春は意味もなくドキドキする。いつものように黒いファーコートに腕を通して外に出れば生温い風が肌をなぜた。街は桜の花びらでピンクに染まっていて、まさに空というようなきれいな水色は春を感じさせた。少し暑い。背中が汗ばんできた。コートを着たのは失敗だったかな。
 池袋に向かう電車の中でも、窓から差し込む光に髪が熱くなる。なんてこった。服も髪も黒だし、これはたまらない。早く池袋に着けと思いながら携帯を弄っているといきなり強い風が吹いた。
「ん……?」
 なんだ、と風の吹く方向を見ればスーツを着たサラリーマンらしき人が体を捻って窓を開けていた。上にずらされた窓から吹く風にのって、一枚の花びらが携帯のキーの上にふわりと落ちた。
 春がきた。頭の中には一人の男。この風に吹かれると、桜を見ると、思い出すのは毎年同じことだった。



「臨也ぁ!! 池袋に来るんじゃねえぇえ!」
 今日も相変わらず、静雄は臨也を追い掛けていた。どこからか抜いてきた標識を持って池袋の街を走りに走る。臨也は、楽しそうに静雄の姿を見ながらも細い路地をぐるぐる通り抜けては壁を蹴って移動する。
 臨也が池袋に着いて、東口を出た途端標識を持って待ち構えていた静雄からすぐ逃げて、今は露西亜寿司の前を走り抜けていた。
 だいぶ長い時間走ったのに、と静雄は思う。もう三十分は経っていい頃だ。そんなに距離が進んでないのは臨也が同じ道を何度もぐるぐる回るせい。進まない距離と逃げ回る背中を捕まえることができなくてイライラは募っていくばかり。風を切るように標識を平行に振れば少しコートのファーを掠るくらいだった。うぜえ、ドスの効いた声を出して臨也目掛けて標識を投げる。が、少し右に避けらるだけで標識は真っ直ぐと道路に飛んでいった。ガシャーンと、車にぶつかる音がするが気にしてられるかという様子で逃げる臨也を追い掛ける。
「待ちやがれえええ!!」
 角を曲がった臨也はちょうど青に変わった道路を渡った。――どこに行ったのか、キョロキョロしているうちに信号はチカチカと点滅をはじめて、臨也の姿に気付けば赤へと変わった。
「あっ手前!」
「じゃーねー! のろまなシズちゃん!」
 一斉に車が動き出す。道路の向こう側に消えた臨也を睨みつけた静雄は、悔しそうに息を詰めて拳を握った。結局こうなるのだ。いつものように逃げられて、次会った時にまた追い掛けて。
 ――今日こそ、そうはいかせねえ。
 バキバキバキ、聞いたこともないような重い音が響いたと思えば、歩行者の専用信号がぐにゃりと曲がっていた。そのままドスンと道路に倒れると、驚いた車が次々とサイレンを鳴らして止まっった。静雄は一気に空いた道路を渡ると、臨也の臭いを辿っているのか迷うことなく真っ直ぐに道を進んで行った。
 曲がればたくさんの店が並ぶ通り、目の前にはさらに道路があった。その先には、満開の桜の木が一本、あった。
「…………」
 すぐに青になった道路。静雄は一歩一歩ゆっくりと歩いて木に近付いた。真下に着くとピンクの空を見上げて、少し抜けた顔をしていた。
「懐かしいな……」
「だよね」
 一人呟くと、すぐ近くから声が。バッと顔を周りに向けると隣に臨也が立っていた。
「手前! いつの間に!」
「まあまあ、落ち着いてよ。懐かしいじゃないか。もう、何年前かな。俺達が出会ったのは」
「……思い出したくもねえな」
「桜見ると自然に思い出しちゃうくせに」
「……お前もだろ」
 二人は視線を交わさずに会話する。さきほどまであれほど怒り狂っていた静雄は、今日は捕まえるのを諦めたように桜だけを見ていた。

 臨也も、静雄も同じ気持ちだった。桜を見ると思い出す。出会った春。
 ――高校に登校する時、臨也は新入生の中でも一番に登校していた。登校中に大きな桜の木が何本も並んでる桜並木がある。その中でも、一本だけ妙に目を引く桜があった。ほかとの違いなどないのに、何故か目を引いた。その後に静雄が登校してきて、静雄も臨也と同じ、多くの中の一本の木に目を引かれた。臨也がしたのと同じように右手で木に触れてみた。不思議な気持ちが、胸の内にひろがった。
 そんな春だった。憎い相手と出会ったのは。それから毎年春が来る度、忌ま忌ましい声、態度、全てが頭にはっきりと浮かぶ。
 そして今二人が目の前にしている桜の木は、あの日見たものととても似ていた。



「嫌な記憶しかねえよ」
「はは、なのに、なんで思い出しちゃうかなあ……確かに印象強かったけどさ」
「来年は、思い出したくねえな」
「ああ……そうだね」
 風が強く吹いて、桜の花びらが辺りをピンクに見せるほどに散った。静雄は、臨也に視線を映すが桜に塗れて欠片も見えなかった。臨也も、静雄に視線を映したが、全っく見えなかった。地面は花びらの絨毯になっていて、まるでそこだけが別世界のようだ。

 ――そうだ、ここは別世界だ。いざ、この感覚を忘れるなんて考えたら悲しくなったなんて、そんなはずない。
 だから、自分も、臨也も桜のせいでおかしくなってしまったと、そう思うしかやり場のない感情に理由をつけることができなかった。







1104062234









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -