たゆたう視線
※『あばばばば』の話
※芥川さんの年齢の関係で『タバコ屋→雑貨屋』にしてます
明かりのほとんどついていない暗い部屋で、黒塗りの革張りのソファに深く腰を下ろし、芥川はぼんやりとある一軒の雑貨屋の店主の妻のことを思い出していた。
全く不可思議なことで、その女性は特に理由もなく脳裏に浮かび、あまつさえ芥川に最近はめっきり足を運ばなくなったあの店の追想をさせるにいたる。
あまりにもらしくない己の思考回路ではあったが、それは予想以上に芥川の脳内の広範囲に及んでいるらしかった。
*
元々行きつけであったその店のカウンターに、あるときから若い女性が座るようになった。
アルバイトかと初めは思ったのだが、普段は終始無愛想な店主が彼女にだけ幾分か和らいだ視線を向けているのを見て、幼いながらにもああなるほど、新妻か恋人かと理解した。
彼女は店の勝手がわからず、芥川の注文に一喜一憂し、時折自らの至らなさに恥じ入って頬を染め、初々しい姿を見せていた。
それ以降は芥川の学業が忙しくなり、自然と足は遠のいていたものの、数年後に再び訪れてみるとやはりその女性がカウンターに座っており。しかしその腕の中ではふっくらとした赤子を抱いていた。
以前の彼女ならば人前で赤子をあやすことを恥じ、顔を赤くしていたかもしれないが、芥川の来店に気づいてもなお、赤子に声をかけあやすのであった。
そうして数年前と同じ芥川の注文にも、優しいながらもどこか気丈な笑みを浮かべ、恥じずに応対するのであった。
「――どの女も男女の契りを結び、子を産めば。あるいは。……あのように変わるものなのか」
それは半ば独り言だった。
自然と漏れ出た言葉に、向かいのソファに座っていたくすんだ金髪とうねる夜色の瞳をした少女は、にやにやと見るだけでこちらを腹立たせる顔で笑った。
「あっは! あの芥川さんも昔、意中の相手がいたカンジ?!」
「今すぐにでも教育し直してやろうか、この木偶が」
声を低くして黒い獣――『羅生門』を構えると、少女、絢は口を噤む。
けれどもその顔はいまだ笑っており、芥川の心をざわめかせた。
それに眉根を寄せた拍子に、咳が連続で飛び出した。
とっさに口元にあてた手のひらを見るが、血はついていない。
まだ喀血はしていないだけ安心だろう。
そうして芥川は、これ以上目の前の木偶に目くじらを立てるのも馬鹿らしい気がして、またぼんやりと暗闇を眺め始めたのだった。
▼ 実際の作品とは矛盾点ありまくりです、すみません……
2013/09/01(2013/11/10up)
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