悲しみも包み込むがごとき海の蒼 ――命。全ての生き物に等しく与えられた魂は、一度失えば決して戻らない。 生命の光が消える瞬間、対抗する立場の者はどうあれ、少なくとも仲間でいた者たちはそのひとつひとつの重さを改めて自覚する。そうして自戒するのである。二度と、失うことがないようにと。 * 周囲に敵艦隊の姿のない晴天の日。潜水艦イ401は海面に浮上し、航行を続けていた。 インターバルチェックを終え、いおりから解放されたイオナは甲板への階段を上る。 メンタルモデルである彼女にとって、外気を吸うことにとりたてて意味はない。けれど浮上した際には甲板へ上がることが、いつしか習慣になっていた。それは群像や杏樹をはじめとするクルーが、甲板から度々海を眺めていたことが起因するのやもしれない、とイオナは思う。普段イ401に搭乗しているときの緊張した面持ちとは異なり、彼らの表情は柔らかく穏やかであった。 人類と違い、感情というものがほぼ存在しないイオナだが、こうして彼らと関わる中で多くの物事を感じ、考えてきた。おそらくだが無意識に、甲板に立ち広がる青の世界を眺めるという行為が嫌いではないと覚えていたのだろう。 鋼鉄の扉一枚隔てただけで、向こうにあるのは一面真っ青な景色だ。 イオナは鋼鉄のノブに手をかけ、外側に押し出す。開けた瞬間、勢いよく飛び込んでくる潮風にイオナは思わず双眸を瞑る。薄目のまま重い扉を閉めたあと、一息おいて艦の先端に視線を向けた。 「……杏樹」 青い海と空の支配する世界にひとつ別の色彩が落ちていた。 ――鮮やかな金色。 素晴らしく映えるその色に、イオナは瞠目した。 「あぁイオナ。ほら、こっちおいで」 手をひらひらさせて促され、イオナはぱたぱたと杏樹の元に駆け寄る。イオナが隣に並べば、杏樹は眩しそうに瞳を細め、微笑んだ。そのあとで彼女は前方に視線を戻す。 海を見つめる杏樹の青い瞳には、ゆらゆらと何か不安定なものがうつろっていた。イオナはその正体がわからず首を傾げる。 それを気配で察した杏樹は、海から目を離さないまま「ごめんね」と謝罪を口にした。ますますわけがわからない。杏樹に謝られるようなことをした覚えがなかったイオナは、さらに首を傾げた。 「たまにね、懺悔したい気持ちに駆られることがあるんだ。見えるもの全て助けることはできないってわかってても、それでも助けられなかった命に申し訳が立たないなあと思って」 自嘲気味に口の端を上げる杏樹を、じっと見つめていたイオナは、しかしこのように大衆を思い救いたいと感じている人間が、総じて優しいことを知っていた。 「杏樹は優しい。優しいからたぶん、疲れやすい」 それを聞き、杏樹は目を見開いた。 だが次の瞬間には薄く笑んで「ありがとう」と返す。 その声色は柔らかで、瞳に映るあの不安定な灯火は消えかかっていた。それを確認したイオナは満足して「うん」と頷いた。 艦が海を分け、白波を立てて進んでいく。波は光に反射して、きらきらと輝いた。そのひとつひとつの美しさが、イオナにはまるで人の命のように見えた。 ▼ これまでの戦いの中で消えていった命たちへ。 2014/04/03(2014/06/03up) ←back |