私のことは見切っておくれ
こちらを先に読んでから読まれることをおすすめします。







実を言うと太宰治は、波崎杏樹に愛の言葉を送ったことがない。
一切ない。





太宰は誰かを縛ることも、誰かに縛られることも嫌いだった。
幼少期から周囲の人間に雁字搦めにされて成長した太宰にとっては、それは不幸でしかなかった。
他人に縛り縛られることがどんな人間にも、結局は幸福をもたらすことがないと身をもって知ってからは、言葉で人を繋ぐことを止めた。
人を愛することを止めた、と言うと語弊があるが、すくなくともその感情を言葉にすることで、相手と自分を『愛』で結ぶことを止めたのである。
それは一種の呪文のように、愛する人をも縛るからだ。

加えて太宰は、自分に人を愛する資格がないと確信していた。
いつか三葉の写真を見たころから、それは太宰の中で確固たるものとなった。
自分と酷似したその人間が、まるで映し鏡のようにしか見えなくなった太宰は、いつしか自分があのようになるのではないかとひどく恐怖した。そうしてそうならないためには、人を縛らずに生きることが得策だと判断したのである。なぜなら、かの写真の男も幾多もの人間と繋がり、束縛されることで人格を崩壊させていったからだった。そのような考えがあって、彼のような狂人に変貌するかもしれない己は、まともに人を愛してはならないと自戒した。





それでも人は、人を愛せずにはいられない生き物だ。

太宰治という哀しい怪物は、波崎杏樹という美しい生き物に出会ってしまった。





出会った際のシチュエーションは、奇しくも中島敦と同じであった。今日も今日とて入水自殺をしようと橋の上から飛び込んだ。もちろん、そう簡単に成功するわけもなく、例によって川に流されているとその水でぼやけた視界に、少女が流水の中こちらへ向かってくる姿が目に入ってくるではないか。遠目ではあったが、陶磁器のような白い肌に艶やかな金髪の少女だった。美しい女性と入水するというのは太宰の浪漫であったから、願ってもないことなのだが、如何せん状況が悪い。彼女とはもっとちゃんとした時所位で入水したいものだ!その強い願望が功を成し、太宰は自ら彼女に手を伸ばし、なんとか助けてもらったのである。

「あなた馬鹿ですか?! それとも阿呆ですか痴呆ですか?! 5字以内で答えてください!」

河川敷に引き上げられ、ある程度息が整ってきた瞬間、太宰は彼女に怒鳴られた。

「死ぬのならわたしの目の届かないところで死んでください!!」

太宰が返答しようと口を開いた瞬間に、次の叱責が飛んでくる。太宰はそれを咀嚼して、ふと、普通は「死ぬなんておかしい、と怒るところでは?」と彼女のどこかずれた発言に首を捻った。しかし即座にその首に「人の話は真面目に聞く!!」の怒声と共に手刀が振り下ろされたので、強制的に思考は寸断されてしまう。

「……あなたねえ、「君は誰かに『愛されたい』と思う?」……は?」

再び金髪の少女がお小言を言う前にと、すかさず太宰は問いかける。話を逸らされたことに対し、彼女は眉を顰めたが、先程までのマイペースさとは裏腹な太宰の真剣味を帯びた表情に少したじろいだ様子であった。

「君は『愛』が欲しいと思う?」

重ねて問う太宰を、彼女は怪訝そうな青い瞳で見つめた。
太宰はそれすらも心地よく、むしろなんて空のように澄んだ色の瞳なのだろうと感心を通り越して感動してしまった。
彼女は、問いの真意を探るように太宰を見つめていたが、すぐに観念したようで、「ないよりはあったほうが、欲しがったほうがいいとは思いますけど……。でもそんな幸せは、今まで十分もらってきたのでいりません。むしろわたしはアガペー的な愛を与えたい側の人間です」と至極真面目に答えた。

「あ、アガペー……っぷ、くく、」

なぜかそれが笑いの壺に入ってしまい、必死で抑えようとするも口の端から笑い声が漏れてしまう。憤慨されるかと思ったが、彼女はそんな反応にも慣れているらしく、やっぱりと溜息を吐くだけであった。
十分幸せをもらってきた、と答える彼女は、一体どれほど自分と正反対の生活を送って来たのか。己より幸福な人間に対して今更妬むようなことはないが、興味本位で気になった。同時に、神の愛のような無償の愛情を与えたいとまで言わしめた彼女の『今までの生活』とは、どのようなものなのか。愛されることに頓着しない、皆を一度に愛するのだと――特定の一人を愛することもないと――公言した彼女に、どういうわけか惹かれた。

ああ、あれほど人を愛さないと固く心に決めていたのに。

「……私は太宰治。君の名前はなんていうの?」

突如風が吹いて、彼女の一束の金髪を舞い上げた。太陽の光に反射して煌めく髪は、絹のように美しく、目を奪われた。名乗りを上げた太宰に少し驚いた様子で見開かれたその清廉な青い瞳にも、名前を紡ごうとして僅かに動く儚い桜色をした唇にも――。もしかすると、彼女の姿を一目みた瞬間から、焦がれていたのかもしれないと太宰は思う。まるでもう一人の自分であるかのように強く。これがかのプラトンの云う、イデアを激しく希求する感覚であろうか、とすら錯覚した。

彼女はきっと、愛の言葉を送らなくても足ることを知っている。
そして彼女はきっと、縛ることも縛られることもないだろうと確かに理解した。
自分がどれだけ人を愛する資格も価値もない存在だとしても、言葉にしないのだからどうか――愛することを許してほしい。


▼ ちょっと微妙な話かもしれませんが……。遠からず『そういう』ことです。文章能力の至らなさを実感しました……。
  2013/12/17(2014/08/17up)
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