ああ困ったわ、本当に。喉まできてるのよ、本当に。もう一息って所なの。本当に、本当に困ったわ。

あの人の名前、何だったかしら。



なんかこう、長い名前だったのよ。それは確かだわ。フラ…フリ…フルー…伸ばし棒は入ってたはず。フーニー…フルーリー、あ、近い気がする。
手の中にある薔薇の花を指でつつく。彼が大事にしていたものだ。今朝小川のそばに落ちているのを見つけて、拾ってきた。きっと探しているはず。だって今日の彼はどこか集中力に欠けている。ティーダが話し掛けてもセシルが笑いかけても上の空で、一拍遅れて慌てて返事をしている。そんな様子だからほら、ティーダが拗ねてしまった。
どうしよう、どうしよう、一刻も早く返してあげたい。彼の宝物は、彼の手の中にあるからこそ輝くのだ。彼を安心させて、そしてまたティーダと兄弟のように笑い合う姿が見たいのに、それができない。
だって名前が思い出せないんだもの。

あなた、って呼び掛けてみようかしら。でもそれはあまりに他人行儀な気がする。君、なんてもっとダメ。もう、じゃあどうすればいいのよ。段々腹がたってきたわ。

「フラ、フー…フーバー! …違うわね」

口に出してみればなにか閃くかも、と思ったけど、成果は無かった。

「ティーダ、ジタン、スコー…ル、クラ…クラウ、ド? バッツ、オニオン、セシル、フ…ホリー…、リーダー」

流れにのっちゃえばと思ったけど、ダメ。万策尽きたわ。打つ手無しってヤツね。あら今の私、ちょっと策士っぽかったんじゃない? ふふふ、いい感じ。
違うわティナ。全然いい感じじゃないわ。だから名前が思い出せないんだってば。策士キャラになってみたいなんて長年の夢は、どうでもいいのよ。いいえどうでも良くはないけど、いつか叶えてみせるけど、でも今じゃなくていいのよ。それより大事な事があるのを忘れないで、ティナ!

でもどうしようかしら。誰かに聞いてみる? でもどうやって。
「ねぇごめんなさい、あそこにいる男性の名前何だったかしら?」
ダメダメダメよ! そんなのダメ。いくらなんでも感じが悪すぎるわ。私たち仲間なのに。もう何ヶ月も一緒にいるのに。
じゃあこういうのはどうかしら。彼の近くにいて、誰かが彼に話し掛けるのを待ってるの。そうして耳を澄ませて名前を呼ぶのを聞くのよ。つまり盗み聞きね。いい考え…だと思うけれど、でもやっぱりダメね。だって彼とっても優しいもの。近くでじっと立ってたりなんかしたら、話し掛けてきちゃうわ。だからダメ。
もうもうもう、一体どうしろっていうの? 本格的に腹が立ってきたわ。
大体、どうして名前がそんなに長いの? そこからしてもう理不尽だわ。全てのものには須く短い名前を付けるべきよ。長くても三文字までにすべきだわ。それが出来ないなら、短い愛称をなぜ作らないのよ。リーダーを見習ってちょうだい。本名は覚えてないけど、フー…ハー…ヘラ…なんとかさんに比べても確かとっても長かったわ。そりゃもうこの世のものとは思えないほど長かったわ。
でもほら! ちゃんと長いことを自覚して、リーダーって名乗ってるじゃない。素晴らしい心掛けだと思うわ。なのに何でミスター・ローズは短い名前で名乗らないのよ、もう。
…ミスター・ローズって中々良いわね。なんかこう、夜会に紫のスーツで出てそうな感じ。ハンカチからはバラの香りがして、カフスがキラキラ光ってそう。彼見た目だけなら貴公子だもの、似合うと思うわ。私は好きなタイプじゃないけど。

そんなことはどうでも良いんだってば。しっかりして、ティナ。ミスター・ローズについては今夜設定を詰めればいいわ。今やる必要はないでしょ。
そう、名前よ。彼の名前を思い出さなきゃ。一回は確実に聞いたことがある筈。だって最初に自己紹介したんだもの。思い出して、ティナ。皆で車座になって、それぞれ名前と好きな食べ物と垂直飛びの記録を言い合ったじゃない。今でも一体誰が何のために垂直飛びの記録を知りたがったのか分からないけれど、言い合ったのは確か。
ああ、ダメ。だってあの時私、別の事考えてたもの。全員の髪の色を見て、あら正義の戦士って案外皆凡庸な髪色をしているのね、なんて考えてたんだったわ。だってそうでしょう? 赤とか緑とか青とか一切いないんだもの。パーティの髪色が全員似たり寄ったりって、ある意味奇跡に近いと思うのよね。一人くらい派手な人がいるものだけど。

だから、そんなことは、どうでもいいの!
それどころじゃないの、それどころじゃないのってさっきから何度も言ってるでしょう?今大事なのは彼の名前、それだけよ。
思い出して、思い出すのよティナ。例え自己紹介の時聞いてなくたって、もう何ヶ月も一緒にいるのよ? 誰かが呼ぶのを聞いたことは絶対あるはず。ティーダやセシルはなんて呼んでたかしら。ティーダ…はオニオンのことを玉ねぎなんて呼んでたりもするから、あまり当てにはならないわね。セシルなら、人の名前を間違えたりなんて絶対しないはず。ああ、セシルは何て呼んでたかしら…。
…ハ行よ。これは絶対。間違いない。セシルは彼をハ行から始まる名前で呼んでいたわ。でもちょっと待って、本当にそうなのかしら? ハ行なのは二文字目で、最初はラ行だったんじゃないかしら? 考えれば考えるほど、そんな気がしてきたわ。というか自分が全く信じられなくなってきたわ。そもそも、本当に彼の名前にはハ行の文字が入っていたの?
ドツボね。これが所謂ドツボって状態を指すのね。一度使ってみたかったのよ、ドツボ。私いまドツボだわ。誰よりもドツボだわ。

もう諦めようかしら。バラなんて無くても戦えるわよ。彼だって戦士なんだし。3日もすれば忘れるんじゃないかしら? それかそうね、この辺に置いておけばそのうち誰かが見つけて手渡してくれるんじゃないかしら。だってここ、秩序を司る正義の戦士たちの陣営よ。親切かつ全員の名前を間違えることなく記憶している誰かが一人くらいいるはず。その誰かが見つけてくれることを願いつつ、置いておけばいいんじゃないかしら。
私は十分責任を果たしたわ。だってもう1時間近くも、こうして彼を見詰めながら思い悩んだのよ? といっても300メートルは離れているから彼は気付いてないでしょうけど。本当に、幻獣とのハーフで良かったと思うのはこういう時ね。3キロ先のイチゴの種の数だって数えられるのは、ちょっとした自慢なの。でも人間に言うと引かれるから口にしないようにしてるけれど。差別だの利用だの人間って大変な生き物よね。もっとのんびりと生きればいいのに。時間を分なんて短い単位で測るからそうなるんだわ。悠久の時を楽しむべきよ。時は常に流れ、今は過去になり、ええと、何て言うか、とにかく100年なんてあっという間に過ぎるんだし、私たちが瞬きする間に人間の一生なんて終わるんだから。せかせかしないでどっしりと構えるべき。そうよ、そういうことが言いたいのよ、私は。ダメね、ティナ。こんな簡単なことも言葉にできないようじゃ、策士キャラなんて夢のまた夢よ。今夜は寝る前に国語辞典を読みましょう。ミスター・ローズの設定も詰めなきゃならないし、今夜は大忙しね。
そういえばティーダもこの間「マジぃ? ティナって召喚獣系なんスか? 俺も俺も〜」なんて言ってたわね。水中で昼寝してジタンに気味悪がられたこともあるみたいだし、彼とは一度ゆっくり語り合ってみたいわ。きっと同じ幻獣…ティーダの世界では召喚獣って言ったんだっけ。それなんだもの、この悩みを分かってくれるわ。

さて、じゃあこのバラ、どこに置いておこうかしら。なるべく見つかりやすい、でも私が置いたとは分からない場所に置かなきゃ。ふふ、完全犯罪って言うのよ、こういうの。私知ってるわ。密室トリックを利用すべき所ね。そうして犯人を見つけるために名探偵の私が格好良く登場したりして。
ダメだわ。犯人私じゃない。違う、そういうことじゃなくて、見つかりやすい場所に置かなきゃいけないんだった。もう、どうしたの、ティナ。今日はまるでダメじゃない。それもこれも全部ホー…ラヒー…ルフ…なんとかさんの名前が思い出せないせいよ。彼が短い名前で生まれていたらそれで解決する問題だったのに。腹立たしいわね。
とにかく、密室も探偵も今回は無し。そもそも誰も死んでないしね。バラをどこに置いておこうかしら。植え込みの中じゃあ見つけて貰えないかもしれないし、ここは無難にコスモスの台座かしら。でもそれだと置くところを誰かに見られちゃうかもしれないわね。完全犯罪なのよ、ティナ。綿密に計画を練る必要があるわ。うふふ、ちょっと楽しくなってきた。

「ティナ? さっきからボーっとして、どしたんスか?」
「あら、ティーダ」

誰にも見つからず、かつ見つかりやすい場所にバラを置く方法をじっくりと考えていた私は、ニコニコと話しかけてきたティーダの声で我に返った。そんなにぼんやりしていたかしら。ああでも、せっかく思い付いた密室トリックが今ので頭から抜けてしまった。今は密室トリックは必要ないけど、ほら、将来的にもしかしたら要るかもしれないでしょう? 備えあれば憂いなし、よ。

「あれ? 持ってんの…」
「あ、ええ。拾ったの。返したいけど…」

名前が分からないの、なんてやっぱり言えないから、言葉を不自然に切る。そうしたらティーダはその先を想像したらしく、また花が咲くように笑った。

「ああ! あんま二人喋んないッスもんね」
「そうなの」

嘘はついてないわ。ただちょっと真実を言わなかっただけ。あらやだ私、いつからこんなに悪女になったのかしら。ふふ、男を掌の上で転がしちゃうのね、いい感じ。
にっこりと可愛らしく笑ったティーダは、私の手を握ると反対の手であの、なんて言ったかしら。あの特殊なボールを構えた。大きく振りかぶって、勢い良く発射! 振動が繋いだ右手から伝わってくる。ギュルンギュルンと空気を裂いて、ブラ、ブル…なんとかボールは見事に輝く銀髪にブチ当たった。300メートル前方で、仰け反った銀髪が重力に従って地面に倒れる…寸前で持ちこたえる。凄い背筋ね。

「………!!」

片手を振り回して、ロフー、レー、ララー? なんとかさんが大声で怒鳴る。私の幻獣イヤーは彼の言ってる言葉どころか、バクバクと鳴る心臓の音まで正確に捉えているけれど、聞こえないフリ。慣れたものよ、何年迫害されてきたと思ってるの。犬笛とかも実は聞こえるし、隣の部屋で蟻がクシャミする音とかも聞こえたりするんだけど、人間はそういうの「キモッ」って言うのよね。全く、人間の鈍感さには呆れるばかりよ。
でもティーダは違った。ハハッとすごく楽しそうに笑って、私の手をくいくいと引く。

「アイツ、めっちゃ声裏返ってるッス」
「…そうね。心臓もバクバクいってるわ」
「な! ビビり〜」

そうだったわ。そうだったじゃないの、もうティナったら本当に今日はうっかりさん。ティーダも幻獣系だったわね。ということは、ティーダにもあれやこれや聞こえてるってことね。今度、深夜のコスモスとリーダーの逢引きについて語り合いましょう。バレてないと思ってるんだからあの二人も詰めが甘いわ。絡めあった手が擦れる音さえ聞こえてるっていうのに。毎晩毎晩、今夜こそはチューするかとワクワクしながら聞いてる身にもなってよね。ニヤニヤが止まらないったらないわ。

「ほら行くッスよ、ティナ!」
「あ、ま、待って!」
「おーい、のばら〜!」

私が考えている間にも、楽しそうに笑ったティーダは真っ直ぐ駆け出した。もちろん私の手を引いたままで。ティーダの速度に付いていけず足が縺れるけれど、転ぶよりも早く体が前に引っ張られて進む。自分だけじゃこんなに走れない。まるで風になったみたい。
思わず私も笑ったら、もっともっと大きな声でティーダが笑った。

こんなに晴れやかな気分初めて! 幸福感に体が満たされていく。ふわふわと意識が風に乗って飛ばされていくよう。求めていたものを手に入れるのが、こんなに素晴らしいものだなんて知らなかった。私は今、何より欲する答えを手に入れたのよ。ああ、なんてこと。彼、ノバラさんって言う名前だったのね!
…思ってたより短い名前だったわ。






2012/03/29 20:59
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