※報われない二人










「平和島、静雄?」
 全人類を愛する臨也に、唯一の存在ができたのは高校に入ってすぐのことだった。並外れた力で、それとは逆の優しく臆病な性格。自分から人と関わることがないくせに、少ない友に話し掛けられれば仏頂面をしながらもどこか嬉しそうに笑っていた。
 臨也は、そんな静雄の全てが気に入らなかった。
 見てるだけで苛々する。あの顔を、声を、影でさえも静雄に関係するものは全部嫌いになった。
 中学生の頃できた友人の新羅のことも、静雄と関わった姿を見たその瞬間嫌いになった。自分にしてはめずらしく懐いていた門田のことも、少なからず静雄と関わっているということを知って嫌いになった。
 何故そんなに気に喰わないのか。彼の何がそこまで自分を駆り立てるのか。――化け物だから? そうだ。きっと、そうだろう。彼が人間じゃないから、自分は静雄のことがどうやっても嫌いなんだ。自分に言い聞かせるようにして納得した臨也は、小さく溜め息をついて来神高校の教室に一人座っていた。
 誰もいない教室には、窓からオレンジの光が射していた。窓際の最前列から一つ後ろに座っている臨也はその光に照らされながら頬杖をついて、ぼんやりと遠くの空を眺めていた。濃く強いオレンジに大きな雲がちぎれて空にひろがっている。迫りくるのは紺色で、あと少しで陽が落ちることを見せていた。廊下からは部活や係などで残っていたであろう生徒たちの騒ぎ走る音がたまに聞こえている。
「……なんで手前がいんだよ」
 静かだった教室には、ガラガラと扉が開く音がした後に男の声が。チラリと目線だけ扉側に流した臨也はピクリと眉を寄せた。
「それはこっちの台詞だよ。俺は君のせいでせんせーから説教受けて、今終わったとこ。君がキレるのは俺が挑発するのが悪いんだって。意味わかんないよね。……まあ、キチンと事実を伝えて、説教の矛先はシズちゃんに向かうようにしといたけど」
「チッ……うるせえ早く消えろ」
「長く話して疲れてるんだ。少しは休ませてよ。君こそなんでここにいるんだい」
「手前には関係ねえ話だろ」
「俺は話したのに。ひどいなあ」
 わざとらしく息をつく臨也を見て耐えられないと言わんばかりに静雄が近くの机に手をかけたところで、静雄が入ってきたところのまた奥の扉がガラガラと呑気な音を立てて開いた。それと同時に机は持ち上げられ、臨也目掛けて投げられた。椅子から離れて、軽く左に避けた体に机が命中することはなく、それは派手な音を立てて窓ガラスを割った。机はそのまま外へと落ちていった。あーあと歎く間に二つ目の机が投げられて、それもしゃがんで避けた。机は、臨也が背にしていた壁にめりこんでいた。
「君達、相変わらずだねえ」
 そこで、第三者の声が教室に響く。入ってきたのは静雄と臨也の共有する友人、新羅だった。その姿を目に収めると臨也は思いっきり眉をひそめて、は? と苛立ったような声を出した。しかしそれは一瞬のことですぐにいつものすました顔に戻ると、青筋を浮かべて興奮した様子の静雄を見据えた。
「君の用事って、新羅と待ち合わせでもしてたの?」
「臨也も知ってるだろ。僕の同居人と静雄の気が合うようでさ、会いたい会いたいうるさいから今日下校ついでに僕の家に寄ろうって話になってね」
「お前には聞いてないよ」
 質問に答えた新羅を見ることなく言い返した臨也に新羅は苦笑いしてはいはいと教室から一歩足を引いた。臨也は、自分が今の場面で何故攻撃的な口調になってしまったのか疑問に思いながらも胸の内にひろがる苛々に思わず心臓の上に手をあてた。
「シズちゃんは友達が少ないもんね。新羅の同居人っていったら確かアレだろ。首なし。化け物同士仲良くやってるってこと……」
「おいノミ蟲」
 臨也が馬鹿にするように静雄に言葉を掛けていると、ドスの効いた低い声にそれは遮られた。俯いた静雄がゆっくりと顔を上げると、その表情は静かに怒りを秘めていて、じっと睨みつけるように臨也を見ていた。
 なにか言おうと口を開くが、言葉が出なかった。開閉を何回か繰り返してるうちに静雄が再び口を開いた。
「セルティを馬鹿にするんじゃねえぞ」
 静雄の言葉を聞いた途端、ビクッと手を震わせた臨也。気付いたのか、そうでないのか、その言葉を言うと静雄は教室を後にした。臨也に同情するような目線を向けた新羅も静雄に続くように教室を出た。セルティは、彼にとっての大切な存在だ。それを罵る対象にされては、彼もたまらないだろう。
 誰もいなくなった教室。割れた窓からはヒュウヒュウと生温い風が吹き抜けた。ポツリと立ち尽くした臨也の目は、涙に潤んでいて、赤かった。何かを堪えるように歯を食いしばり震える手を拳にするその姿は、多くの憎しみを抱えてることが見て取れた。しかし、臨也は静雄に対しての憎しみはもちろん、新羅、そしてセルティに向けての憎しみも含めていた。
 静雄と関わる者はみんな嫌いだ。関わったその瞬間から、今までどんな仲を築いていた者であろうと、憎しみの、対象になる。
 ――こんなの、一番辛いのは誰でもない。自分だ。



 そうやって、高校時代から生きてきた。臨也は、気付けば多くの人間に憎しみを向けるようになっていた。大人になった今でも、増えるばかりで。
 好きになる人が増えることはなかった。嫌いになる人がどんどんどんどんどんどん、増えて増えて増えて。それは、静雄が多くの人と関わるようになったということを表していた。臨也にとっての絶対的な救いなんて、裏社会の人間くらいだ。静雄が関わることもない、静雄の存在なんて気にすることもない。別世界の人間達。取引をしている時だけ、うまく息ができた。池袋に行くと、息がつまるようだった。静雄と対峙すれば、胸が痛かった。
 ――ここまで嫌いになるなんて、いっそのこと出会わなければ良かった。
 そう思うのに、それを考えると、情けなくも寂しくなる自分もいた。

「おい、何考えてんだ。臨也くんよぉ」
「……君には関係ないことだよ」
「こんな状況で、よく余裕ぶってられるよなあ」
 現在、太陽が頭上に登り始めた頃。臨也は静雄に首を掴まれて壁に押しつけられていた。黒いコートに黒いVネック。黒いズボンに黒い靴。路地裏の闇に溶け込んだその姿は、白い肌だけが妙に目立っていた。対する静雄はバーテン服に金髪サングラス。どこまでも目立つ恰好だ。ふと路地裏に視線を向けた者がその姿を見つけても警察を呼んだり止めにはいったりすることはなかった。この二人の喧嘩は誰も介入できない。それは池袋を知っている者ならば一人も欠けずわかっていることだった。
 薄暗い路地裏には、どこからか桜の花びらが風にのって舞ってきた。生暖かい風が吹く中でも、臨也は冷えゆく体を感じていた。
「……ねえ、シズちゃん。おれ、しんじゃうよ」
「ああ、死ねよ」
「っ……苦し」
 首を見つめられ、ギリリと力を込められた。本格的に息が出来なくなる。ヒュッと圧迫された気管支が鳴る音がした。臨也は、巡らせていた過去のこと、それから静雄と喧嘩してきた日々を頭に思い浮かべていた。
  勝手に、浮かんできた。
 辛かった。静雄のせいで少ない友人を憎むようになった。静雄が、ほかの人と話してる姿を見れば、頭がおかしくなりそうだった。大人になって多くの人と関わっていく静雄を知る度に、彼は自分とは別世界の存在ということを知りたくなくても知った。高校の時、あんなに近かった距離は、今は見えない程遠く離れているように感じる。こんなに近くにいるのに。なんで、届かないんだろう。
「……臨也?」
「…………」
 ぼそりと何か呟いたタイミングで見上げれば、臨也は頭をこっくりと後ろに反らして、白い首筋を曝していた。手足はだらんと力なく下がっている。
「……おい。死んだのか」
 静雄の言葉に、反応はない。
「…………なに泣いてんだよ」
 首を掴んでいた手を放せば、臨也は地面にドシャリと崩れる。その顔は、苦しそうに眉を寄せて瞼を伏せて、涙を流していた。静雄はしゃがみ込むと口の近くに手をかざす。
「……くそ」
 微かに息しているのがわかって、舌打ちするともう一度首を絞めるのではなく、臨也の左腕を持って立ち上がった。そのまま肩に担ぐと、静雄は人通りの多い、まだ明るい正午の街へと歩き出した。







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