short | ナノ

endless summer
※最終回の話





























――今まで、誰かの泳ぎを見て、あれほど憧れ羨み。そして同時にひどく焦がれたことはなかった。





リレーを繋ぐ全員が、勝敗ではなく仲間の為に泳いでいた。
だからこそのこの速さ、美しさ。
水に愛されているとは、まさにこういうことを指すのだろう。
俺はただひたすらに、すごい、と思った。

あんな泳ぎ、俺ではできない。

それが表情に出ていたのだろうか。
隣で観戦していた怜が、プールに視線を向けたまま「素晴らしかったですね、あの泳ぎ。誰よりも何よりも、彼らは美しい」と。
それは俺に話しかけたというよりは、独り言に近い口調だった。

水面から上がった遙に、凛が飛び付き真琴、渚が続く。その光景を彼はどこか切なげに見つめていた。

「……何言ってんだ。来年は、お前があそこで喜んでるんだろうが」

凛についての一件で、一番かわいそうだったのは当の本人でも遙でもなく、怜なのではないだろうか。

それが頭を過った瞬間、勝手に口から言葉が零れていた。
怜はそんな俺に驚いたように目を向け、「そうですね。ありがとうございます、ゆず先輩」と眉根を下げて笑った。





俺の泳ぐ個人メドレーの直前の凛のお粗末な泳ぎから、遙や怜がどんな行動に出るのかは大体予想がついていたから、まあ『そう』なんだろうなあとは感じていた。
でもまさか実際にそんなことをやってしまうとは。

県大会全日程終了後、天方先生に注意される四人を横目に見つつ、俺は口の端を緩めた。

――彼らは、怜の代わりに他校の凛を泳がせた反則を行ったのだ。
結果として、一位の権利は剥奪されてしまったわけだ。

「……今回は許してあげます。若気の至りは若い子の特権でもありますしね」

先程までぷんぷんという効果音がつきそうなほど可愛らしく怒っていた天方先生は、そう言って微笑んだ。
緊張した面持ちで頭を下げていた四人は、途端顔を上げて、その表情を和らげ笑い合う。
ああいいねえ、青春だねえ。

「ところで波崎くん」
「はい?」
「一応聞いておくけれど、あなたは今回の件について何も知らなかったの?」
「あのときプール脇でスタンバイしてた俺が知ってるわけないじゃないですか」

へらりと笑うと、遙がぼそりと「でもおおよそ予想はしてたんだろ」なんて呟き、地獄耳の先生が聞きつけてしまったものだからさあ大変。

「……波崎く〜ん?」

笑みを効かせて本気モードで怒り始めた天方先生を見るや否や、俺は勢いよく「すみませんでしたァ!!」と頭を下げる。すると頭上からほぼ全員だろう、笑いを堪えている声が聞こえた。
なんか騙された感が否めなかったけど頭を上げる。

「ごめんね、波崎くん。先生本当に怒ってるわけじゃないから。ちょっとした冗談よ」

ふふふと悪戯っ子のような笑みを浮かべる先生を前に、俺はやっぱり彼女は天使だと改めて認識した。





俺たちは自前の交通手段を持っている先生やコーチと別れ、バス停までのんびり歩いていた。

空はすっかり夕焼けに染まり、一日の終わりを思わせる。
それと同時に、ああ県大会が終わってしまったのか、としみじみとした感慨が込み上げた。

俺たち岩鳶高校としては、俺が個人メドレーで一位と一秒差の二位に終わり、遙たちメドレーリレーは失格となってしまったわけで、悔しさももちろんあったけれど、俺の中には不思議と大きな満足感があった。
先を行く遙たち四人の背中を眺めながら、その感情を噛み締めていると、ふと、すぐ前を歩いていた遙が振り返った。

ぱちり、とその青い瞳とかち合う。
俺が知る限り、もっとも水に愛された少年。
水と同じ澄んだ色をした瞳が眩しくて、思わず目を細めた。

「……ゆず、」

俺を呼ぶ、あまり抑揚のない、でも聞き心地の良い低い声。

「お前、凛がフリーを泳ぐ前、あいつと会ってたよな?」

俺は少しだけ目を見開く。

「まさか遙に言い当てられるなんてな。……うん、会ってた、というか偶然会った」
ま、お互い出場種目の集合の時間の関係で、短い間しか話はできなかったけど。

俺が笑うと、今度は遙が眩しそうに瞳を細めた。

「凛から聞いたんだ。会ったってこと。……ゆずのおかげで、凛は自分の気持ちに正直になったって言ってもいい。ありがとう」

俺はそれを聞いて、さっき以上に驚いてしまった。

俺は確かに大会中、遙たちより先に凛と会い、話しをした。でもその内容はとにかくちんけだった、と思う。


あのときは確か、明らかに投げやりになっている様子の凛を目にして、反射的に「お前馬鹿か」と呟いたことから会話が始まった。

そのあとは「単細胞のくせにうだうだ考えるなこのサメ!」とか「『見たことのない景色、見せてやる』だあ?! そんなのよく言えたな、お前は今、こんななるほど弱かったのか?違ぇだろドアホ!」とか「オーストラリアにいたとき、あんなに真っ直ぐだったのに、あの可愛らしさはどこ行ったんだ、自分の感情に蓋してんじゃねえ気持ち悪ぃんだよタコ野郎!」とかとか。

数々の応酬を繰り返しただけだった気がするんだけど……?


思い出していくと、だんだんと凛のフリー敗退には俺との口論も原因の一つになったんじゃ?という疑いが芽生えてきて、俺の顔からサアーッと一気に血の気が引いた。

「大丈夫か、ゆず。顔色が悪い」

何も応えない俺を、遙が心配そうに覗きこむ。

「い、いや、うん。だいじょぶ、ありがとな、遙」

どもりながらも笑って返事をする。
……まあ、凛の件は、終わりよければ全てよし。結果オーライということにしておこう。

遙は了解したようで礼を言った俺に頷き、そして再び前を向いて、歩き始めた。
俺もまた、四人の背中を眺めて歩いた。

楽しくふざけ合っている渚と怜、それに苦笑しつつ先導する真琴。
俺の目の前を行き、ぼんやりと視界の横にある夕日を見ているらしい遙。
全員、頼もしい仲間たちだ。

それから――。

「だいぶ歩いてるけど、江、足疲れてないか」

後ろを振り向くと、彼女は「あ、大丈夫です」と普段の調子で笑う。
しかし今日は、僅かにその表情に翳りが覗いていた。
俺は歩くスピードを落とし、江に並んだ。

「凛への心配事か?」
「え……。なんで、わかったんですか?」

一瞬江は驚きのあまり言葉を失ったようだった。首を傾けて尋ねた彼女に、俺はふふ、と口の端を上げた。

「エスパーですから。……というのは冗談で、俺は好きな子のことならなんでもわかっちゃう人なんです」
「……どっちも変わらないじゃないですか」

少しむくれた表情でこちらを見上げてくる江は本当に可愛い。女の子最高。

「……また変なこと考えてます?」
「ありゃ、なんでバレた?」
「エスパーですから、好きな人のことならなんでもわかるんですよ、ゆず先輩」
「ははっ! これはしてやられた!」

しばし笑い合う穏やかな時間が訪れる。
俺は黙って隣の江の手を取り、そうして改めて口を開いた。

「……規定を破って遙たちと泳いだ凛が心配なんだろ? でも、あいつは大丈夫だ。退部処分とかにはなったりしないよ」
そもそもあの部長なら、あの凛の泳ぎを見て、逆にうちのチームでその泳ぎをしてみろとか言いそうだし。

俺の言葉に、江は多少力が抜け安心した声音で「ああ……確かに、想像に難くないですね」と微笑を零した。

「ま、そういうこと。それに、仮に退部処分になったとしても、今の凛なら絶対に諦めたりしないと思うなあ」

俺は、今日、メドレーリレーで一位になったとわかった瞬間、遙に抱きついて笑いながら嬉し涙を流していた凛を思い返していた。
その顔は、留学初期のころの無邪気で真っ直ぐなそれと何ら変わりなかった。
再びリレーの楽しさ、そして仲間のために泳ぐことを思い出したからには、もうどんな困難にもへこたれることはないはずだから。

「ですよね。お兄ちゃんは水泳馬鹿ですし」

そう江は笑う。
今度は本当に安心したようで、いつもの江に戻っていた。

これで、江も大丈夫だなと内心一人で頷き、つと前を向き直す。
すると丁度バスが来ていたようで、「みんなー! 乗るよ!」という真琴の声が聞こえた。
俺と江は真琴たちより少し離れていたから、駆け足になりながらバスに上がり込む。


大会は終わりを告げた。
しかし、俺たちの夏はまだまだこれからが本番なのだ。

ふわりと髪を撫でていった夏の風に乗って、潮のにおいが俺の鼻をくすぐった気がした。


( 夏と青春と、 )


▼ 書こう書きたいと思い続けていたfree夢。SSSに載せてるものとは異なり、江ちゃんお相手になってしまいました;; ちなみにどうでもいい余談ですが『エスパーですから』のネタは論破です 2013/09/27(2013/10/07up)
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