B3→total reflection | ナノ


どうか夢の中では穏やかであれ
起き上がって、戦わなきゃいけないはずなのに、体が動かない。
右手の中にある大鎌が冷たい。まるで自分の武器ではないかのような感覚だった。
掌に神経が通っていない錯覚を覚える。もう武器を握る力も残されていないらしい。

目にしなくても、自らの身体から血の気が失われていくのがわかった。
怪我をしていない場所なんて、むしろ存在しないのではないか。
無様に地面に這いつくばり、背後から刻々と迫る死の恐怖に、動作にならない足掻きをするしかない。

エルダー級。その一段下の階級の血界の眷属だった。
だからといって油断していたつもりは毛頭ない。
今回の作戦は大掛かりなもので、他のメンバーはそれぞれ別の眷属や堕落王が召喚した化け物と戦っていた。だから彼らを頼ることはできなかったし、仮に今みたいに眷属に遭遇しても、現在の自分の実力なら勝てると確信していた。――まあ、それが敗因だったわけだが。

情けないな、と口の中だけでつぶやいた。
対峙した血界の眷属は、読心術の使い手だった。それも飛び抜けて高精度の。

凍らせて心の奥にしまいこんだ感情を引きずり出されて、激しく動揺した。
恋慕。嫉妬。悲哀。切望。なにもかも。
単純な揺さぶりに嵌るほど、心が弱かったとは。自分の醜態に自嘲すら出てこなかった。





死の気配がひた、と背に触れた。

死にたくない。
――死にたく、なかったんだけどなあ。

思わず乾いた笑みが零れる。

――でも、死ぬよねえ。

そうやって、諦めてしまった方が楽だ。

自分が一番苦しいとき、助けに来てくれるのはいつもザップで。
しかし戦況的にも救援は望めまい。
救いの手を差し伸べてくれたお礼をまだ、何も返せていないことが心残りだった。

それから。

否、それでも、やっぱり。

壊された氷のかけらは、ちくちくと心を蝕んだ。
心の外側が少し傷つくと、それはさらに容赦なく突き刺さる。
溢れ出る血液は、恐ろしく透明で、氷水の如き絶世の輝きを放ってとめどなく流れてゆく。

……やっぱり、自分は。

灼熱の炎より、絶対零度の氷に強く、焦がれた。


一陣の風が吹く。

世界が一瞬にして姿を変えた。
北極か南極かと見紛うほどの冷気と、そそり立ついくつもの円錐型の氷柱。
広い背中。はばたくジャケット。ちらと見えた横顔は、スカーフェイス。

そんな都合のいいことが、起こるなんて、信じない。
信じてしまったら、自分は自分でいられなくなる。

どうか、期待させないで。どうか、お願いだから、


「杏樹ッ!大丈夫かい?!」


そう言って、切羽詰まった様子で自分を助け起こした人を見て、まだ彼は、自分を大切に思ってくれているのだと。
触れなくなって久しいその体温を感じて。まだ彼は、自分に触れてくれるのだと。
嬉しかった。
それがたとえ、妹としてでも。
妹としてでも?
……そんなこと、これっぽっちも思っていないのに。
ぽろりと一粒、涙が落ちた。

「ごめんなさい、スティーブン。わたし、もう『いい妹』でいられない」

じわじわと紅が広がる服に、ぽたぽたと新たに染みが増える。
泣いたらだめだと理解しているのに、どうやったって止まらない。視界に映る愛しい人は、すっかり滲んでしまって、どんな顔をしているのかわからなかった。

「――わたしね。わたし、あなたに嫌われてもいい。突き放されても構わない。それでもね、この気持ちを否定されるのが、一番つらくて、苦しくて。だから、なかったことにしようって、思ったんだけど、」

彼が何かを言っている。すぐ近くにいるはずなのに、声が聞こえない。

「無理、だった。ごめんね、わたし、やっぱりあなたのことが、スティーブンのことが、大好き」

ああ、寒い。
ひどく寒い。
愛おしいこの冷たさを、ずっと感じていたい。
けれどどこからかじわじわと疲労と睡魔が襲い来て、瞼を閉じさせようとする。
今この瞳を閉ざしてしまえば、もう二度と彼に会えなくなる気がした。
そうやって意地になって拒んでいたら、彼がそっと、掌を包み込んでくれるものだから。胸の中は柔らかなあたたかさで満ちる。
心の氷塊が溶ける音を聞きながら、ゆっくりと瞼は落ちていった。


▼ この戦闘の真相(反転)→アリギュラがフェムトに無理を言って、エルダー一個下級の眷属に擬態して、杏樹とスティーブンの恋路を成就させようとした。そのためにこの大きな事件を引き起こしたし、この場のお膳立ても完璧にしていた。だからこそのスティーブンが助けに来るという王道展開。それにしてもやりすぎではというツッコミは、自称恋の伝道師であるアリギュラには通用しない() 2015/07/21(2017/09/11up)

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