あなたを忘れない。 ――忘れたくないから。――忘れない。 「ヴィクトリカさああーーん!!…………あれ……?」 いつもの図書館塔の頂上にある植物園に、アブリルはやってきた。 そこには長い長い、美しすぎる金の髪と、世界の穢れを知らない、しかし混沌をにじませた澄んだ青い瞳を持つ、“金色の妖精”こと、ヴィクトリカ・ド・ブロワがいるはずだった。 しかしそこにいたのは、彼女ではなく―― 否、金髪碧眼で、流麗な少女であることには変わりないのだが……、ヴィクトリカではなかった。 そう、アブリルもよく知るクラスメイト、杏樹・波崎が居た。 女性であるにも関わらず、聖マルグリット学園の男子生徒用の制服を着た彼女は、良い意味でも悪い意味でも有名で、そんな彼女にとてつもない興味をそそられたのは、アブリルの性格上必然的だったと云えよう。 そして二人は友人になり、今に至るのである。 ――制服の件としては。杏樹曰く、女生徒用のそれは好きじゃない、ということらしい。 「……ヴィクトリカならいないよ」 まるではじめから、アブリルがここに来ることをわかっていたかのように、彼女は驚くこともなく優しく微笑んだ。 「ええっ?!なんで?!」 アブリルは声を上げ、“金色の妖精”のように地べたに座り込んで周りに本を並べ、読書をしている杏樹の隣に歩いてきて腰を下ろした。 「一弥を探して、見つけるんだってさ」 「そうよ!九条くんよ!クリスマスパーティの飾り付けを、一緒に手伝ってもらおうと思ってたのにー!!さっきまでヴィクトリカさんだっていたのに!!」 時は冬。 『ベルゼブブの頭蓋』の一件が終わったあと、しばし続いた普段どおりの平穏な日々。 ――しかし物語は、すでに加速を始めていた。 神聖な空気を帯びた学園を、純白の初雪が包んでいる。 そんな中の図書館塔の頂上。 いつにも増して、ここは静寂が漂っていた。 「……でも、きっと見つからないよ」 ほう、とため息をつくように杏樹は呟く。 その彼女の言葉に、アブリルは目を丸くした。 「だって今頃、一弥はヴィクトリカへの誕生日プレゼントを買いに、街へ行ってるんだから」 「なるほどー!!」 一瞬、杏樹の表情に憂いが過(よぎ)ったことにアブリルは気づいたが、気のせいだろうとすぐに頭の隅に押しやる。 外は寒い。 この空間ももちろん、冷たかった。 だけれどこの多くの蔵書と、自分以外の人のぬくもりが、杏樹とアブリル、両方を満たしていた。 数分、沈黙が降りる。 静けさが落ち着かないのか、アブリルが隣で身じろぎをした。 それを見て、杏樹は口元を緩める。 「――あのさ、アブリル」 どこか遠くを見つめている杏樹の瞳は、とても綺麗だった。 それなのに、儚く切なげで。 「アブリルは……忘れないよね。忘れ、ないでよ」 その目はアブリルを捉えていなかった。 窓の向こう、雪雲の広がる空を眺めているようだった。 まるで、ずっと籠の中に閉じ込められた鳥が、宙(そら)を飛ぶことを強く切望しているような。 「二人に何があっても。信じることだけは、忘れないで」 強固な意志の宿った、蒼穹の眼が、アブリルを見つめた。 彼女がそんなことを言う意図が解らず、首を傾げる暇さえも与えない。 拒絶を許さない、優しい強さを持つ、杏樹のその力にアブリルは圧倒された。 息を呑む。 彼女の言う“二人”が誰なのか、アブリルはおぼろげにしかわからなかった。 だがきっとそうなのだろうとも、思ってしまった。 だからこそ、このとき抱いた自分の感情に嘘も偽りもなかった。 「うん!忘れない!!」 だって私、信じることは、待ってることは得意なのよ! そう言うと、 「なんだか、素直に褒めていいのかよくわからない特技だね」 と苦笑された。 ――今この瞬間に交わした言葉だって、私は、忘れない。 外では相変わらず、白い雪が静かに降り続いている。 “二度目の嵐”が近付く時世の中、それぞれがそれぞれの思いを抱え、今日という日を過ごしている。 ( 忘れません。ずっと、大好きです ) ▼ この度、がんにより亡くなられた声優、川上とも子さんに捧げます。※アニメ版の声優さんは別の人ですが、ドラマCDでのアブリルの方が私は好きでした。なので、今回GOSICKのアブリルを書かせていただきました。 2011/06/11(2012/12/27move) ←back |