暗幕が引かれた教室で、唯一の光源であるアルコールランプの光をそっと吹き消す。
ホントはこれやっちゃ駄目なんだけど、この状況でそれを言うのもおかしな話だろうから、気にしない。
完全に失われた視覚の代わりに冴えてくる嗅覚が感じとるのは、刺激臭。
ツン、と鼻をつくそれは、メチルアルコールの匂い――消毒液のあの匂い。
俺がさっき撒き散らしたものが気化した匂い、だ。

次に感じるのは、足音。次に化学室を使うのは1の3で、一つ前の授業は体育。それなのにダラダラ着替えず、こんなに早く来るってことは、たぶん真面目な子なんだろう。


後10メートルぐらい。
後7メートルちょっと。
4メートル。
あと5歩。
4、
3、
2、
1、

「ぜろ」


小さく呟くのと同時に、扉を開ける音がした。――少し時間がかかってるみたい。木製の扉は湿気で変形して、結構開けにくいから。

扉を開けた彼――彼女かもしれないけど――が最初に思うことはなんだろう?

まずは、電気のスイッチに手を伸ばして。
次に気づくのはアルコールの香りかな。
教師を呼ぶために教室の中を見回してみたりして。
そうしてやっと、


机の上の俺を見る。



小さく息を飲む音が聞こえたところで、右手のマッチを左手の箱に擦り付けた。
ヒュボッ、という音と共に現れた炎は頼りないものだけど、俺の顔を照らすのには充分だ。


「ね、俺のこと、知ってる?」


折原先輩、と吃りながらいう声によると、運の悪い第一発見者は男子生徒だったらしい。――よかった、頼みごとをするには、その方が便利だから。


「悪いんだけど、シズちゃん呼んで来てくれるかな。あ、平和島センセイだよ、体育の」


分かるかどうか訊くと、何度も頷く彼。まあこの学校でシズちゃん知らなきゃモグリだよね。


「あの…平和島先生には、何て言えば…」

「そうだなぁ――」


ふとマッチに目をやると、今にも指先に達しようとしている。思わず手を離すと(というかもとよりそのつもりだったけど)、マッチは小さな火を残したまま机へと落下して、
――燃え上がった。
一瞬で周りがオレンジ色に囲まれて、肌がちりちりと焼かれているのを感じる。


「じゃあ、折原臨也が焼死しようとしてる、とでも言っておいてよ!!」


慌てて出てったあの子には、俺の声は届いただろうか?――たぶん聞こえてないだろうけど、まあいいや。シズちゃんに俺が何かしてる、ってことが伝わるだけで充分なんだし。


抱え込んでいた足を伸ばして、軽くストレッチ。机の上の火は、既に消えていた。アルコールは揮発性が高く激しく燃えるものの、燃え切るまでにそう時間はかからない。
化学室の机――作り付けの黒くて大きなもの――は特殊な素材でできていて、耐熱加工されてるからなんの跡も残ってない。それはもう、悔しいぐらいに。その様子は、ナイフが刺さらないアイツを連想させたりさせなかったり。


来てくれるかな――シズちゃん。

10分休みは残り3分。前の時間が体育だから、完全に生徒が集まるまでにはもう少し余裕があるけれど、どちらにせよ、あんまり時間はない。
――来なかった時のために、準備しとかないとね。
傍らに並べたアルコールランプへと手を伸ばした。


一つ、手に取り揺らすと、透明な液体が、中途半端に開けられた入り口からの光を通して煌めく。キャップを開けて、芯も抜いて、左肩から指先までをなぞるように濡らすと、頭が痛くなりそうな甘い匂いが立ち込める。

ああ――「自殺ごっこ」もいよいよ気違いじみてきた。
なんで、こんな馬鹿なことをしてるんだったかな。こんなヒステリックな女の狂言みたいな真似を。
あのクソむかつく変態眼鏡のいうことを認めるわけではないが、これじゃあ、まるで、俺が、シズちゃんのこと―――。


扉の外が騒がしくなってきた――そろそろ時間切れかもしれない。じきに教師を呼ぼうとする奴も出てくるだろうし。さあ、潔く火を付けようか。
シズちゃん以外に止められるなんて、ごめんだね。それくらいなら全身に火傷を負った方がまだマシだ。

――それに、火傷したのが俺でも、きっとあの化け物は傷ついたような顔をするんだ。
化け物のくせに。


それはそれで見物だし。せいぜいアイツが哀れむような焼け爛れた顔で、嗤ってやろうじゃないか。


―――なんて、言っときながら、直後に響いた破壊音にちょっと安心したのは、秘密。



止められるのは、あなただけ


(120520)

「先生、恋を教えて」さまに提出


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