ピンで刺された夜光蝶 二人きりの本部は、別段珍しいことではない。スティーブンと二人で穏やかな昼下がりを過ごすのが好きだった。けれど今やそこには絶妙な息苦しさが生まれている。杏樹もスティーブンも、気づかない風を装っていた。 「そろそろ、休んだら? 体に響くよ」 デスクに近づき、淹れたてのコーヒーをことりと置く。豆にも拘った少し熱めの無糖を専用のマグで。スティーブンが最も好んでいたコーヒーの条件だ。 「ああ、知ってる。ありがとう」 隈が濃く浮かび上がる顔で、スティーブンは微笑む。 たしか今日で四徹目だ。 疲れた姿を見ていられない。 「でも、スティ、」 「気持ちだけ、受け取っておくよ」 こういうとき、彼は必ず杏樹の頭を撫で煙に巻いていた。それは決して自惚れではなく、事実としてあったのだ。 しかしスティーブンは笑みを湛えたまま「いつも杏樹には心配をかけるね」と労っただけだった。 わずかでも、心のどこかで彼のあたたかい掌を期待していた自分に幻滅した。 「そんなこと、ないよ」 彼は何も言わなかったから、ちゃんと「いい妹」の表情で笑っていられたに違いない。 ▼ 2015/07/22(2017/07/20up) ←back |