「九十九屋……?」

 驚愕したような声を出した臨也の顔は信じられないというように、扉の先にいる男――九十九屋真一を見つめていた。
 笑みを絶やさない九十九屋は一言「お邪魔するよ」と言って遠慮もなさげに臨也の事務所へ入って行く。ちょっと待てよとらしくもなく早口で発した臨也は鍵を掛けることも忘れてデスクに向かって走った。さきほどばらまいた書類を集め引き出しの中に仕舞い、目線を動かして部屋を観察しているように見える九十九屋を警戒の目で見ていた。
 臨也が警戒するのも当たり前だ。あの男が九十九屋という証拠はどこにある。 何度か電話をしたことはあったが声だけで九十九屋本人と判断するのは臨也にしては軽薄な考えであろう。少なくとも、証拠が三つなければ信用できない。いや、例え九十九屋だとしても、臨也は九十九屋のことを情報以外では信用なんてしてないだろう。
 臨也の視線に気付いているのか気付いていないのか、一通り部屋を見渡した九十九屋は、折原らしいなと小さくぼやき、ソファーに座った。
 はあ、ため息をついた臨也はキッチンへ向かいコーヒーを作り出した。嫌々ながらも一応常識的なことはするのか、やはり九十九屋に対する臨也は臨也らしくもない。……九十九屋と決まったわけではないけれど。

「はい。コーヒー」

 カチャリと微かに音を立てて置かれたコーヒーカップ。九十九屋がそれに手を伸ばした時、その行動を遮るように言った。

「毒、入れておいたから」
「…………」

 試しているのか、九十九屋から目を離さない臨也。しかし九十九屋は臨也を一瞥しただけで再びコーヒーに視線を戻し、至極楽しそうに笑った。

「ありがとう」

 なんの戸惑いもなく口に付けられ上下する喉仏。微かに目を見開く臨也は、チャットをしている時にするように顔を苦く歪め、九十九屋と向かい合いのソファーにどさりと沈んだ。

「お前、九十九屋だな」
「名乗っただろ」
「……なんなの急に。直接会おうって言っても、一度だって会おうとしてくれなかったくせに」
「気まぐれなんだ」
「気まぐれな情報屋、ね。厄介だなあ」

 いつもは饒舌なのに、今日は妙に口が回っていない気がする。それもそうだ。臨也はほぼ睡眠無し状態なんだ。さすがに頭が回らないのだろう。そんな臨也のことをわかっているのか、少し寝たらどうだなど気遣いの言葉を掛ける九十九屋は、ここに来た時点で臨也を寝かせるつもりなんてないのだろう。
 臨也は軽く頭を抱える。痛いと呟く声は静かなこの部屋では九十九屋に届いた。そんな状態の臨也とは違い、同じくずっとチャットをしていた九十九屋は疲れた様子など微塵も見せない。目の下には少し隈があるようだが。

 九十九屋は、臨也から視線を逸らさないでいた。臨也は自分の家だというのに居心地悪そうに視線を逸らして、膝の上でトントン指を動かしている。

「折原は綺麗だな」
「……は?」

 コーヒーを啜る音と、指が膝に叩かれる音しかしていなかった空間に響く九十九屋の言葉。驚いたように目を見開いた臨也は無意識に動かしていただろう指の動きを止めて視線を九十九屋に向けていた。九十九屋は、相変わらず笑みを浮かべていた。
 カチャリとカップを置いてから膝を組み、その上で指と指を絡める。そして、また口を開いた。

「折原は、綺麗なのに報われないな」
「……なに」
「なんでこんな綺麗な子が報われないのかなあ、って」
「意味がわからない」
「折原は可哀相だな」
「……俺が? あは、俺のどこが可哀相に見える?」

 楽しそうに笑う臨也の目は笑っていなかった。そして、声も震えているように見えた。九十九屋は、笑みを深めてソファーから立ち上がった。

「今日、俺がわざわざ直接会いに何をしに来たと思う」
「…………」
「綺麗で可哀相な折原に、プロポーズをしに来たんだよ」
「…………イカれた?」
「脳検査してみるか?」

 臨也は座ったまま、唖然として九十九屋を見上げる。有り得ない、ふざけてるのか、そう言いたげだった。

 九十九屋真一は、よく解らない。臨也の情報を上回り、知らないことなどない、正体不明、二十四時間チャットルームにいる。人間かも解らない。だが、人間と解ったのはこうして臨也の目の前に現れたからやっとその存在を目に入れて証明することができた。でも、よく解らない九十九屋はやっぱりよく解らなかった。初めて会った日にプロポーズなんてなかなかないだろう。

「お前、そっち系だったのか」
「違うよ。折原が可哀相すぎて思わずね」
「同情ならいらないし俺は別に可哀相じゃないよ」
「平和島静雄に構ってもらえなくなったからって、チャットに張り付いてるくせに?」
「っ!」

 なんでそのことを知ってるんだと顔に書いてあるようだ。臨也はびくりと体を揺らし今までの中で一番大きな反応を見せた。
 ――九十九屋の言う通り、ここ最近静雄と臨也の喧嘩を見たというものは少ない。臨也が変わったわけではない。静雄が変わったのだ。今まで少しでも苛立つことがあればなんだって暴力を振るっていたが、最近になってそれはなくなった。静雄は、時を重ねるごとに落ち着き、人間らしくなっていった。
 その頃から臨也は甘楽にしろ折原臨也にしろ、寂しさを埋めるようにチャットに張り付いていた。毎日毎日仕事を片手でやりながらも、朝から深夜まで。
 九十九屋は、そんな臨也を見込んだのかもしれない。いや、九十九屋にそんな優しさがあるのか不明だが。もしかしたらただ楽しんでいるだけということも有り得るだろう。

「俺といれば、一人になることはないだろ」
「お前と一緒にいるくらいなら一人の方がいい。……ってか、部外者が俺とシズちゃんの間に入ってこないでよ!」

 いきなり声を荒げた臨也は勢い良くソファーから立ち上がった。ガタンと揺れたテーブルにはその衝撃で零れたコーヒーの液体が拡がり、やがて九十九屋の足元へと垂れていった。

「折原は、平和島静雄に干渉しすぎたな。一人の人間に固執することがどれほど愚かであるかわかってるくせに自ら苦しくなるようなことをして」
「シズちゃんは一人だから、ずっと変わらないはずだから」
「それがどうだ。平和島静雄は今一人か? 昔から変わらないままか? 人も街も変わっていくものだ。そんなのお前が一番よくわかってるだろ」

 九十九屋から並べられる言葉の数々に、臨也はとうとう両手で顔を覆い膝を曲げた。
 またソファーに腰を下ろす形となった臨也は顔は手で覆ったまま膝に肘をついて、声を上げて泣いた。九十九屋の顔に笑みは浮かんでいなかった。

「折原、一人になりたくなかったら、俺の手を取るといい」
「うあぁあ! 、やだ……お、れ……俺はシズちゃんと、シズちゃんしか、シズちゃんしかいなかったのに……」
「折原」

 顔を覆っていた両手のうち右手が震えながら臨也の前に差し出された九十九屋の手に伸びていく。左手だけで口を覆った臨也は俯いたまま、九十九屋の手を握った。
 何か言っているようだが、もはや何を言っているのか解らない。嗚咽は酷くなるばかりでこのままだと呼吸困難で死んでしまうかもしれない。九十九屋は、無表情だった。

「幸せになろうな。折原」

 ほぼ力の無い状態で手を握られていた九十九屋は、少し力を込めて握り返して、ほんのちょっとだけ自分の方に引き寄せたようだ。言葉の前に、お前は幸せになるべきだとぽつりと言った声に、臨也は気付いてない。

 窓から溢れんばかりの太陽の光が降り注ぐ。部屋の電気は付いてない。太陽だけが二人を照らしていた。
 それはまるでステンドグラスのように美しく、一枚の絵のようにも見えた。
 九十九屋の顔が苦く歪んでいたのは光のせいか、それとも別の理由なのか解ることはないがこれだけは確実。
 二人が、これからずっといびつな道を不器用に歩いて行くことは、確実だった。
 それでも幸せになってしまうのだろう。本当に愛する人と離れていくばかりの世界で。







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