short | ナノ

披露しましょう
――それは突然だった。

今までこの時代をなんとなく過ごしていた『彼女』にとって、それはかけがえのない一期一会であり、愛すべき懐かしい日々の始まりだった。





――森鴎外邸、サンルーム


「おはよー」

「あ、おはようございます」


後の時代にて歴史に名を残す菱田春草と共にこの屋敷に住んでいる杏樹が、二階から下りてくると、そこには今までなかった姿があった。
寝癖のついた髪を掻き、いまだ半分眠っている頭を動かす。

――ああそうか、この子は、

杏樹は昨夜の出来事を思い返した。
彼女は、鹿鳴館で行われたパーティーに、チャーリーという奇術師といた少女だった。

――名を、綾月芽衣。

招待されているか否かは曖昧なところだったが、警察官である藤田五郎と芽衣の問答を聞いていると、だいたいのことはわかった。
五郎が彼女に目を留める前に、すでに杏樹はその存在を把握していたのだが、彼女の場合は芽衣の明治にはありえない『現代人』然とした空気に心を奪われていた。
そのために対応が遅れたと言えよう。
鴎外・春草と結託して芽衣を助け、そしてそのまま鴎外邸に泊まらないかということになり、とんとん拍子に話は進んで――。

いつの間にやら、朝が来た。

――そういえば、あのチャーリーさんとやらと話したかったなあ。

ぼんやりと芽衣を眺めながら思う。
チャーリーは忽然と姿を消していたものだから。どういうわけか、彼に関して印象が強いはずなのに妙に存在感が薄い。なぜだろうと、心の中で首を傾げた杏樹と同じように、目の前の芽衣もじっと自分を見つめる杏樹に、きょとんとした様子で小首を傾げていた。可愛い。

「……袴、似合うね」

ふ、と微笑むと、彼女は「あっありがとうございます……」と顔を真っ赤にさせて頭を下げた。

「頭なんか下げなくてもいいよ。……あ、もしかしてわたしのこの調子に戸惑ってる? ごめんね、いっつも朝はこうなんだ」

昼間はそうでもないのだが、杏樹は低血圧のため脳内が完全に覚醒するまでこんなふうに口数が少なくなるのである。鴎外からは機嫌の悪い春草みたいだと笑われた。
――昔は、こんなんじゃあなかったんだけど。

昨日とのこの変わりようを見て、芽衣をより恐縮させてしまったのかと思って問うたのだが……。

「いえ! そんなことありません! 大丈夫です!」

彼女はバッと顔を上げると、一生懸命に手をぶんぶん振って否定した。

「ん。そっか、それならよかった」

杏樹は口元を緩めた。


――この時代は、眩しい。

朝の光もそうだ。
そもそもこの家には雨戸なんてものはあったっけ。
とにかく、朝日が目立つ。
朝日なんてものは、自分が目覚めてしばらく経ってから雨戸を開けるか、それか誰かに開けられてから初めて見るものだと思っていた。いや、今でもそうなのだが少なくとも自分にとって、今日(こんにち)は朝日がひどく明るく感じる。もしかしたら、窓が大きいからかもしれない。

民衆たちも明るい。
ここは都会なので、西洋文化に触れる機会も多く、そのためなのか多くの人は浮足立った顔をしている。
田舎の場合も然り、だ。
こちらのようにまだそこまで文化の発展は見受けられないのだが、新たな時代が始まったんだという高揚感がそこかしこに漂っていた。

皆、『これから』に希望を持った表情をしていた。
例外はない。貧乏人でさえ、その痩せこけた顔に僅かな期待感を宿している者が少なからずいたのだ。

――でも、

と杏樹は思う。

でも、時代は変わるものだ。と。
人々も変わっていくのだ、と。

それは仕方のないことであったが、しかしこんなふうにこの時代の眩しさを自覚した瞬間、いつも杏樹の表情は曇るのであった。


「ああ、杏樹、芽衣。いい朝だね」

「あー、おはよー鴎外さん」

「お、おはようございます……!」


杏樹からすると、丁度良いのやら悪いのやらよくわからないタイミングで鴎外が起きてきた。
相変わらず朝から身だしなみはビシッと決めている。
普段はとんだ貴公子ならぬ奇行子なのになあ。
杏樹が改めて感心していると、「おや」と鴎外が声を上げた。

「着替えたんだね」

芽衣の袴姿を見とめて、鴎外が目を丸くした。

「案外似合うものだな……」

さらに驚いたような素振りを見せる鴎外を前に、似合わなかったのだろうかと焦る芽衣。杏樹は呆れた視線で鴎外を見やったあと、彼女に「大丈夫だよ」と声をかける。

「とても可愛いから」

すると芽衣は『ボンッ』という効果音がつくくらいの勢いで顔を真っ赤にさせた。
杏樹はきょとんと首を傾げる。
……今のどこに赤面する要素があったのだろう?
この子は褒められることに慣れていないのだろうか。

「うんうん。僕はそう言いたかったのだよ。……それにしても杏樹、君は相変わらずだね」

「ええ、鴎外さんも相変わらずですねー」

今度は鴎外の方から心底呆れた視線を向けられて、杏樹は内心心外だと反論しつつも、表では笑顔で返す。
外から雀の鳴き声が聞こえた。

「寝癖、直してきたらどうだい」

「面倒くさいです」

「そんな春草みたいな顔をしないでくれ」

「どんな顔だよ」

「そんな顔さ」

「はあ……」

「……そうですか、俺はそんな顔をしてますか」

「ああそうさ、そんな顔をしてるよ」

「ふうん……ああそうですか」

「……あれ?」


ようやくそこで鴎外は、春草がサンルームに来ていたことに気づいたらしい。
頭上にいくつもの疑問符を浮かばせている鴎外に対して、杏樹は春草と揃って二度目の呆れた視線を寄越した。芽衣は傍でこのやりとりをあわあわして見守っている。どう諌めようか諌めまいか、という様子だったが、そんなところもまた可愛らしい。
鴎外がこの屋敷につれてきたのもわかる、と思った。

「で、? 僕がどんな顔をしているんですか」

無愛想とまではいかないものの、口数は少なく冷静沈着な春草だからこその言葉による圧力は、鴎外には効果てき面である。※ただし春草が本気の場合に限る。
その証拠に鴎外は「さあて皆、朝餉を摂ろうか! フミさーん!」と華麗に話を逸らしていた。スルーとも言う。

ふと杏樹が芽衣に目を向けると、彼女は声には出していないものの、笑っていた。
その笑顔は、今まで不安げな表情しか見せていなかった芽衣の、本当に心からの笑顔。
ようやく、笑えたんだね。
杏樹は微笑んで、ひとつ、安堵の息をついた。





――運命が動き出した、そんな朝の出来事。



( それでは、今世紀最大の奇術を、 )


▼ 久々の三人称。知る人ぞ知る『めいこい』の夢小説。一体誰得って話なんですが……。それにしても、なんかぐだぐだっぷりが存分に発揮されていますね……。無計画さが滲み出ていて申し訳ないです……。今回は夢主と、鴎外さん&春草、そして本家主人公である『綾月芽衣』を絡ませたかったのでこんな感じになりました。思ったより芽衣をしゃべらせることができなかったので、リベンジしたいです……!  2011/11/23(2012/12/27move)
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