酷い有様 南国、シンドリア。東国のように四季はないものの、年間を通して暖かく、比較的住みやすい気候であるこの国。 昼すぎの、その宮殿。 王の執務室に、波崎杏樹はいた。 ――波崎杏樹。 齢十八。 まったくの日本名――いや、東国によく見る名前だが、彼女の容姿は西洋そのものだ。 シンドリアやその周辺でも、稀に見ないそれである。 頭の横でひとつに束ねられているのは、流れるような長い金髪は。まるで、シルクのように美しい。 海のような澄んだ青をした瞳も、きらめきがあってなんともサファイアのようだ。 肌も肌理細やかな白だが、それは程よく薄い桃色に色づいており、爽やかな健康さが伺える。 体格もナイスバディでなければ、スレンダーでもなく、バランスのとれたものであった。 そのうえ、面倒見もよく裏表なく、優しくいつも笑顔の耐えない人柄で、頭もいい。 まるで、神が創り出した人間かと見紛うほどの、美少女であった。 他人から見ればそんな容姿端麗、聖人君子な当人は、しかし、自分のことをそうは思っていないのである。 自分は、皆のように失敗もするし悩みもする。頼りもするし後悔もする、縋ることさえある。 誰もと同じ、人なのだと。 それは時に、周囲の反感を買うことがある。 何においても不自由のない、生まれ持って満たされている彼女だからこその台詞だ、と。 けれどその度に杏樹は繰り返すのだ。同じことを。何度も、何度も。 彼らがわかってくれるまで。 決して自分は、何もかもが完璧で幸せな人間ではないのだと。 「………シン、」 杏樹は、呆れた表情で言葉を漏らした。 目の前には、ただの文官よりはもちろん八人将よりも数倍豪奢な椅子に縛り付けられている、シンドリア王がいた。 …………王、である。 その背後では、八人将であり政務官でもある、常時官服装備のジャーファルが、椅子の後ろに回された王――シンドバッドの両手を、縄できつく締め直している。それはもうイイ笑顔である。ぐっぐっと縄を締めると同時に、「うぐあ」だの「うごあ」だと「ごふあ」だの苦痛の声を上げるシンドバッドは、確かに苦しそうであった。現に、表情がとんでもないことになっている。 大事なことなのでもう一度言う。 ……これは王、七海の覇王こと、シンドリア王である。 …………しかし、それもこれも、原因は全て彼にあるのであった。 杏樹は今度は自分が仕えている王から目を離し、その前の机の両脇に積まれている、山のような書類に目を向けた。 そして、ため息。 「……うん」 杏樹はもう、何も言うまいと、それからも視線を逸らした。 そこでようやく、ジャーファルが縄から手を放す。シンドバッドが脂汗を垂らしながら、ほう、と心から安堵の息を漏らしたのが、ちらりと視界に入る。 「…………杏樹」 ジャーファルが、急に真顔に戻って言った。 「………そうだねえ」 と、それだけで彼が言いたいことを察し、意味深に頷く。 シンドバッドだけが、この以心伝心の会話を理解できず、困惑した顔を見せる。だが、二人の表情や口調から、自分にとって良いものではないと悟り、気持ち、後退した。しかしまあ、背中にはジャーファルがいるので、あくまでも、『気持ち』程度だったが。 「………罰として。……禁酒、しますか」 変わらず呆れ気味の態度と共に、開かれた杏樹の口からは、そんな言葉が呟かれて。 シンドバッドを、地獄にでも落とされたかのような表情に一変させた。 とんでもなくショックを受ける彼とは真逆で、ジャーファルはとてもすっきりとした、清々しい表情だったのが、見ものだった。 * 禁酒四日目。 シンドバッドがサボりにサボって、執務が溜まりに溜まるのは今回が初めてではなかった。 また、罰として禁酒を提示するのも恒例のことになりつつある。 その度に杏樹は、あの酒癖の酷いシンドバッドに禁酒なんてできるのかといつも思うのだ。 たいていの場合、四日目あたりで我慢ができなくなり、我が王は皆の目を盗んで王宮を抜け出し、酒場で酒を飲むのである。その結果……まあ、想像する通りだが、もちろんジャーファルにこっぴどく叱られる。散々叱られた後、シンドバッドが『もう無理だ』と泣き付いて、最終的にジャーファルが折れておしまい。 ……なのだが、なんだか今日は、いつにも増してジャーファルが本気を出しているような気がする。 杏樹は思いながら、執務室の扉を、ノックして開けた。 「仕事してますかー三日坊主のシンおじさんー?」 開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、机上の書類の山と、頬がこけ、げっそりとしたシンドバッドであった。 杏樹は思わずぶっと噴出す。 その隣にはもちろんジャーファル。晴れ晴れとした笑顔のまま、傍らにぴったりと立っている。 ……うん、ご愁傷様だね、シン。 心の中で、対照的すぎる二人に笑いながら。しかしこのときだけ、杏樹はシンドバッドに同情した。 どうやらジャーファルは、今回ばかりは折れるわけにはいかないらしい。 …………というのも、シンドリアと国交のあるバルバッドが、急に貿易をやめた件に関してシンドバッドは直接、そちらに赴くようで。 仕方がなく了承したジャーファルも、「それならちゃんと仕事を済ませてから行ってください。支障が出まくります」ということだった。 バルバッドの貿易拒否云々の話は、一応この国の食客であり、巷では八人将『九人目』と言われている杏樹も知っていることだったが、後者のことは初耳だった。 「そういうことかあ」 杏樹はジャーファルから一通り聞き終わり、一人でふむふむと頷くと、シンドバッドに「まあ……そだね。頑張って、としか言えないね!」と苦笑から開き直ってこぶしを作る。 そんな彼女に、しかしシンドバッドは答える気力もないようで。ジャーファルの無言の圧力ならぬ、殺気というか悪意というか愉悦というか、まあそんな感じの気の圧力に押され「ああ……」と答えたあと、いつもの余裕綽々とした表情の面影もない顔で、羊皮紙やパピルス紙に羽根ペンを走らせ、認印を押していく。 この認印は、煌帝国を訪れた際に、シンドバッドが物珍しいものがあるもんだと作らせたものだ。もちろんオーダーメイドであり、世界の一つしか存在しえない、彼だけの判である。 シンドバッド自身もたいそう気に入っており、事業など様々な事柄を許可するときに、わざわざ指紋を認印代わりにしたりサインを書かなくて済むと重宝している。 そういえばそんなことがあったんだったと、杏樹は懐かしげに思い起こす。 シンドバッドと共に煌帝国に行ったときは、いろいろ、とんでもないことに巻き込まれたけど。主にあの真っ黒な意地っ張り屋のマギが原因で。 しかしそれもこれも、今となってはいい思い出である。 極限を超えたらしく「もうなにもかもどうでもいい」なんて無気力さをぷんぷん漂わせながら、焦点の合っていない瞳でただ執務をこなすシンドバッドは、傍から見ればとんでもなく気持ち悪い。 ジャーファルからすれば、サボり癖のある子供がようやくちゃんとサボらず自らの役目を全うしている、と、そんな母親のような気分なのだろうが。 杏樹も、シンドバッドがしっかり仕事をやってくれるのなら嬉しいことに限りはない。 でも、やっぱりなんだか、嫌なのだ。 ジャーファルの気持ちもとっても分かるけれど。 杏樹は苦笑いをした。 そして、認印の必要な書類をその山に積んだあとで、机を回り込んでシンドバッドの隣に行く。 耳元に、手を添えた。 「……仕事ちゃんと終わらせたら、ずっと一緒にいてあげるから」 「え、杏樹?!!」 小声で言ったつもりだったのだが、どうやらジャーファルにも聞こえてしまっていたようで。 驚く彼に、杏樹は「ごめんね」と笑う。 一方、シンドバッドは彼女の言葉と共に、ぐりんと勢いよく顔を向け、アイスクリームを落とした子供が、新しいアイスクリームを買い直してくれた大人や兄姉にするようにぱあああっと表情を輝かせる。 それはもう見事な豹変振りであった。まるで、いままでの覇気のない彼が嘘だったかのようだ。 「杏樹ッ!! 愛してるうううう!!」 「ちょ、シン?! 離れてよこのセクハラああああ!!」 がばりと杏樹は背中に腕を回されて、シンドバッドにぎゅうぎゅう抱きしめられる。 突然の行動に一瞬怯んだ杏樹だったが、すぐさま逃げだそうと叫びつつも、しかし本気で抵抗はしなかった。 ――そう、やっぱりシンは、こうでなくっちゃ。 約三日、禁酒をし、仕事三昧だった王様への、ちょっとしたご褒美である。 しかしまあ、今まで呆気にとられていたジャーファルが、我に返り杏樹を引き剥がしにかかったことで、そのご褒美タイムは終了するのだが。 * …………そんなこんなで、いつものシンドリア主従と、少女杏樹の日常のワンシーンである。 ( 禁酒終了のお知らせ! ) ▼ 夢主とシンドバッドとジャーファル。バルバッド編直前のお話。……しかし……なんか、なんかものすごく面白みのない文章になりました……。これがマギ夢処女作とか……。まあ、書いてしまったものは仕方がないですよね!細かい設定が知りたい方は、otherからSSSに行っていただければ見ることができますー! 2012/03/10(2012/12/27move) ※ 後にcolorful worldに移しますー。お題は『哭』さまより ←back |