しまったしまったしまったしまったやっちゃった。

「ああああああ…絶対嫌われた…」

もう俺、生きてけない。

よし、旅に出よう。遠くに行こう。誰もいない場所でこの傷を癒すんだ。誰からも忘れ去られて一人海辺で暮らす俺。うん、いいんじゃない? 時折あの子を思い出しては遠くから幸せを願おう。そんな感じで余生を過ごそう。だって俺、生きてけないもん、あの子に嫌われたら。

「旅に出ます。探さないでください…っと」

書き置きもばっちり。そもそも薄情者しかいない混沌で俺がいなくなったとして、誰が探してくれんだっつー話だけども。まぁいい、こういうのはアレだ、様式美っつーやつだ。
荷物って言ってもボールと剣くらいしか無いし、準備は一瞬。いざ行かん、と神殿から出ようとした俺の家出計画は、何物かに猫のように首を掴まれて捕獲されたことによって阻止されたのだった。

「ぐぇっ」
「何をしておる」
「痛い痛い持ち上げないで!」

掴まれたって言うか、噛まれてた。暗闇の雲の触手に。持ち上げられると牙が刺さって痛い。いくらなんでもこの扱いは無いんじゃないだろうか。

「下ろして! 下ろしてってば!」
「すまぬ」
「のあぁっ! もうなにー!?」

だからって落とすこと無いだろう! ここの連中は気遣いとか繊細さとかが圧倒的に足りない。だから嫌なんだ! と憤慨する俺の正面に回り、暗闇の雲は俺の顔を覗き込んだ。

「怪我をしたか?」
「してない!」
「ならば良い」

良くねぇよ。現在進行形で触手が俺の首に巻き付いてんだろうがよ。おまけにさっき噛んだ所を舐めてきている。何だ、謝罪の気持ちか、それとも癒しているつもりか、可愛いな。絡み付く触手を無理矢理引きはがして、俺は宙に浮く暗闇の雲を睨んだ。

「俺今忙しいんスよ!」
「何ぞ用事でもあったのか」
「家出するとこなの!」

だから邪魔をするな、と言外に匂わせれば、家出? と暗闇の雲は首を傾げた。同様に触手達も首を傾げている。くそ、可愛い。しかしこの様子を見る限り、どうやら闇の化身は人類共通の風習、若者が必ず通る道、不満を最も分かりやすく且つ効果的に表す方法、そして自分の力ではどうすることも出来ない現実からの一番簡単な逃避方法、総合して家出を知らないらしい。なんてこった。
一から説明するのは面倒臭い。だが暗闇の雲は完璧に俺に説明させる気で、空中に正座している。「これは大昔に東洋の仙人が開発した武術の型で、この体勢で念を送ると相手はこちらの望むままの行動をとってしまう」とか大嘘こいた先日の自分が恨めしい。あっさり信じ込みやがって、可愛いな。

「えーっと…つまり…家出ってのは…この先ずっとさようならってことッスかね」
「ほう」

いや別に面倒臭くなったわけじゃねッスよ? マジでマジで。大意は変わんないじゃん、家出ってつまりそういうことじゃん。
ふむふむと納得したように頷いて、暗闇の雲は正座のまますすすす、と俺に寄ってきた。

「おぬしには二度と会えぬのか」
「そ。だからじゃあね」

これ以上いて他の奴らに見付かっても面倒だ。さっさと旅立とうとした俺を、また何かが首に絡み付くことで引き止めた。見るまでも無い、触手ちゃんだ。

「待て」
「だから何!?」
「呼んでくるよう言われておる」
「誰に!」
「皇帝にだ」
「いないって言っといて!」
「自分で言った方が早いのではないか?」
「はぁ!?」
「ほれ」

その言葉と同時に、俺に絡み付いた触手がぐるりと俺を方向転換させる。ちょうど90度回った先、妙にシラけた表情の皇帝が腕組みをして立っていた。

「げっ」
「遅い」

飛んできたメテオを跳ね返した点に関してだけは、この鬱陶しい触手達に感謝してやってもいいと思っている。だが俺の家出計画を邪魔しやがったことは一生忘れないからな。

「何をしている。呼んだらさっさと来い」
「俺今忙しいの! 家出しなきゃなんないんだから!」

しかし厄介な奴に見付かったものだ。どうやら皇帝は俺に用事があるらしいし、何故ちょっと家出しようとしただけでこうも邪魔ばかり入るんだろうか。

「家出? 何故家出などする必要がある」
「別に何だっていいだろ」

流石に家出の意味くらいは知っていたらしい皇帝が、ほっとけという俺の意思表示など意に解さず怪訝そうに俺を見遣る。これはあれだ。話すまで解放しないつもりだ。
いつだって混沌の軍勢は暇を持て余している。どうせ皇帝の用事も退屈しのぎの下らないものだったのだろう。いい暇つぶしを見付けたとでも言わんばかりに、皇帝の瞳は輝いている。こうなったらもう抵抗するだけ無駄だ。暗闇の雲一人ならごまかしようもあったが、流石に皇帝サマは皇帝だけあって俺ごときではごまかしきれない。
已む無く俺は、皇帝に家出に至った経緯を話すことにした。



所変わってカオス神殿のリビング、キッチンでお茶を煎れてきた俺が見たのは一人掛けのソファに座る皇帝と、その正面にある二人掛けのソファの片側に寄って座る暗闇の雲だった。一人掛けソファは他にもあるが、皇帝の隣に行く気もお誕生日席に座る気にもならず、暗闇の雲の隣に座る。
俺からティーカップを受け取って、皇帝はずずいと身を乗り出した。

「で、何があった」

あ、この人予想以上にワクワクしてるわ。これは面倒臭い。混沌の娯楽の無さは、あの皇帝までもを下世話な世間話に興じさせるのか。

「べつにー、大した事じゃねッスよ」
「一から全て話せ」
「ええー」
「儂も聞きたい」

暗闇の雲まで!
はああと大きく溜め息をつき、俺は渋々ながらという表情を崩さないまま話始めた。本音を言うと、ちょっとだけ誰かに聞いてほしかったのだ。ちょっとだけだけど!

「まぁなんつーか…、あのね、俺、恋をしました」
「ほう!」
「秩序の…誰かはおいといて。今日もさっき顔見に行ってきたんだけどさぁ…はぁぁぁ〜」

思い出して、深々と溜め息をつく。項垂れた俺の方に、皇帝がずいっと身を乗り出した。その上半身は殆どテーブルに乗り上げてしまっている。意外にも恋バナが好きだったのか?

「何があったのだ?」
「秩序の奴らに見付かっちゃって。こう、気をそらそうとして撃ったジェクトシュートがその子に…」
「直撃か!」
「ちげぇよ! 掠ったの!」

直撃だったら今頃俺はデジョントラップに身を投げてるっつの。目を爛々と輝かせ、頬を紅潮させ身を乗り出した皇帝に怒鳴る。

「なんだ、つまらん」
「つまんなくねぇよ…」

期待ハズレ、という表情で皇帝がソファに戻る。一体何を期待していたのかは知らないが、どうせ混沌の中では一二を争う常識人の俺には想像も出来ないようなえげつない事だろう。
はぁ、と溜め息をついた俺の袖を、ちょいちょいと隣の暗闇の雲が引っ張った。

「ん?」
「それだけか?」
「それだけって…ああいいや。顔だったんだよ、掠ったのが。あぁあもう血まで出てたし…」

頭を抱え込んだ俺を、きっと皇帝はさぞや蔑んだ目で見ていることだろう。顔を上げて確認する気も起きない。
何でこんなことになったんだ。あの子を傷付けてしまったことにしても、こうして皇帝と暗闇の雲なんていう最も恋愛相談に向かない二人組に打ち明け話をしていることにしても。最近の俺は本当にツイてない。

「よくは分からぬが…謝れば良いだろう」
「は?」
「おお、それは良いな! ちょっと行ってこい、見ていてやる」

暗闇の雲のまさかの提案に、間髪入れず皇帝が賛同した。一見優しく誠実な忠告のようだが、皇帝はただ暇なだけだし暗闇の雲に至っては以前俺が吹き込んだ「悪いことをしたらごめんなさいッス!」という言葉を律儀に守っているだけだ。暗闇の雲ブームがきていた少し前の俺を殴ってやりたい。何でこんな適当且つ面倒臭いことばかり吹き込んだ。

「嫌ッスよ」
「なぜじゃ?」
「さっき怪我させたばっかッスよ? 普通に総攻撃されんじゃん」
「ふむ…」

そう言ったっきり、暗闇の雲は黙り込んでしまった。触手だけがふよふよと動き、俺の手に絡んだり髪を食んだりしている。自分の背中に移植したいぐらい可愛い。もう俺の友達はこの触手だけだ。ちょいと指で突いてみたら、食いちぎる勢いで噛み付かれそうになった。やっぱり俺は一人ぼっちだ。

「しかし、のう」
「んあ?」

俯いて考え込んでいた暗闇の雲が、ポツリと零す。見たことの無い寂しげな様子に、蝶々結びしようと両手で押さえ付けていた触手をうっかり離す。間髪入れず触手は俺の頭に食いついた。痛い痛い痛い。

「お主ともう二度と会えぬのは、儂は嫌じゃのう」

迫り来る第二次暗闇の雲ブームの予感に、俺は何とか引きはがした触手の一つをギュッと抱きしめた。もう一つはまだ俺の頭をモグモグしている。本当にマジで痛い。

「お、あ、おぉう…」
「どうしたのじゃ」
「俺これ飼うー!」
「ペットは無理だぞ」

シラけきった表情で頬杖を付いている皇帝に体を向け、腕の中の触手をさらにキツく抱きしめる。ついでに頭に食いついていた方も引きはがして腕の中に閉じ込めた。

「ちゃんと世話するッス!」
「そう言ってすぐに散歩に行かなくなるのだ、私には分かる」
「でーきーるーかーらーぁ!」
「無理だ」
「なんで!」
「ガーランドも駄目だと言うに決まっている」
「エクスデスは多分良いって言うッス!」

必死に懇願する俺を、皇帝は鼻で笑う。悪魔だ、この男は。そんなんだから反乱起こされちゃうんスよ。
ちょっと涙が出始めた俺の頬を、腕の中から抜け出した触手の片方がペロリと舐める。やっぱり可愛い。俺も欲しい。

「大体、本体はどうするのだ」
「本体ごと飼うもん。可愛がるもん」

はぁ、と大きな溜め息をついて、さっきまでよりは静かな声で皇帝が言う。腕の中に残っているもう片方の触手を頬に押し付けると、触手は擦り寄るようにその頭部を動かした。

「秩序には一緒に謝りに行ってやる、ペットは諦めよ」
「うぅ…」
「と、いうわけだ暗闇の雲。ペットは免れたぞ」

名残惜しく感じながらも触手を解放し、改めてブリッツボールを抱きしめる。暗闇の雲はじっと俺を見て、そして満足そうに紅茶を口に運んだ皇帝を見て、もう一度俺を見てから腕を組むと大仰に頷いて、「そうか」と言った。多分っていうか絶対何一つ分かってない。ただ触手達は嬉しそうにふよふよと上下していた。あれ、もしかして本体より触手の方が…と思ったが、ちょっと余りにもそれはあんまりな考えなので黙っとくことにした。どっちの知能指数が高かろうが、ぶっちゃけどうでもいい事だしね!

「で、結局家出とやらはどうなったのじゃ」
「あー、無くなった」
「では謝りに行くのか?」
「あー…」

ていうかさ、よく考えたらなんだけど、別に良くない? っていうかさ、っていうかさ、考えたんだけどさ。

「俺混沌だから、元々嫌われてるよね」
「ふむ、そうじゃな」
「ああ」
「だよねー」

うふふ、あははとリビングに笑い声が響く。
テーブルの上のクッキーを一つ取って触手の口に突っ込んだら、俺の手まで噛み付いた。やっぱ全然可愛く無いなこいつ。
そして俺達の全く持って無意味な午後は過ぎてゆくのだった。

「明日、儂にもお主が恋しい相手を見せよ」
「いいッスよ、じゃあ皆で喧嘩売りに行くか!」
「まったく。貴様らは本当に愚かだな」
「そんなこと言って皇帝も行きたいくせに」
「どうしてもと言うなら行ってやらんでもない」

明日はポーションを持って行こう。そして皇帝と暗闇の雲にギッタギタにされて傷付いたあの子に差し出すんだ。そしたらマイナスぶっちぎってる好感度が、ゼロくらいには回復するかもしれないし。
セコい考えを巡らせながら、俺は噛まれた腹いせに触手の口にカップを無理矢理詰め込むのだった。あ、カップ型に広がった触手ちゃんはちょっと可愛い。






2012/05/01 22:28
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