「俺はさあ、常々思うんだ。宇宙に行きたいって」
「君は相変わらず、いきなり来ていきなり変なことを言い出すね」
 池袋、早朝五時半。ぼんやりと空が明るくなる頃、臨也は新羅の家に来ていた。清潔にされたリビングにある大きな窓からは、朝もやで霞む池袋の街が見渡せる。ちょうどコバルトブルー色で朝の爽やかな空気を曝しているが、朝昼晩関係なく仕事をしてさらに都会の景色に見慣れている臨也はそこに目を向けず赤紫に腫れ上がった自分の腕を見ていた。
 新羅は溜め息をついて右手で頭を抱え、左手には木製の救急箱を持っていた。ソファーに座った臨也の前に屈んでその腕を目を細めて見る。服装は、黒い寝間着に白衣を羽織っている恰好だった。
「起こしちゃったかな」
「連絡もなしにいきなりこんな時間にインターホンが鳴って飛び起きたよ。何事かと思ったら、君達はまた一夜漬けで喧嘩してたんだね」
「違うよ。シズちゃんが勝手に追い掛けてきただけだ」
「君が挑発したんだろ」
「池袋に仕事しに来ただけなんだけどね……ところで新羅。わざとやってるのかな。眼鏡」
「え……ああ!」
 臨也の言葉に怪訝な顔をした新羅は、違和感に気付いたのか自分の額付近に手をあてて驚いたように眼鏡を瞳に合わせた。臨也は笑うことなく無表情でそれを見つめ、お前は相変わらず、首なしの前以外では抜けてる。と言った。
「当然だよ。僕はセルティ以外には興味がない」
「地球は意外とでかいものだよ」
「それなら、静雄くん以上の人間がいるとでも? 静雄くんの代わりはいると、君は思うのかい」
「……そこでシズちゃんを出すなんて、ずるいなあ」
「で、宇宙がなんだって」
 新羅は臨也の言葉を無視して、先の話題に戻す。臨也が意味のわからないことを言い出すのは今に始まったことではない。慣れた雰囲気で話のペースを作る二人は、傍から見れば親友のようだった。
「お前みたいな奴でも一度は行きたいと思っただろ」
「子供の頃に一度か二度は……でも今となれば、全然思わないね。僕はセルティさえいれば!」
「あー、はいはい。
でさ、俺ももちろん子供の頃、宇宙に憧れを持ってたよ。でも今は、子供の抱くそれとは違う感情を宇宙に向けてるんだ」
「へえー。で」
「宇宙の上には、上なんてないって思ったら、さ」
 そのあとが肝心だろうに、そこで言葉を切った臨也はまるで空を仰ぎ見るように顔を上げた。しかし見えるのは天井。その姿を見ずに傷を治療する新羅は、言葉の続きを問うこともなく、それから二人の間には長い沈黙が続いた。



「ありがとう。また来るよ」
「できれば来ないでほしいな」
「愛の巣に、他人の足跡を残してほしくない?」
「ああ。そうだよ」
「はは……また来るよ」
 ひらりと手を振って扉を背にした臨也。新羅は困ったような笑みを張り付け、欠伸をしてから扉を閉めた。
「あと一時間は寝れるかな……」
 再び寝室へ戻り、眼鏡を適当に机に置いて白衣を着たままベッドへダイブした。
 今から二度寝をする新羅とは別で、今から新宿に帰る臨也は朝の池袋の空気を感じながらゆっくりと足を進めていた。
「……どうしてこうも、朝は嫌な気分になりやすいのかな」
 臨也は軽く眉をひそめて小さく息を吐いた。
 もう少しで花が咲く、そんな季節のはずなのに四月はまだ寒かった。吐く息が白い。指先は真っ赤にかじかんでいた。手を黒いコートのポケットに突っ込みたいようだが、いつ誰に狙われてもおかしくない臨也にはそんな無防備な行動はとれなかった。
 ふと、自販機に目を向けて、彼は少しだけ無邪気に笑った。
「春が来るなあ」
 その頭には、なにが浮かんでいるのだろう。春、臨也にとって思い出に残る春といえば静雄との出会い意外に何一つなかった。臨也の人生はあの時始まったようなものだ。十六の春。
 その時、自販機を見つめる臨也の後ろから、標識が飛んできた。それは見事に頭に当たって、小さく「え、」という驚きの声が響いたのを最後に臨也はその場に倒れた。
 ジャリ、と砂音を立てて傍に寄ってきたのは、静雄だった。








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