亡霊は隣人を愛する ※男主side12月25日の夜。 本日は世間ではキリストの誕生日を祝う日ことクリスマス。つまり聖夜である。 シビュラシステムによって厳しく統制された国であれど、昔から続くこのイベントで羽目を外す精神は失われていない。幸いにも、今日は雪だ。人々は空を見上げ、舞い降りる粉雪に微笑みを浮かべていることであろう。 賑やかな祭り事の際であったが、宿直である宜野座は一人パソコンに向かっていた。もう一人の宿直である狡噛は現在別室で仮眠中である。キーボードを指の腹で叩きながら、宜野座はぼんやりとこのクリスマスの勤務を決めたときのことを思い出す。今回の勤務を決定したのは宜野座だった。問答無用で機械的にシフトを振り分けたが、杏樹から異論が上がった。『なんでわたしが早番なんですか』。それは予想していたことでもあったため、宜野座はあくまでもたまたまだと答えた。ちなみに縢と六合塚は遅番、征陸は非番である。しかし杏樹は、宜野座がこのようなシフトにした真意を見抜いていたようで、帰り際に謝罪と労いの言葉をかけていった。 相変わらず察しのよい女だ、と口元を歪める。 同時に、彼女のそんな性格がとうに消えたはずの幻と重なり、宜野座は奥歯を噛んだ。 今までずっと自分が追いかけていた道しるべは、ただの棒きれだった。 すべて間違っていたのだ。憧憬を抱くべきではなかったのだ。 そう思わなければ、この場所に立っていることはできない。 本当はどこまでも追い続けたかった。その背中を見ていたかった。できることなら、彼の重みを分け合い――隣に、立っていたかった。それらはみな、もう叶わぬことだ。そんな思いが自らの中にあったことすら、今では恥でしかない。 ……しかし、それでも。 「――チカ、」 名前を呼ばれた気がして、はっと、ディスプレイから顔を上げる。 あの優しげな声音は、もう聞くこともなくなった今でも、宜野座が覚えているものだった。 あたりを見回すが、当然誰かがいるはずもない。明るい蛍光灯に照らされた自分だけがぽつりと存在するだけであった。 馬鹿馬鹿しい。 口の中だけで呟いて、軽く首を振る。 再びキーを打ち始めると、苦しいほどに静謐の空間に、空虚な音が響いた。 もういないのだ。あいつは、死んだのだから。 * 『お前、頭固いって言われるだろ』 配属初日。 開口一番初対面でそう返されるのは初めての経験であった。 彼は宜野座よりも年上であったが、結局は執行官である。 もちろん、好印象を持つこともなかった。 『飼い主の監視官様に死なれるのは、俺たち飼い犬としても気分がいいモンじゃねえからな』 今まで人としての扱いはされたことがないと言っていた。 これからもそうだろうと、諦めたように笑っていた。 それでも、何度でも助けるのだと。 どれだけ貶されようと、嘲られようと、助けるのだと。 そう零した彼のことを、宜野座はずっと覚えている。 時と場合によっては、執行官を信じるものであるということは、宜野座はほかでもない彼から学んだことだった。 彼によって、はじめて執行官というものにも自分より優れた部分が存在するということを理解できた。 あくまでも事件解決はチーム戦である。こちらが端から仲間割れをしていたのでは、犯人の思う壺であるということに、彼に指摘されるまで気づかなかったのは、やはり彼の言うとおり自分が『頭の固い』人間であった証拠であろう。 なんとしてでも、執行官という潜在犯たちが自身と同じ人間であるということを認めたくはなかった。認めてしまえば、それは潜在犯となった父親のことをも、受け入れてしまうということだったから。 しかしそんな頑なな自らよりも、彼の方が一枚も二枚も上手だったということだ。 今となってはもうわからないが、彼がいなくなっていなければ、自分は今のような人間にはなっていなかっただろう。だが、彼がいたからこそ今の自分があるのだと思うと、甚だ癪である。 彼と過ごした四年間は、とてつもなく重く、同時に柔らかなものだった。 お互いの心と体を繋いだあの温もりを、どうやっても忘れることができない。 頑固で強情な人生観すらも変えてみせた彼の、子どものような笑顔を忘れることができない。 覚えているままでは、自分は前へ進むことはできないのだとわかってはいても、それは日常のふとした瞬間に彼女と重なって宜野座を惑わせる。 * ――特に、雪の日はだめだ。 * 天気予報など見なければよかった。 彼が死んだのはクリスマス前だった。向こうが片意地になって主張したとはいえ、聖夜にどう過ごすかなんて、そんな約束などしなければよかった。そうしなければ、これほどまでに辛くはなかったのに。未練がましいことを今更思ったところで、過去は変わらない。あの事件は起こったままであるし、彼が戻ってくることもない。この夜も、雪が降っていた。 自分の中ではその記憶が曖昧になっていた。 らしくなく悪足掻きをして、それを追い求めてみても、まるで雲のように掴むことができなかった。あまりのショックに、忘れてしまったのだろうか。忘れたくないと願った自分は、今もまだそれを信じてはいない。 ただ一つだけ、覚えているのは彼の最期だけだった。 真白の雪に、血に塗れた瀕死の人間がひとつ転がっている。 死体も同然のそれからは、風が泣くような呼吸音が僅かに聞こえていた。 じわじわと雪の白が赤く染まってゆく。 その半死半生の人間の前で真っ赤な掌で顔を抑えて苦しげに息をしているのは、見紛うことなき金髪の執行官。切羽詰まった声で名前を呼んだ。近付こうとすると、必死の形相で彼は叫ぶ。 来るな、俺はお前を壊してしまう。 だからどうか来ないでくれ。 彼を纏う空気は、その言葉通り尋常ではないように思えた。 月明かりが雲間から差し込み雪に反射して彼を照らし出す。その姿に息を呑んだ。まるで、赤い、赤い深紅の化け物だった。それは、悪魔というべきか、それとも狼というべきなのかはわからなかった。ただ、怪物のようだった。 震える腕でやけに重く感じるドミネーターを彼に向けた。 犯罪係数が更新され、それはエリミネーターへと変わる。 平常心を失った心では照準が合わない。引き金も中途半端に引かれたまま、引き切ることができない。自分の息までも、ひどく白く、赤く感じた。 * それ以上は、覚えていない。 おそらくあのまま彼を撃ったのだろう。 生きているという情報を聞かないということは、そういうことだ。 彼もほかの犯罪者たちと同じように、肉体が大きく膨張して破裂死したのだ。飛び散る肉片を覚えていなくて逆によかったのかもしれない。今の自分ではどうかわからないが、あのときなら半狂乱になっていておかしくない。 彼がいなくなって、以前の自分へ戻った。 狡噛には『そのほうがお前らしい』と妙な慰めをもらった。 執行官に敬意を払うことなどなくなり、彼らにも人権があることなど断固として認めなかった。そして一年後、佐々山の事件。それからさらに三年後の今。冬が来ても、変わらない。 ――集中ができない。 少し休憩をしようと席を立つ。 珈琲メーカーの前にやってくると、そういえば彼がブラックをよく飲んでいたということがとぼんやりと思いだされて、これではどうしようもないと苦笑気味に溜息を吐いた。 どう足掻いても、忘れられないようだ。 しかし忘れなければならない。 彼とは、出会わなかったのだ。 出会わなかったことにしなければ、自分は、きっと――。 「……宜野?」 ぴくりと肩が揺れた。 ゆっくりと視線をやると、丁度狡噛が戻ってきたところだった。 怪訝そうに眉根を寄せる狡噛に何も応えずただ脇を通り過ぎる。 「寝てくる」 「……ああ、」 一瞬戸惑ったように言葉を詰まらせたが、おそらくこいつは次の瞬間には全てを悟るのだろう。本当に、気に食わない男だ。彼女と同じで。 せめて夢の中では彼のことを思い出さないようにと願いながら、宜野座は仮眠室へと足を速めた。 ( 聖なる夜のお話 ) ▼ あとがき 2012/12/28(2013/05/11move,2013/08/13moveagain) ←back |