「はぁ……はぁ」

息が苦しい。足が、身体が痛む。でも、走らないと。
一人の青年は、暗闇を走った。後ろを確認する暇もなくともかく足を動かした。

「はっ……」

古びた家と家の間の細い路地に入る。人は住んでないのか、窓から洩れる明かりもない。壁に凭れ、ずるずると地面に沈む。このまま息を潜めて追手が離れていくのを待てば……そう思っているときだった。ただでさえ暗かった路地に、影がかかったのは。
はっと息をのんで青年は顔を上げた。影の元を辿ると、そこにいたのは奴らではなかった。

「……おい、大丈夫かよ」

戸惑ったように、焦ったように狼狽えている男は目に痛い金色の髪で、たくさんの本を手に抱えていた。

「助けてっ!!」

「は?」

その男に縋りつくように青年は足を掴んで助けを請う。男は驚いたように目を見開き、そしてしゃがんで青年の手を取った。

「と、とりあえず落ちつけ。何があったんだよ」

「お願い! 俺をかくまって……」

「見つけたぞ折原!」

「え?」

折原、と呼ばれた青年は、その声を聞くなり身体をガクガクと震わせ瞳には涙を滲ませた。金髪の男は自分の背後から響いた声に振り向き、だがその瞬間、バットのようなもので頭を殴られた。男の持っていた本がバラバラと散乱する。

「あっ……!」

折原は、その光景に絶望したように声を上げ、倒れた金髪の男ににじり寄る。

「さあ、俺達と一緒に来い」

「い、嫌だ!」

「来いっ!」

無理矢理腕を掴まれ、金髪の男の横を抜けて路地を出た時、後ろから衣擦れの音がした。そして、折原を連れた男の肩が掴まれ、それと同時にそいつは引き剥がされ勢いよく地面に飛ばされた。

「あ……」

「逃げるぞ!」

それは、先ほど倒れたはずの男で、本をそのままに折原の手を掴みどこかへ走り出した。







「まあ……入れよ」

10分くらい走り続けて着いたボロいアパートは、どうやら男の家らしい。軋む階段を上ってすぐにある扉に鍵を差し込み、錆びた音を立てながら開いた。折原は、遠慮がちに、足されるまま中に入った。

「なんか飲むか?」

「じゃあ……水」

畳張りの、狭い部屋だ。机とテレビ、敷き布団、小さなキッチンとトイレ以外にはなにもなかった。

「わりぃな。汚い家で」

「……いや、ありがとう」

水を受け取り、こくりと一気に飲み干した。ずっと走っていたのだ。一杯じゃ足りないくらいだった。

「……で、どうしたんだよ」

折原と同じように畳の上に座り、問いかける。折原は俯き、小さく呟いた。

「……追われてた」

「それは分かるけどよ、なんで追われてたんだよ」

「……俺、AV男優やってんだ」

「……は? ……」

今日は驚いてばかりだ。金髪の男は開いた口がふさがらなかった。

「それも……ゲイビデオの」

「え、と……」

「俺を追ってた奴らは、前に俺が仕事でヤった相手の部下。なんでそんな奴らに追われてるかというと、俺、気に入られちゃったらしくて、捕まえられそうだったんだ」

「…………」

「そいつ、結構悪い噂があってさ……気に入った奴は捕まえて自分の家に監禁して使い物にならなくなるまでヤりまくるとか、その事実が掴まれたとしても金で消す。とか」

なんだかとんでもないことだ。自分とは無縁の世界だ。と、金髪の男は思った。しかしかその半面、今の話を聞いて納得してしまうところもあった。
男から見ても、折原は綺麗だった。女よりも白い肌、男にしては細い手首、先ほど掴んだ時思ったが、細長い指に柔らかい掌。そしてVネックから見える鎖骨は男らしからぬ色気を放っていた。

「……どうしたの? ……引いた?」

折原の声にはっとなり意識が現実に戻る。自分は今、何を考えていたんだ、と。

「いや、……大変なんだなと思って……」

なんとなく後ろめたくて、折原を直視することはできなかった。そんなことは知らないだろう折原は、自嘲するように笑い、言った。

「ごめんね。こんなことに巻き込んじゃって……あの時は俺も必死だったんだ。絶対に捕まりたくなかったから」

「巻き込まれたとか、そんなこと思ってねえよ……」

「そう? じゃあさ、一晩でいいから泊めて。今夜は奴ら、そこらへんうろうろしてると思うから。早朝に出てくよ」

「ああ……」

一見、落ち着いていて、平気なようにも見えたが、折原の瞳はどこか怯えていた。

「そういえば君、名前なんていうの?」

「あ? ああ。俺は、静雄」

「そっか。よろしく、静雄くん。俺は臨也」

「いざや……めずらしい名前だな」

「よく言われる。ところでこの家、シャワーとかない?」

臨也は部屋の中をキョロキョロと見回す。ないことは一目瞭然で分かっていたが。

「わりぃ。ここねえんだよ。近くの銭湯に通ってんだけど……行くか?」

静雄はそう持ちかけたが、臨也は首を横に振った。

「人目につくところで風呂に入りたくないんだ。いいや。仕事帰りで気持ち悪いけど我慢する。」

「? 汗かいてんのか。まあたくさん走ったもんな」

「それもあるけど、俺の仕事はAV男優って言っただろ?」

「あ……」

その言葉の意味に気付き、静雄は目のやり場に困った。だって、目の前の身体がそういうことをしていたというのだから。

「でも流石に入ったままは気持ち悪いなあ……トイレ借りるね」

入ったままってなにが。したくもない想像をしてしまい頭をぶんぶんと振る。パタンとトイレの扉が閉まって何秒か経って、中から聞きたくもないような音がして耳も塞ぎたくなった。急いでテレビをつけ、音を上げる。

「ん……し、ずおくん……ちょっと……きて」

ビクリと肩が大げさに跳ねた。先ほどとは違う、甘い声で名前を呼ばれて。

「な、なん、だよ」

そーっとトイレに近づく。中からはあはあと荒い息遣いが聞こえた。

「ちょっと、力、入んなくて……手伝ってくれる……?」

手伝うって……なにをだ。とりあえず扉を開けないと始まらないよな。そう思った静雄は一言、「あけるぞ」と断ってノブを回した。

「っ…………!」

だが、中の光景に、思わず固まってしまった。

「は……ぁ、ごめん、こんな場面見せちゃって……」

壁に片手をついて、こちらに尻を突き出すような形の臨也のもう片方の手は、人さし指と中指が尻の中に埋まっていた。

「ちょ、と疲れちゃって……体制もキツイし……身体にうまく力が入らなくて、ごめん、出すの手伝って……」

「んなの……どうやればいいんだよ……」

「ここに、指入れて、精液、掻きだせばいいから……」

「っ……」

静雄は男には興味なかった。が、それと同時に女にも興味がなかった。というよりも人に対する憧れや恋心を抱いたことがなかった。だから性行為とも離れた生活をしていた。でもたまるものはたまるので、その時は自分で抜いていた。しかしだれかに対してなにかをするというのは初めてで、動揺が隠せなかった。

「大丈夫……普通に、やればいいから」

臨也の手によってそこへ誘導され、入口に当てられた。

「できる……?」

「っ……両手壁についてろ!」

「ありがと……」

静雄は、慎重に、つぷりとまずは人差し指を一本入れた。

「ふ……ぅ……」

「痛い、のか……?」

「ううん……いいか、ら、早く」

その言葉に、焦ったように人差し指を全て埋めた。臨也は身体を大きく震わせていたが静雄は違う意味で震えた。

「次、中ゆび……入れて?」

「おう……」

ぐぷ、と音を立ててもう一本入れる。指は驚くほどすんなりと入る。しかも臨也にとっては、本当に痛くないらしい。小さく喘ぎ声が聞こえる。

「あ、とは好きなように動かして、出してくれればいいからっ……」

好きなようにって……考えたって分からなくて静雄は自棄になった。

「ああもう……ちくしょう!」

ゆっくりやるのは逆にだめだ。ぐるりと円をかくように指を中で回した。臨也はビクビクと身体を震わせ声を上げた。

「やああああ……っ!」

ぐちゅぐちゅと乱暴に中を掻きまわして、白濁とした液を出す。その感覚は中を開発された臨也にとってはたまらないものだった。

「や、ああ、しずおく……もっとゆっくり……!」

「…………」

静雄は目をぎゅっと瞑ってなにも見ないようにしていた。ただ機械的に指を動かす。

「静雄く…ん…も、だめっ……」

「……終わったぞ!」

「あぁ……! え?」

臨也は有り得ないという視線を静雄に投げかけたが、静雄は一向に目を合わせようとしなかった。

「あの……ええと」

正直困っていた。始めから出すためだけにした行為だったが……ここで放置はさすがにないだろう、と。反応した自身はどうすればいいんだ。しかし静雄はこちらを見ないせいで、そのことには気づいていなかった。

「静雄くん……ちょっと、出ててくれるかな?」

「ああ……」

言われるがままにふらふらとトイレから出て行き、バタンと閉まった扉を見て臨也は軽く息をついた。

(あそこまでしといて……まあ彼、童貞っぽいし仕方ないか……)

もう一度、ため息をついて、空しい気分で自分の性器を握った。







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