリと振り返った。

「大丈夫だ、俺が守ってやる」
「あ…うん?」

困惑しきったティーダを横目に、スコールは大きくため息を吐いた。守ってやる、その言葉が出た以上、もうヴァンは何を言っても聞かないだろう。オニオンナイトの時もそうだった。守ってやるという一言の後、徹底してヴァンはオニオンナイトを子供扱いした。それこそ、誰が何を言おうと。スコール自身も言われたことのある一言だったりもする。こうなってはどうしようも無い。何が琴線に触れたかは分からないが、ティーダを庇護すると決めたヴァンは、スコールの攻撃を許さないだろう。敵地の近くで仲間割れをする気にもなれず、スコールは無言で相変わらずティーダの手を引くヴァンと、混乱したまま無抵抗に手を引かれるティーダの背中を睨み付けた。

放っておくことは出来なかった。振り返って見た少年の目は、自分がよく見慣れたものだったからだ。あれは、子供の目だ。いつしか一方的に握るだけだった手が握り返されているのを感じながら、ヴァンは考えた。
あんな目をした子供を、戦争が終わった自分の国で何度も見た。親を失い、頼るものも無く、お腹を空かせて蹲る子供の目だ。追いやられた地下、薄暗くドブネズミが走り回る不衛生な通路の片隅で、泣くことも出来ずにいた子供たち。通り過ぎる大人はそれを見ず、子供の方も見られることを期待していない。
守ると決めたのだ、そんな子供たちを。それが生きる意味だった。例え敵だろうと、ここが己の故郷で無かろうと関係は無い。子供がいるならば守らねばならない。信念に基づき、ヴァンはティーダに手を差し伸べたのだった。

「召喚獣がいるって、どういう意味?」

沈黙に耐えかねたのか、ティーダが疑問を口にする。先程の忠告が聞きいれられることは無く、とっくに混沌の領地の中だ。見付かるならせめて戦う意思の少ない者に、と無意識に願いながら、ちらりとスコールとヴァンを見比べる。混沌にいる同じ年頃の者は自我の無い少女だけで、こんな風に気易く近付ける相手では無い。久々の同年代との接し方がよく分からず、とりあえず気難しそうなスコールでは無くヴァンに小声で問いかけたのだ。

「マティウスとエクスデス、いるんだろ?」
「マティウスって、皇帝のことッスか?」
「そうそう、背徳の皇帝」
「いるけど、え、召喚獣なの?」
「そうだろ」
「そうなの!?」

青天の霹靂、とそのあんぐりと開かれた口と見開かれた目が物語っている。ティーダにとって、エクスデスはともかく皇帝は畏怖の対象だ。逆らってはならないとその体に刻まれている。召喚獣とはもしかして自分のことか、とまで考えていたティーダに、齎された情報は衝撃的すぎた。聞いていたらしいスコールも、同じく呆然とヴァンを見詰めている。スコールにしても、あまりに予想外な言葉だった。

「待て、それは確かなのか?」
「おう」
「そう、なのか」
「あいつらも水臭いよな、いるんなら会いに来ればいいのに」
「仲良いんスか!?」
「そりゃそうだろ、いい奴らだし」
「いい奴、だと…?」

理解が追い付かないままのスコールとティーダの視線が合う。ヴァンの言う言葉はそれぞれの人物像に全く重ならない。もしかしたら、万が一、エクスデスはそんなことがあるのかも知れない。あれは邪悪とはいえ樹だ。何かの拍子で仲良くした人間がいたとしても、おかしくは無い。だが皇帝は、この世の悪意を全て集めたようなあの支配者は、有り得ないだろう。そもそも生きる世界が違ったはず。混乱のままもう一度視線を合わせ、敵同士であることも忘れてティーダとスコールは同時に首を傾げたのだった。



ならばもういっそ此処に呼ぼうか、そうティーダが言い出したのは、沈黙したまま暫く歩いた後のことだった。齎された衝撃の事実に自分の中で何とか折り合いをつけ、まあそんなことも有るのだろうと無理やり納得した結果だ。それに賛成したのは、意外にもスコールだった。スコールはスコールで、早々にこの無意味に思える探索を切り上げたいという願望が強かった。二人で混沌勢三人に立ち向かうのは困難だが、三人のうち一人はティーダ、あとの二人がヴァンと懇意にしている召喚獣ならばなんとかなるかとも思えた。ここに来てスコールとティーダの間には、妙な仲間意識のようなものが芽生え始めていた。意味の分からない事象に対し、同族を作ることで無意識に自己の保身を図ったのかもしれない。
それならば呼ぼう、と満場一致で決まり、ティーダが宙に手を掲げる。おーい、というどこか間抜けな声と共に手を翳した空間に黒い霞が掛かり、そのまま闇の濃度を増していく。次の瞬間、霞の中からは不機嫌そうな声と愉快げな声と共に、二つの影が現れた。

「なんだ、私を呼び出すからには相応の理由があるのだろうな」
「ファファ、道にでも迷うたか」
「友達が会いにきてるッスよ」

軽い足取りで駆け寄り話しかけるティーダの姿に、スコールは混沌勢の関係も案外良好なのだろうか、と考えながらヴァンを振り向く。しかし喜んでいるかと思われたヴァンは、ひどく奇妙な顔で首を傾げていた。皇帝とエクスデスを見比べ、顎に手を当てて考え込んでいる。
そうしている間に、ティーダに顛末を説明された皇帝とエクスデスがヴァンを見た。
ジッと、目が合って数秒。無言で見つめ合う三人に、居心地が悪そうにティーダが身じろぐ。スコールも怪訝そうに眉を顰めた。
先に動いたのは、ヴァンだった。小さく肩を竦め、順繰りにスコールとティーダと目を合わせる。

「悪い、人違いだ」

狼狽したのはむしろ、ティーダとスコールの方である。ほう、と呟いた皇帝に背を向け、あんぐりと口を開いて常と変わらずさして表情の無いヴァンの顔を見詰める。そんな二人を気にも留めず、再び皇帝とエクスデスに向き直ったヴァンは、軽く片手を上げた。

「お前らも、態々出てきたのにごめんな」

それで許されるならば、そもそも秩序と混沌は戦争などしていない。



当然のように繰り出された攻撃の数々を潜り抜け、ようやく走る速度を緩めたのは混沌の領地が遥か後方となり、イミテーションでさえ滅多に出ない秩序の聖域の程近くになってからだった。苦しい呼吸を宥め、スコールがジロリとヴァンを睨む。睨まれた方のヴァンと言えば、恨みがましい視線をサラリと流し、繋がった手の先を見ていた。

「何で…そいつまでいる」

ヴァンの繋がった手の先、ビクリと肩を揺らしたのは間違いなくここに居てはいけない人物、混沌の戦士であるティーダだった。自分でもそれを分かっているのか、ヴァンに捕まれた腕を引いてみたりしているが、離されることは無い。終いには、困った様子で今しがた睨まれたばかりのスコールに視線で助けを求める始末である。子犬のような視線に、ぐぅとスコールが詰まる。大勢の兄弟の中で育ったスコールは、決して顔には出さないが自分より幼い者の縋る視線に弱い。助け舟を出すか、いやしかしこいつは敵で、と逡巡している内に、当のヴァンが手を離さぬまま口を開いた。

「夕飯食ってくだろ?」
「へ?」
「帰り辛いだろ、泊まっていけよ」
「あ、うん」

勢いのまま頷いて、はたと我に返ったティーダがもう一度スコールを見る。スコールは今度こそ呆れたという態度を隠しもせず、大げさな溜め息を吐いた。

「…こいつは敵だ」
「そうだけどさ、今帰ったら怒られるぞ。なぁ?」
「多分、そうッスけど」
「取り敢えず今日はこっちに泊まって明日謝った方がいいだろ」
「だからと言ってだな!」
「早く帰んねーとオニオンが心配する。行こう」

ヴァンが人の話を聞かないのなど今に始まった話ではないし、そもそも小言を聞くとも思っていない。だが絶対的に正しい事を言っているのは自分だ。だというのに我が儘を言って駄々を捏ねている気分になるのは何故なのだろうか。ティーダから向けられる同情に似た視線を溜め息で受け流し、スコールは渋々帰路に着いた。

気配で帰還を知ったのだろう、聖域から飛び出してきたオニオンナイトはティーダの姿を見て一瞬硬直し、しかしヴァンとスコールが傷を負っているのを認めるとすぐさま駆け寄りケアルを唱えた。擦り傷程度のものだったがそれがみるみる治っていくのに、ヴァンがおー、と感心したように声を上げる。数多の武器を難なく使いこなすくせに魔法だけは不得手としているヴァンは、いつも回復魔法を掛けられる度に感嘆してみせる。普段ならば得意げな顔をしてみせるオニオンナイトも、今回ばかりは怒ったように眉を顰めた。

「なんでこんな無茶するのさ!」
「召喚獣がさ、いると思ったんだけど」
「だからって!」
「マティウスとエクスデスがいれば、お前もう戦わなくてもいいだろ」
「僕は戦士だって言ってるじゃないか!」

始まったのは、もう何度も繰り返された問答だ。どちらも引かず、決着がついたことは無い。ティーダがオロオロと言いあう二人とスコールを見比べるが、スコールはただ溜め息を吐いただけだった。始まったなら、一時間は終わらない。行動を決めかねているティーダを促し、スコールが食事の準備に取り掛かろうとした時だった。
激昂して怒鳴るオニオンナイトに対し、ヴァンが淡々と持論を述べ続けるのが常の言い争いである。手が出たことは一度もない。しかしヴァンが両手を延ばし、17の歳にしては武骨で筋張ったその両手でオニオンナイトの頬を挟んだのだ。言葉を遮られ、オニオンナイトの眉間に皺が寄る。それに頓着せず、ヴァンはオニオンナイトに視線を合わせる為にしゃがんだ。
スコールは珍しいその行動に、ティーダは付いていけない展開に、ただ黙してその場で成り行きを見守っていた。

「戦争に負けるってのがどういう意味か、分かるか」
「知ってるさ!」

ヴァンの静かな問いかけに、オニオンナイトが叫ぶように応える。ヴァンの青灰色の瞳は、揺らぐことなくオニオンナイトのサファイアの瞳を見詰めていた。焦ったような早口で、オニオンナイトは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。

「名誉を失って、屈辱を味わうんだ。成す術も無く大事なものを壊されて…」
「そんなんじゃない」
「え」

ヴァンの普段通りの声が逆に、多くの悲しみを内包しているようだ。スコールはすぐさまその考えを振り払った。あまりに詩的すぎる表現だと思った。
オニオンナイトの言葉を遮ったヴァンは、17歳には似つかわしくない、妙に老成した声と話し方で続ける。

「そんなキレイなもんじゃねぇよ、負けるってのは」
「………」
「世界の崩壊だの女神の消滅だの、そんなキレイなもんじゃなくて、もっと汚いもんだ」

オニオンナイトの頬に添えられた手は熱く、騎士ならば決して出来ない箇所に出来たタコが歳よりも大人びた手にしている。銃を、剣を、斧を、手元にある武器を何でも握って戦う姿を、節操がないと言った敵もいた。だがしかし、武器に拘っていられる程高潔な生き様ではなかったし、環境でもなかった。剣に拘る騎士を貶める気は無い。だがヴァンが生きる場所ではたった一つを極めるより、より多くを使えた方が守れるものが大きかった。それだけのことだ。
敗北を知らない騎士に、敗北の中育った空賊はただ優しく語る。

「地下に潜って泥水啜って蔑まれながら生きる。そういうことなんだよ、負けるってのは」

絶句し見開いた目を向けるオニオンナイトに、ヴァンは少しだけ笑ってみせた。
きっと、負けたことがあるのだな。地面に膝を付いてオニオンナイトの瞳を覗き込むヴァンの背中を見詰めながら、ティーダはぼんやりとヴァンの言葉の意味を考えた。自分が味わったことの無いような屈辱を受け、そして立ち上がったのだろう。自分には無い強さを持つヴァンに、やはり秩序の神に選ばれるほどの英雄なのだと強く感じた。どうしようも無く膨れ上がる劣等感に、ティーダは静かに下を向く。それでもヴァンの言葉は続く。

「だからさ、俺は何やったってこの戦争に勝つよ。お前の騎士の誇りってヤツが、踏み躙られないように」
「ヴァン…」

それ以上言葉を紡ぐことも出来ず、オニオンナイトは口を噤む。そんな様子に目を細め、一度軽く抱き締めると何事も無かったかのようにヴァンは立ち上がった。先程までの大人びた、静かな空気はもうそこには無く、まるで別人のようだ。

「さ、俺たちが飯の用意してくるから、オニオンは待ってろ」
「え、あ、うん」
「いい子だな」
「ちょっ、また子供扱いして!」

ははは、と笑ったヴァンが竈に歩いていくのを、ティーダは慌てて追った。自分を良くは思っていないだろうスコールやオニオンナイトと残されるよりは、料理の心得は無くともヴァンの手伝いをした方がマシだと思ったのだ。何を思ったのか、スコールも後を追ってくる。ティーダの視線をどう解釈したのか、スコールは不機嫌そうに目を眇めてボソリと「今日の料理当番は俺だ」と呟いた。本来なら、ヴァンの担当は探索であり、ここにはいないはずなのだ。エクスデスや皇帝を召喚獣と勘違いしなければ、今もどこか歪みの中で素材を集めていただろう。
追い付いた二人を見て、ヴァンが朗らかに笑う。笑顔で差し出された食材を受け取って、そのまま流されるように調理が始まった。他愛ない、自分の来た世界だとか普段の生活などを話しながら調理をする中、ふとヴァンが言葉を止める。喋り通しと言ってもいいほどに喋り続けていたヴァンの沈黙に、不思議に思ったティーダとスコールも口を噤んだ。
じっと見つめる二人に気付いているのかいないのか、穏やかな、慈しむような目でヴァンが遠くにいるオニオンナイトの姿を見詰める。武器の整備でもしているのだろうか、ここからでは遠すぎて俯いていることしか分からない。

「きっとさ、綺麗な所で育ったんだろうな」
「…オニオンナイトが、か?」
「ああ。…綺麗なまんまで、いさせてやれたらいいのに」
「………」
「いつか大人になって、汚いものも知っちゃうんだろうな」
「…そういうもんッスよ」
「まあな。でも、それまでは俺が守ってやる」

また料理に戻るヴァンの横で、スコールは沈黙し、ティーダは俯く。
綺麗なままで、幼いままで。叶わずともせめてそれまでは、この手で守る。ヴァンが口にしたそれは、形は違えど二人が欲しかったものと、良く似ていた。
誰かが守ってくれたらいいのに。誰かが抱きしめて、汚いものから目を塞いでくれたらいいのに。望んでも与えられなかったそれを容易く与えようとする同い年の少年の姿は大きくて、自分の矮小さが際立つようだった。庇護者を求めて泣いた幼い日が蘇る。

「なあ、これって塩だっけ砂糖だっけ」

顔を上げたヴァンが、唇を噛むスコールと、拳を握るティーダを見て首を傾げた。まるで幼い子供が泣くのを我慢しているかのような仕草だ。

「どうしたんだよ」
「…なんでもないッス」
「どうもしていない」
「ふぅん。で、これ塩と砂糖どっち?」

与えられなかった自分が求めていたものを、だからと言って他の者に与えてやることも出来ない。そうすることで与えられなかった自分を思い出すのが嫌だからだ。生きてきた年数は同じだというのに、何故ここまで違うのだろう。

「…それは塩だ」
「分かった」

鼻歌を歌いながら作業を続けるヴァンを見て、ティーダとスコールも作業に戻る。どちらも同じ思いを抱えていたが、それを共有しようとは思っていなかった。だから、お互いの顔を見ることはしなかった。

「お前らもさ、俺が守ってやるからな」

不意にヴァンが呟く。それが当然であるかのように自信を込められた一言に、再び二人の手が止まる。
返事はせず、しかし小さな笑い声を喉から漏らし、ティーダはジッと手元を見た。スコールも、笑い声を漏らしはしなかったものの口元が歪んでいる。

「心強いッスね」
「それが俺の存在意義だからな」
「…言ってろ」

笑って茶化すが、顔は上げない。
自分とは違い大人な同い年の相手に、尚更己の矮小さを思い知らされるような気がして、少し泣きそうだった。



PCサイト開設企画 山羊様リクエスト





2012/06/19 19:40
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