君はまるで矢のようだ。
光を帯びてどこまでも真っ直ぐ飛んで行く。

君の攻撃はまるで君自身のようだ。
気高く空を翔ける矢はきっと、地上を醜く這う俺の姿になど気付かない。

君は矢だ。
君の心は、矢だ。

見上げる俺はきっと、薄汚い蛆虫だ。



輝くフリオニールを見ていると、俺は何時だって泣きそうになる。物語の中の勇者さまを体現したかのようなフリオニールの姿は、俺にとっての憧れそのものだった。
好かれたいなんて大それた望みは持たないが、せめて嫌われたくはなくて、俺はフリオニールの前では殊更陽気に振る舞ってみせていた。戦乱の中で育ったというフリオニールは、争いの無い世界で育った子供は皆明るく無邪気であると信じていたからだ。まさしく争いの無い、フリオニールからしたら理想郷に近いような場所で育った俺は、浅ましくもそれを武器にフリオニールに擦り寄った。
真っ直ぐ前だけを見て進むフリオニールには、捻じ曲がり絡まった醜い俺の考えなど、想像も付かないに違いない。俺の思惑通り、優しいフリオニールは俺を嫌わず笑いかけてくれた。それどころか、気に入ってくれさえしたらしい。いつしか共にいる時間は長くなり、フリオニールは俺を他の仲間よりも気にかけてくれるようにまでなった。
思いもしなかった幸運に、俺は舞い上がった。隣に立つフリオニールが、憧れの象徴が笑みを向けてくれるという過ぎた幸せに、愚かな俺はもしやフリオニールは俺を特別な仲間と思ってくれているのではないかと、この上なく都合の良い幻想を抱いてしまったのだ。こんな存在さえしない、都合のいい夢ごときが。

身の程を知らない馬鹿な夢をみた報いはすぐに訪れた。
よくある、イミテーションとの戦闘の後のことだ。秩序の聖域に近付きすぎたイミテーションを四人程の仲間と共に討伐し聖域に戻ると、その日は聖域に残っていたフリオニールが真っ先に俺に近付いてきた。

「ティーダ、怪我をしたのか!?」
「だーいじょうぶだって! これくらい!」
「そんなこと言って…」

俺の名前を呼ぶフリオニールに、思わず顔が綻ぶ。この瞬間が俺は例えようもなく好きだった。フリオニールに名前を呼ばれると、まるで俺も秩序に相応しい正しい存在になれたかのような錯覚できるからだ。それが勘違いも甚だしいことは、誰よりも俺が一番分かっている。それでも、真っ直ぐに俺の所に来てくれるフリオニールを見ると、喜びと僅かな優越感とで心が浮き立った。他の仲間はそもそも皆まったき善であり、呼ばれるべくしてここに呼ばれた人々なのだから、何故ここに呼ばれたかも分からない俺ごときが優越を感じるのは可笑しいのだけれど。

「血が出てるじゃないか」

不意に、フリオニールが俺の顔に右手を伸ばした。手甲が外された手は、日焼けしていなくて白い。その白さを認識すると同時に、俺は力一杯フリオニールの手を払いのけていた。響いた高い音に、回りの仲間達の目も俺達を向く。

「…あ」

思わず零れた俺の声の滑稽さといったらなかった。フリオニールは信じられないといったように目を見開き、ただじっと俺の顔を見ている。琥珀の目に見詰められて、俺は今すぐこの体が幻光虫に変わることだけを願った。

「あ、その、すまない、ティーダ。ちょっと無神経だったな」
「………」
「…えーっと、怪我の手当ては、ちゃんとしろよ」

謝ることすら出来ず立ち尽くす俺に少しだけ笑いかけ、フリオニールが俺からそっと離れる。離れていってしまう。俺が馬鹿な夢をみたから、俺がフリオニールの特別になれるかもしれないだなんて身の程知らずな妄想をしたから、フリオニールに背を向けられてしまった。フリオニールに嫌われてしまった。きっともう二度と俺に微笑みかけてはくれないだろう。
立ち去るフリオニールの背を見ながら、その日俺の心は確かに断末魔の叫びを上げた。



*****



フリオニールの手は、フリオニールの誇りそのものだ。傷だらけで剣ダコのできた手は、しかしどこまでも白く力強い。その手を俺は何より神聖なものだと思っていた。それこそあのどこもかしこも真っ白な女神よりも、ずっと。だからあの手が薄汚い俺の血に汚れるなど、あってはいけないのだ。
フリオニールが俺の血を拭おうとしているのだと気付いた瞬間、考えるよりも早く俺はフリオニールの手を払いのけていた。あの美しい手を俺の血から守らなくてはいけなかった。ジンジンとした痛みが、今もまだ俺の左手に篭っているような気がする。
きっと俺はフリオニールに嫌われてしまった。あの高潔で真っ直ぐな心を傷付けてしまった。手を弾いた瞬間のフリオニールの驚いた顔と困ったような笑顔が頭から離れなくて、俺は両の手の平で顔を覆った。それでも目は閉じない。目を閉じることで、より鮮明にあの時のフリオニールの顔が蘇ってしまうことが怖くて、俺は指の隙間から僅かに見える地面を精一杯睨みつけた。
そもそも俺のようなものが、あの綺麗なフリオニールに憧れなんて抱いた所から既に間違っていたのだ。嫌われたくないならば遠くから見ていれば良かったのに、どうにかして心の隙間に潜り込もうなんて考えてしまった。フリオニールが自分に纏わり付く子供を邪険に出来ないことまで計算に入れて、フリオニールの優しさに付け込んだのだ、俺は。優しいフリオニールはまんまと俺に付け込まれて、その結果がこれだ。フリオニールの気遣いを無下にし、フリオニールを傷付け、フリオニールに嫌われてしまった。それをこの世の何より恐れていたというのに。
俺が愚かな望みさえ抱かなければ、フリオニールは俺の怪我なんかに手を伸ばすことも、ましてやその手を弾かれることもなかっただろう。今更としか言いようの無い後悔がぐるぐると頭を巡るが、それから逃げる権利など俺に有るはずもなく、俺はひたすらに過去の自分を罵り続けた。

あれ以来フリオニールとは顔を合わせていない。面と向かって拒絶の言葉を言われてしまったら、その途端に俺は仄かに光る虫と成り果てて空気に溶けるだろう。それはむしろ歓迎すべき事柄だったが、ただでさえ数少ない秩序軍が一人減ることで、どれぐらいの負担をフリオニールに強いることになるかと考えるとどうしても消えることが出来なかった。例え消えるのが最も戦力にならない俺だったとしても、いないよりかはいた方がマシなのは確かなのだ。

「おーいティーダ、今夜はどうする?」

後ろからかけられた声に、思わず肩を大袈裟に揺らしてしまった。きっと気付いただろうに、聞かずにいてくれるジタンはなんて良い奴なんだろう。

「あ、出来たら今夜もお願いしたいッス」
「オッケー」

それだけを言って、ジタンはまた俺に背を向けた。
フリオニールの手を弾いてしまったあの日から、俺はジタンとスコールのテントにお邪魔していた。フリオニールと共同で使っているテントには、とてもじゃないがいられなかった。こんな風にまた仲間に迷惑をかけて、一体俺はどこまで図々しくなるのだろう。

「あ、おいティーダ…」

立ち去るかと思っていたジタンが、慌てたように俺の名前を呼んだ。こんな聖域の近くでイミテーションでも出たのかと振り向いた俺が見たのは、焦がれて止まない銀髪だった。

「ジタン、今夜はティーダは自分のテントに戻る。悪かったな」
「いやいいけどさ…えーっと」
「ティーダと話がしたいんだ」
「あ、じゃあ俺は向こうに行ってるな!」

走り去る瞬間、ジタンがちらりとこちらを見た。フリオニールと二人きりになってしまうのが怖くて仕方ない俺が手を伸ばすより早く、その目は逸らされてしまう。引き止める間もなくジタンの背はみるみる小さくなって、ついには最も恐れていた状況に俺は対面することになった。
静かに近寄ってきたフリオニールの顔を、見ることが出来ない。その目に嫌悪が宿っていたらと考えると、怖くて仕方ない。今すぐにでも逃げ出したいのに、わざわざフリオニールが俺に会いに来てくれたと喜ぶ浅ましい俺の一部が、足を地面に縫い付けてしまった。

「ティーダ、こっちを向いてくれないか」
「………」

歯がカチカチと鳴って、俺は自分が震えていることに初めて気付いた。

「俺は何かお前に酷いことをしたのか?」

まさか、そんなわけがない。慌てて首を左右に振ったけれど、顔を上げる勇気はなかった。

「なぁ、何か言ってくれないか。頼むよ」

それでも、俺がフリオニールの頼みを聞かないでいることなど出来ないのだ。だってフリオニールは俺の憧れそのもので、俺はどんな手を使ってでもフリオニールの心に潜り込みたいと考えてしまっているのだから。

「ごめんなさい、ごめんなさい…っ」

両目からぼたぼたと涙が落ちる。見上げた先のフリオニールの顔は一度驚きに染まって、そしてすぐに困惑に変わった。
面倒臭いと思われたに違いない。期待外れだと、失望したに違いない。だって俺は、フリオニールが憧れ目指す平和な世界で生まれ育ったのだ。平和な世界の子供は泣かない、いつも明るく朗らかに笑っていて、幸せだけを周りに振り撒かねばならない。俺がそう振る舞ったから、フリオニールは俺を気に入ってくれたのに。

「なんで泣くんだ、ティーダ…」

フリオニールの方が、よっぽど泣きそうな声だ。俺はまた俯いて、渇いた大地を睨みつけた。

「嫌わないで。頼むから、お願いだから」

フリオニールが、息を飲む音が聞こえた。呆れてしまっただろうか。今度こそ浅ましい俺の心に見切りをつけて、遠くに行ってしまうだろうか。
遠くに行ってしまってもいいんだ。ただ、見続ける事を許して欲しい。それさえも拒絶されたら、俺は本当に小さな虫に分裂して、世界から消え去ってしまう。

「馬鹿だな」

暖かい手が、俺の頬を撫でる。涙を拭って、俺の肩を引き寄せる。抱き込まれた腕の中、冷たい甲冑が俺の火照った頬を冷やすのを、どこか他人事のように感じた。

「俺がお前を嫌いになるはずないだろう」

泣いていたんじゃないだろうか。だってフリオニールの声は、引き攣って所々ひび割れて、掠れていたから。痛いくらいに抱きしめられながら、俺はそれを確かめる勇気も、フリオニールの背中に腕を回す勇気も無く、ただフリオニールのサラサラとしたマントを握った。



君の心は、矢だ。
地上になど目もくれず、真っ直ぐに空を翔ける矢だ。

光の軌跡を描く矢は、ただひたすらに希望だけを目指して飛んで行く。
本来なら俺ごときには気付くはずも無かったのに。

地上を這い回っていた俺は、優しい君に付け込んでその軌道を捩曲げた。
地面に突き刺さった君がそれでも優しいものだから、蛆虫の俺はもう泣く以外に何も出来ない。






2012/03/14 22:48
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