PP→トロイメライの忘れもの | ナノ
ふかく冷え切った底にはそれがいる
まさか、そんなことが。
いくつも血溜まりが広がる中、杏樹の目の前で人間が膨張して赤い絵の具を散らした。


絶句、とはこういう状態をいうのだろう。

六合塚の話によると、メンタルケア施設のシャッターから出てくる人々の中には、助けを求める声もあったそうだ。
三係は事件の状況も鑑みず、無差別に強襲型ドミネーターで被害者、容疑者、監視官もろとも執行した。普段は温和な朱でさえ、怒声を上げた。

職業柄、血塗れの現場には慣れている。けれど今回ばかりは「そういうことではない」。なんて無慈悲で、理不尽なのだ。
――これではまるで、どちらが正義かわからない。

杏樹は自らの無力さに泣きそうになる。四年を超える監視官のキャリア。標本事件や槙島聖護を巡る事件をはじめとして、過酷な局面を幾度も乗り越えてきた。その経験で培った能力が、まるで無駄なのだと突きつけられたようだった。


そこでふと、杏樹は気づく。
三係、三係といえばゆずや縢がいるはずだ。彼らは強襲型ドミネーターで施設内の人間を皆殺しにするという指示に反抗しなかったのだろうか。

三係の監視官に訊けば、「あの二人はお留守番だよ」と嘲笑まじりに答えられた。
杏樹はすべてを察した。二人は反論したのだ。しかし、それは認められなかった。加えて、彼らは執行官だ。監視官に物理的に背くことは許されない。特に――今では公的に抹消されている情報だが――一度公安局に対して反旗を翻した者にとっては、なおさら。

二度目を起こしたあかつきには、公安を退局させられる可能性が高い。
だからこそ、強く反抗できなかったのだ。その結果の「お留守番」。
今は、歯を食いしばって耐えるしかない。

「……杏樹さんは、強いですね」

先程手洗い場で吐いてきたらしいが、まだ気分が悪いらしい。霜月がハンカチを口元にあてて、覇気のない声を漏らす。

施設内は、血の海と形容するのが一番相応しい惨状と化していた。
公安局刑事課職員に与えられた通信機が、赤色の水溜まりの上にぽつんと落ちていた。もう主の元に戻ることはないそれは、ひどく所在なさげに見えた。
ぼんやりと、つい先日宜野座が青柳と酒を飲んだのだと言っていたことを思い出す。やりきれない気持ちになった。

「そんなことないよ。わたしだって、一人になったときは泣いてる」

それでも前へ進まなければならないのが、監視官に課せられた使命だ。どんなに不条理なことが起こっても、事件を解決に導かないといけない。正義を示さないといけない。
それを見て人は、なんて薄情なやつだ、お前には心というものがないのか、となじるだろう。

少し離れたところでは、朱と宜野座が残された「WC?」という文字を見ながら、真剣な表情で意見を交わしていた。

「だけど、いつまでも哀悼に浸っているんじゃあ、だめなんだよ」

その言葉は半ば杏樹が自分に向けて言い聞かせるためのものだった。
ぽん、と優しく霜月の頭を撫でれば、彼女は小さくこくん、と頷いた。
それを確認すると杏樹は霜月を六合塚に任せ、朱たちのところへ向かう。
もう悼む時間は終わった。これからは残された市民のため、ただ捜査を行うだけだ。


▼ 二期沿い第二弾。
  二期を見る前、ゆずと縢の所属係を決める段階では「一係・二係はもう人数いっぱいだし、じゃあ今までほとんど登場しなかった三係にしよう!」という軽い気持ちでした。でもまさか三係の人間がこれほどまでに最低だったとは……。
  2014/12/21(2014/12/30up)
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