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戦いますそれで世界が変わるなら
――霧の艦隊。
21世紀中盤、温暖化による海面上昇深刻化と同時に突如として現れた謎の船艇群。
人類は地上の行き場を失っていた上に、能力を大きく凌駕するその艦隊に海上を制圧された。成すすべもなく、現在海の覇権は彼らのものとなっている。
しかしそんな時世、半ば奪取する形で政府に拿捕されていたイ401に乗り込み、霧の艦隊と真っ向から戦うことを決意した者たちがいた。それが千早群像であり、波崎杏樹である。





佐世保沖で海軍に砲撃していた軽巡洋艦ナガラを撃沈させ、一息ついたイ401は海面に浮上。艦長、千早群像の学院での同級生でもあり、全体補佐兼戦術監督担当の少女、波崎杏樹は、久々の外の空気を吸うために甲板に上がった。

重い鋼の扉を開けると、目の前に広がるのは一面青い世界。すぐに潮のにおいが鼻腔をくすぐり、杏樹は思わず口元を緩める。あいにく、潜水艦内生活をしていると開放的な場所に出られる機会は少ない。どこまでも続くオーシャンブルーと、澄んだスカイブルーを独り占めできるこの時間が、杏樹は何よりも好きだった。
自らが危ない橋を渡り続けていることを理解しているからこそ、この僅かな平穏に包まれる幸せを噛み締めていた。

杏樹たちがイ401のメンタルモデル「イオナ」と出会い、強大な力を持つ霧の艦隊に立ち向かうことになったのは、もう二年前の話だ。今までの日々は長くも短くも感じられた。
イオナと出会う前……海洋技術総合学院に通っていた頃は、どうにかして今の戦況を変えたいと望みながらも、圧倒的な敵に戦いを挑むのは無謀すぎるし、そんなことは馬鹿のすることだと諦念の日々を送っていた。
けれどイオナに接して、なぜだか不可能ではない気がしたのだ。優秀なクルーが集う中、杏樹の心ではその思いがどんどん強くなっていった。

たった一人では勝てないだろう。だがイオナ――イ401がきっかけになって、あわよくば日本が、世界が変わっていったなら。ヒュウガのように、霧の艦隊さえ、変わっていったなら。

「――杏樹、ここにいたのか」

波音に紛れて背後の扉が開き、声をかけられる。振り返らなくてもわかった。群像だ。
艦の先端近くで遠望したまま、杏樹が「まあね」と返せば、彼はくすくす笑いながら隣に並ぶ。むっとして群像に視線を移せば「いや、杏樹は本当に海が好きなんだなと思って」。

「海が好きっていうか、新鮮な空気が吸いたいというか……」

群像の皮肉のない台詞に照れくさくなって思わず言葉を濁してしまい、そのあとで取り繕うように再び口を開いた。

「イオナは?」

群像はこの子どもっぽい誤魔化しに対し「船のインターバルチェックでいおりに捉まってるよ」と微妙に笑みを堪えながら答える。全く普通にスルーすればいいものを、と恨めしげに見やる。

「でもまあ、冗談抜きでこの景色はいいものだと思うよ。ずっと見ていても飽きない」

ここで話を戻されたことになんという揶揄か!と感じたが、眺めていた群像の面持ちが先ほどとは打って変わって真面目なもので、杏樹は口を噤む。潮の乗った風が髪をさらっていった。

「……うん。私は、たくさんの人たちにこの美しい景色を残したいなあ。そうしていつか、見てもらいたい」

波の音、潮のにおい、海鳥の鳴き声、一面に続くきらめく海と、天上高く広大な青空。五感全てを用いて感じる青の世界。今となっては人々が簡単に見ることができなくなった光景の眼前に、自分たちはいる。

群像は「ああ、そうだな」と優しく微笑み、もう一度視線を海に向ける。杏樹もそれにつられて海を見た。
今度は次に目にするときまで覚えておくため、この青をしっかりと瞳に焼きつけるために。


▼ 2014/04/02(2014/04/06up)
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