自殺入門
※人間失格の話
※少しだけ太宰さんの過去を捏造してます























――以前私が目にした、或る男の三葉の写真。
それは、私自身を見ているように思えてならなかった。





昼過ぎの探偵社にて。
開けた窓にもたれて、煙草をぷかぷかと吸う。もやもやとした白煙が青い空に立ち上っていくのをぼんやりと眺めていた。
普段と何も変わらない雄大で広大な青空を見上げる度、太宰は世の平和を噛み締める。しかし――漏れ聞こえてくるテレビのニュースからもわかるように――同時に平和と諍いが紙一重であるということも実感するのであった。

「……太宰さん、珈琲飲みます?」

煙草を人差指と中指で挟み、口から離す。
そして太宰は背後からかけられたメゾソプラノの声に、ゆっくりと振り返った。

「ああ。是非淹れてくれ」

そう微笑めば、太宰の思い人である彼女――杏樹も表情を綻ばせてくれる。
ぱたぱたと簡易台所へ向かう彼女を柔らかな眼差しで眺めながら、コートの懐から携帯灰皿を取り出し、鈍い銀色にまだ赤く燃える煙草の先を擦りつけた。

こうして日常のふとした瞬間、この穏やかな日々が永遠でないと、狂気と表裏一体なのだと改めて認識する度に、あの三葉の写真を思い出す。すべて同一人物の男の写真である。一枚は十歳前後、もう一枚は学生時代のもの。そして最後の一枚は具体的な年齢はわからないが、ただ髪が白かったのが印象的だった。
どれも気味の悪い写真であった。

太宰は職業柄人の表情に敏感であったためわかったことだが、普通の人ではおそらく、特に一枚目の写真に関しての醜さは理解できないだろう。当の少年と共に映る家族は笑っているのに、彼は笑っていないのだ。顔を顰めているだけの表情である。まるで、笑うことを知らないようなのである。

また二枚目の写真は、やはり写真の少年もある程度人間関係をわかってきたころだからか、ちゃんと笑顔と判別できた。しかしやはりその表情には気味の悪さが残る。それは機械のように人間味のない上辺だけの笑みに見えるのだ。

ちなみに三枚目は、もうどの年代なのか全く判別がつかない。彼が白髪であることから、少なくとも二枚目より後のことだとは判断できる。だがその貌は、若人のようにも、老人のようにも見えた。双眸を閉じればすぐに忘れてしまう。異常なほどに何の特徴もない無表情だった。

そして顔見知りのマダムは、これらの三葉の写真と、写真の男の手記を合わせて太宰に渡した際、こう言ったのだ。
『私たちの知っているあの子は、とても素直で、よく気がきいて、――神様みたいないい子だったのよ』

神様みたいな、いい子。
なるほど彼は、他人受けはよかったらしい。しかし、あまりにも他人を気にしすぎたせいで、その本心をとうとう理解されることがなかった。最期には精神病だと断定される始末。
ああ、なんと哀れであろうか。
彼のすべてが己に似ているとは思わないが、生い立ちはやけにそっくりで、手記の読後には吐き気すら覚えたほどであった。裕福な大家族に生を受けたことも、体裁を守るため終始周囲の人間に細心の注意を払って、家族すら欺いて過ごし、初等・中等教育では秀才と腕白という二面性を見せ、さらには高等教育時に中退したことも、その後飲酒に溺れた精神的に衰弱した時期があったことも、自殺未遂を繰り返したことも。しかしだんだんと年を経るにつれて乖離点は増えていき、その事実に太宰はただただ安堵したものだ。

彼の人生を狂わせた物理的な原因はマダムも言っていたがそれは「父親」であろう。だが、内面的な原因をあえてはっきりとさせるなら、それは『臆病であった』ことであろう。
本当の感情を口にするのは怖く、また恥に感じる。そんな誰しもが持つ思いが彼の場合は苛烈で過剰だったのだ。自分の体面を固辞したまま常に腹の探り合いをする日常は、なかなか気が落ち着かないが、太宰の場合はそれに愉しみを見出した。おそらく彼との違いはそこなのだ。彼はいつでも苦痛と罪悪に苛まれていたのだろう。仮に己が、どこかで道を違えていたら。そう考えると彼と自分の存在こそ、この世界の表と裏のように紙一重であったのかもしれない。

「……太宰さん?」

閉じた携帯灰皿をコートの内ポケットに戻すことなく、手に持ったままぷらんと重力に任せ、背中を窓枠に預けたままぼんやり物思いに耽っていると、愛しい思い人の声が聞こえ、意識が浮上する。見ると、もくもくと茶色の液体から湯気の上がるマグカップを、両手を添えて持ってきた杏樹がこてんと小首を傾げていた。

「太宰さん、今日なんかおかしくありません? 体調悪いんですか?」
「はは、大丈夫だよ杏樹」

ただ物思いに耽っていただけだというのに、本気で心配されている状況に、素直に嬉しいもののそこまで自分は頼りないかと太宰は微妙な心境になって苦笑する。しかしそのあとには「心配してくれてありがとう」と、今度は微笑み、マグカップを受け取って、杏樹の柔らかな金髪を撫でた。

「い、いえ、こちらこそ……」

たったそれだけの動作であるのに、かああと顔を赤く染める彼女を目にして、太宰は彼女こそ『神様みたいないい子』なのではないのかと唐突に感じた。自分の言葉で一喜一憂する杏樹は、それでいて計算で振る舞っているわけじゃないから、これがまた本当に純真でいじらしい。もしも、己が彼のようになってしまったら、きっと耐えられないだろう。そんな姿で彼女を想い続けることが。彼女はとても綺麗で、純粋で、本当ならばこんな自分が思いを寄せることすら、おこがましいのだ。以前より決めていたことだった。それは仮定の話で、確率は低いことであるが。彼のようになる前に、そのような前兆が顔を覗かせ始めたら、死んでしまおう。入水でもなんでもして、死んでしまうのだ。自分にとっても彼女にとっても、それがいいのだ。彼のようにはなりたくないのだ。せめて今のままの姿で、彼女を思い続けていたいのだ。ああそれしか、己が彼のようになるのを防ぐ方法はない。


▼ 当シリーズでは太宰さんが自殺未遂を繰り返す理由の一つはこれだったりします
  2013/11/25(2013/12/02up)
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