当たり前のことだけど、あの男がこれに対して感動しないことを俺はわかっていた。

 テーブルの上に鎮座しているホールケーキ。特注で、とびっきり甘い味にしてもらった。
 意味がなくともそこに向かって、クラッカーを鳴らした。部屋に弾ける音が響く。

「…………」

 今日はシズちゃんの誕生日だ。出会って何年目の誕生日かわからないけど、こうして一人で祝う虚しい時間は、今でも慣れない。
 重く息をついて、目線を斜め下に動かした。その先にはソファーに押し潰すようにして握っている写真がある。

 皺を広げて見たそれはすっかり掠れてしまって、ところどころが白くなっている。シズちゃんの怒った顔も、俺の挑発するような顔も、教室も、全て、ぼやけていて遠い過去だと語っていた。
 それでも写真を眺めていれば、頭に浮かんでくるあの日を、鮮明に見つめようと俺はゆっくりと目を瞑った。



「シズちゃん! おいでおいで。こっちだよ。ほらぁ」
「うっぜえええ! 消えろ。ノミ、ノミ蟲!」

 シズちゃんと出会ってから一年目の誕生日。俺は盛大に祝ってやろうと、早朝からシズちゃんの家付近に、彼に恨みを持つ人間を大量に配置した。登校時にたくさん喧嘩したであろうシズちゃんは、学校に着く頃にはすっかりご立腹で俺を見るなり靴箱を投げてくる始末だ。
 俺は楽しくてたまらなくて、口元を自然と緩めた。

 走って逃げるフリをしつつ屋上へ誘導する。階段をのぼって、鍵を解除しておいた扉を開けば真っ青な空が視界に飛び込んできた。いい天気だ。誕生日に晴れとかシズちゃんは幸せ者だね。
 俺が誕生日の時はこの十六年、毎回雨だったと母親に聞いた。

「さっ、君には蝋燭になってもらおうか」
「あ"?」

 オイルまみれの地面に滑らないように抜き足で走って、フェンスに着くとそこに背中を預けてシズちゃんを振り返った。
 見事に転んだ馬鹿な男は起き上がって俺に掴みかかる勢いで手を伸ばしてきた。が、マッチに火をともして、軽く投げ捨ててやる。

「バイバイ! シズちゃん!」
「……ッ」

 一瞬にして辺りは橙に包まれる。マッチの火がオイルに触れた瞬間、一気に広がった炎は屋上全体を燃やした。
 フェンスにのぼって、準備しておいた縄を伝って抜け出した俺は一人にんまりと笑う。
 いくらシズちゃんでも、さすがに重傷かな。


「そう思ったんだけどね……」

 だけど俺の考えは浅はかだったらしい。校庭に降り立って普通に教室へ行った俺は、中にいた金髪にものすごく残念な気分になる。

「君って、やっぱり化け物だったんだ」
「はっ、臨也くんよぉ、覚悟はできてんだろうな」

 窓際に寄り掛かっていたシズちゃんは、小さな火傷でいっぱいの顔とボロボロになった制服姿で、どっしりとした態度をして俺に一歩一歩近付いてくる。
 まったく笑えないなあ。そう思うのに、俺はどうしても笑ってしまった。
 さて、これから追いかけっこの始まりだ。

「はいはいはーい。そこまで」

 だけど、俺を押しのけるようにして教室に入ってきた新羅に止められる。俺とシズちゃんの間に立ちはだかった眼鏡は、やれやれといった様子で俺たちを眺めた。

「今日くらい、仲良くしたら?」
「俺は、シズちゃんの誕生日を祝ってあげたんだよ?」
「屋上を燃やすことを祝うと呼ぶのかい」
「そのつもりだけど」

 新羅は頭を抱えた。
 まるで聞き分けのない子供の扱い方に悩んでいる大人のようだ。
 そんな態度取られても、俺なりに考えはあるのに。と思いつつも考えという名の言い訳だと心でこっそり呟いた。

 俺の言い訳はこうだ。
 学校はケーキ。校内にいる生徒は苺だ。蝋燭はシズちゃんで、俺はそこに火をつけてやる。誕生日を一際盛り上げるアイテムはケーキに蝋燭だ。一年に一度の日に、アイテムそのものになれるって幸せじゃない。そういうこと。

「どうせロクでもないことを考えてるに決まってる」

 そんな俺の頭の中を覗き込んだように新羅は言った。確かに、ロクでもない。俺は頷いて同意する。

「まあ貴重な体験ができた誕生日ってことで」

 言いながら扉のすぐ傍にある自席についた。もうすぐ授業が始まる。
 舌打ちして、シズちゃんも席につく。と思ったら、舌打ちして、シズちゃんは俺めがけて教壇を投げてきた。

「おっと」

 今のは不意打ちだ。咄嗟に立ち上がり、椅子の背もたれに片手をついて体を宙へ上げたものの、掠った腕から血が流れる感覚がした。

「今日は見逃してやらねえ」
「……シズちゃん馬鹿だから、授業ちゃんと受けたほうがいいよ」
「うるせえ」
「っあ」

 瞬く間に今度こそ首を掴まれてしまった俺は、後ろに逃げようとしても背中に壁が当たって、ひやりと汗をかいた。
 これはやばい。ポケットからナイフを取り出して、喉仏へ突き立てるけど先端一ミリメートルくらいしか刺さらなかった。

「じゃあな、ノミ蟲!」

 殴られる。
 どうしたらこの状況を抜け出せるか、一気に高速回転した脳が導き出した答えを俺はすぐさま口にした。

「た、誕生日おめでとう!」

 ピタリ。俺の目前で拳が止まった。ついでに首を掴んでいる手の力も緩んで、簡単に抜け出せる状態になった。
 ようやく余裕が戻ってきて、安堵感に肩の力が抜ける。
 そのまま、ナイフを突き立てている手に力を込めて奥まで刺し入れようと試み、俺は挑発するように笑ってみせた。

「なーんてね」
「……手前ッ!」

 その時、どこからかシャッターを切るような音が聞こえた。音の方向に目を向ける暇もなく教室から廊下へ走り出す。
 逃げられればこっちのもんだ。

「シズちゃんのばーか! 愚か者ー」
「ちっくしょう、待ちやがれ臨也!」

 後ろから怒鳴り声が響き続ける。どうやら、今日は一日をシズちゃんと過ごすことになりそうだ。



「これ」
「……は?」

 シズちゃんの誕生日から七年が経過した。
 あれから七年目の一月二十八日、連絡もなしに新羅が俺の家にやってきた。ソファーに座るなり、差し出された茶封筒に顔を歪めてみせる。

「……なに。なんか怪しいから開けたくないんだけど」
「写真を持ってきたんだ。開けてごらんよ」

 写真? 意味がわからなくて、不審に思う気持ちが拭えないまま封筒を手に取って、中を覗き込んでみた。一枚の写真が入っている。
 なんの写真だ。取り出すと、そこに映りだされている姿を見た途端、体が震えた。

「……なに、これ」

 来神の制服を着た俺が、シズちゃんの喉仏にナイフを刺している。シズちゃんは俺の首を掴んで、目前に拳を構えていた。覚えがある。昨日のことのように、覚えている。

「なんで……」
「静雄の誕生日記念に撮っておいたんだ。静雄にはこの翌日に渡した」
「じゃあどうしていまさら」
「臨也に必要な時が来たと思ったから」

 どういうこと、それ。
 問い掛けるまでもなく、答えがわかってしまった。全てを悟ったような新羅の顔が無言で俺に言葉を伝えてくるようだった。
 変わってしまった。現実を突き付けられた。

 この七年間で、ほんとうに随分と変わった。
 具体的に言うと、去年から大きく変わった。
 シズちゃんはすっかり人気者になってしまって、似合いもしないのに多くの人間に囲まれるようになった。
 そのうちに、表情も豊かになってとても柔らかい顔で笑うようになった。

 シズちゃんにとってはきっと、いい方向に進んでいるだろう。けど俺はおもしろくなかった。なんでかわからないけど、侘しさが俺の全身を覆い尽くすようだった。

「……そういうば、今夜は誕生日パーティーだって?」
「ああ。静雄の先輩が企画したようでね。居酒屋で集まることになってるよ」
「……そう」

 細めた視界には写真に映る俺とシズちゃんがいる。なんだか直視するのがつらくなって、目を逸らした。
 ――誕生日パーティー、ねえ。去年までは一日中、俺と追いかけっこしてたのにねえ。

 その日の夜。近くで買ったホールケーキに蝋燭を立てて火をともした。真っ暗だった部屋に温かな光がひろがる。
 今年は盛大に祝えなかったから、これで祝うよ。シズちゃん。



「ああもう! ムカつく。ムカつくムカつくムカつく!」

 ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ
 勢いに任せて丸めた写真を地面に投げつけた。
 ちくしょう。悔しくて、悲しくもなって、頭を掻き乱して膝を曲げた。地面に上半身を俯せにして上げた視線の先には、丸まった写真があった。

「……、……」

 やってしまった。後悔する。勢いに任せれば大体いいことはないとわかっていたからこそ余計厭な気分になった。眉を寄せて写真を睨みつける。

 どうして、こうなるんだ。どうして、池袋に行ってもシズちゃんは俺を追いかけないんだ。どうして、俺を見たのにすぐ視線を逸らしたんだ。どうして俺はそれ以上踏み込もうとしなかったんだ。

「ああもう……」

 シズちゃんは過去は忘れたとでも言うだろうか。なかったことにしているだろうか。そうじゃないと、俺を見て見ぬフリをすることなんてできないはずだ。
 どうしてだろう。友達ができたシズちゃんは、人間に近付いていて、そうなっていく彼にとって俺は必要ないのか。でも出会ってから六年までのあの日々は、シズちゃんにとって、そんな簡単に捨てられる過去になっていたのか。
 わからない。変化ばかりしていって、俺はついていけないままだった。
 今日は十年目の誕生日だった。







 どれくらい、経ったのだろう。今回もまた晴れだ。俺の誕生日はやっぱり毎回、雨だと新羅に聞いた。
 シズちゃんに会うことはなくなった。
 一番大きな理由は池袋に行っても、追いかけてこなくなったからだ。別に、俺はシズちゃんがどこにいるかなんて調べようと思えば調べられるから、いつだって会えるけど会う気になれなかった。きっと今のシズちゃんと話したって虚しくなるだけだ。

 それに会っても喧嘩はしないと思う。もしかしたら俺が話し掛けても反応すらしないかもしれない。シズちゃんにとって、あの高校時代はきっとなかったことになっているだろうから。
 それでも、俺だけがずっと覚えていて、毎日シズちゃんのことを考えている。自分がものすごく滑稽に思えた。

「……」

 写真に映っている頃に戻りたい。
 俺だって、シズちゃんのことを忘れようと思ったけど、全然無理だった。むしろ余計に意識してしまって、その度、昔のように喧嘩したいと思っていた。

 きっと俺はシズちゃんのことが好きだ。予測ではあるけど、どこか確信めいていた。

「もしもしシズちゃん。俺、俺。誕生日おめでとう。じゃあね」

 昔、シズちゃんに愚か者と言ったことがある。でも愚か者は俺だ。よりによって、大嫌いな相手を好きになってしまうなんて。
 いつから好きになったのかはわからないけど、特別な存在の彼に対しての嫌悪感は、ひっくり返せば壮大な愛に変わることはたやすかった。

「さて、と」

 留守電に祝いの言葉を入れた。メールも送った。着信拒否とかされてるかもしれないからシズちゃんが見るかはわからないけど、満足だった。なんせ、誕生日おめでとうと言えたのは一年目だけだったから。

 あとは目の前の火を吹き消すだけだ。
 毎年、この時間はものすごく静かに思えた。

 火を消して、真っ暗になった部屋の中で、写真に目を向ける。
 これはいつか破れて、ボロボロに崩れて形がなくなる。弱った写真から安易に想像できた。

 写真がどうなろうと、シズちゃんが留守電を聞いたり、メールを見てなかったとしても、だんだん会わないようになって、会わない年月の間が開くようになって、変に気まずさを感じるようになって、会えなくなっていても、俺たちは離そうとしたって離せない。犬猿の仲だ。

 だから、俺はいつかまたシズちゃんと偶然会う。そんな予感がしていた。


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