にくしみの皮膜 ※男主sideどうして俺を監禁するの。 それはあの子をおびき寄せるためさ。君は絶好の人質なんだよ。聡い君はすべてわかっているんじゃないのかい。 ああわかっている、わかっているよ、お前が最低な男だってことはな、槙島聖護。 * あの日愛した者の手で殺されたはずだった俺が目を覚ましたのは、監房の中だった。 申し訳程度に柔らかい寝台に横たえられていた俺の身体は、動かしてみると案外滞りなく動いた。同時に、肌にこびりついた血の感触がなく、誰かが落としたことがわかった。気味が悪い。しかし一体誰が。首を傾げたけれど、そんなこと考えていても何の解決にもならない。俺はひとまず肺の中の重い空気を吐きだした。 なんとなく、灰色の冷たい壁に指を這わせる。その跡は、赤く染まっていくような気がした。ぼんやりとした瞳でそれを見つめる。すっかり洗われたはずの掌はしかし、酷く穢れていた。もう二度と、あいつに会うことはない。触れることも、ないのだ。 ――ああ。 ああ、伸元。 会いたい。会いたいよ。 込み上げてくるものを無理やり押し込めるために奥歯を噛む。 苦し紛れに吸った息が、その冷たさをもって喉を裂く。奇妙な音を立てて針のような空気は肺へ届く。 情けない。俺はいつの間に、こんなにも弱くなってしまったんだ。 これじゃあ笑われてしまう。 ……いや。 一体、誰に? 改めて今自分はひとりきりになったのだと自覚した。 この世界から離れる方法もわからない。 この場所から抜け出す方法もわからない。 そもそも、ここがどこだかすら、わかっていない。 人肌のない空間は涼しく、一種の心地よさを感じたけれど、それは寂寥を生んだ。 * 何時間、横たわったままでいただろう。 浅い眠りに落ちていた俺は、監房の外から聞こえてくる足音で瞼を開けた。 だんだんと大きくなっていたその音は、そして止まる。 「お目覚めいかがかな」 冷え冷えとした空気を切り裂く声音。 鉄格子の向こうに立っていたのは、真っ白な男だった。 白い、としか形容のしようがない男だった。 それほどまでに、純白が似合った。 すばらしく大きな闇を内包する。とてつもない得体のしれないもの。 白い狂気が笑みを浮かべた。 「見ての通り、最悪だけど?」 体を起こし、俺も負けじと挑発するように口角を上げる。すると男の表情がただの微笑から嘲笑に変わった。 それは俺に僅かな恐怖を抱かせたけれども、愛する者を失った俺にとっては、その恐怖に敵うものはなく。やがて恋人の喪失という恐怖に呑み込まれて消えた。 目の前に佇むのが恐ろしく純粋な狂気を携えた異常者だとしても、それは屁でもなかった。 「いいね、その目。壊すのが惜しい」 『殺す』のではなく『壊す』と言った彼の瞳が怪しい光を帯びた。 続けて「僕は槙島聖護という」と面白い玩具でも見つけたかのように破顔する。 「俺は――……、波崎ゆずだ」 一瞬名前を口にすることを躊躇った。 相手に対する礼儀を顧みず、ただ、本能的に躊躇したのかもしれない。 本能が拒んだのだ。この男を。 白い男――槙島はそれすらも興味深そうにその瞳を細めて見せた。 * 果たして、俺が彼の言葉の本当の意味を知るのは。 まだ遠い未来のことである。 ( にくしみの皮膜 ) ▼ PP夢いつつめです!『亡霊は隣人を愛する』でゆずの失踪後の話。そしてこの独房がどこにあるのかについてはみなさんのご想像にお任せします← 2013/02/04(2013/03/02up,2013/08/13moveagain) ←back |