その気持ちの線引きはいかがいたしましょう ※執行官宿舎の場所を捏造しています眠い眠い。 脳内でそんな思考がぐるぐると廻っている。 いや、眠いというただの単語一つだけでは、思考とは言えないか、うん、言えないなあ。 当直明けというのはどうにも辛い。 もう八年近くこの仕事をしているが、どれだけ年月をこなしていても慣れることはないという自信がある。 杏樹がおぼつかない足取りで歩いていくのを見やって、職員たちは怪訝な表情をする。 それもそのはず、彼女が向かう先は地下にある執行官の宿舎である。 正確には、宿舎に繋がっているエレベーターである。 ここ、公安局には宿舎に繋がるものとそうではないエレベーターが存在する。 もともと『そういう』職場のため、偏見の目を向ける者は比較的少ないが、ゼロなわけではない。そのための処置、らしい。しかしこのような状況においては、自然と宿舎に繋がるエレベーターに乗る者は少なくなってくる。 杏樹はそんな中好んでそのエレベーターに乗る者の一人であるのだ。 杏樹としては、偏見がないことも理由の一つであるが、ただ単純に混んでいないから、という理由も存在する。むしろそちらの方が大きいかもしれない。 ゴンッと強い音を立ててエレベータードア横に頭をぶつける。 眠気が限界に達しそうで、ボタンを確実に押したかどうかは覚えていないが、ドアは開いたので押していたのだろうと投げやりに判断してのろのろと乗り、階を『B1』に選択。『閉』のボタンを押そうとして、今度はエレベーターの壁に頭をぶつけた。 * ようやく目当ての部屋の前に辿り着いた。 杏樹は力が入らない手でなんとか拳をつくり、手の甲を引きずるようにノックをした。 半ば意味がないように思えるこのノックだが、一応形式的には必要だ。 杏樹は礼儀を重んじる。 相手が顔見知りの執行官とはいえ、親しい仲にもなんとやら、である。 扉の向こう側からの返事もきかずにノブに手をかける。 目に入るのは必要最低限は何もない殺風景な部屋。ただし事件の資料を除く。 寒くも暑くもない、体にとっては丁度よい空気に、濃厚なニコチンが混ざったそれが肌に触れる。 こちらはこの八年間で慣れてしまったものである。 体にはよくないといつも言っているのだが、この部屋の主は一向にやめようとはしない。 絶対に早死にするって、これ。 寝ぼけ頭で思いつつ、けれど今日は特ににおいが強く、杏樹は軽く咳き込む。 「うう……」 睡魔の襲う状態には悪い空気だ。頭が痛い。 なんでこんなときに、と唸る。 ガラステーブルに目をやると、想像通り吸殻の山ができていた。 それにしても、いつもは扉を開けた瞬間に声を上げる当の狡噛は一体どこにいるのだと顔を顰めた瞬間。 「おお、杏樹か」 どうやら朝シャン中だったらしい。 ジーンズをはき、裸の上半身にバスタオルを一枚かけた状態でバスルームから出てきた。 むあっと拡散するあたたかい湯気に目を細める。 「ばかー」 名前を呼ばれるだけで安心する、というのは甚だ疑問だけれど、狡噛が相手だとほっと心が安らぐ。気がする。気がする、だけだといい。 だって相手は執行官だ。たとえ元監視官だとしても、もう彼は一線を越えてしまった。 安らぐということは、彼に身を委ねるということでそれは。それは、自分もその一線を越えてしまう、ということだ。 もっと、そばにいたい。 そう思うのに、杏樹には境界線の向こう側へ踏み込む勇気がなかった。 怖い。 怖くてしかたがないのだ、本当は。 「(……最低だ、)」 まだ水滴の拭き取れていない湿った体に抱き着いて、その固くて広い胸板に顔を埋める。 狡噛はそんな杏樹を引き剥がそうと腕を上げたが、離れそうにもなかったので少しの苦笑とともに、ゆっくりと小さな背中に回した。 そうして大きな掌で優しく背中をたたく。 それは、煙草のにおいで僅かに覚醒してしまっていた杏樹の眠気を復活させた。 「ねむい……」 「おー、寝ろ寝ろ」 寝ろ、と言われたのでおやすみと間延びした声で漏らすと、ここで寝るなよと笑われた。 頭にも、心にも、じんわりと染み込むきき心地のよい声は、さらに杏樹の眠気を誘う。 意識を失うその寸前、「おやすみ」と優しい言葉がきこえた気がした。 ( Good night. ) ▼ PP夢ふたつめ! 狡噛さんとのお話。例によって夢主は杏樹(@HP&Missing等夢主/デフォルト)です。 2012/12/11(2013/08/13moveagain) ←back |