日本バレエ界が孕む夢と闇
 週刊レディース。文字通り女性、主に40代50代の主婦向けに作られるこの雑誌の編集部は常に混沌に支配されていた。綺麗なデスクなど一つもなく、女である私の机の上にだって散乱した栄養ドリンクの空瓶と不必要そうで重要な書類が山ほど積まれている。この部署に配属された当時は終始涙目で周りから怒鳴られつつコピーをとったり使いっパシリに出たりしていたが、慣れとは恐ろしいものだ。この部署に配属されてこの春で丸6年。念願の雑誌記者になれたと内定をもらった当時の歓喜は束の間の夢だったが、それでもやはり私の居場所はここにしかないのだろうとも思い始めていた。
 4月生まれの自分はもうすぐ29歳になる。こんな不定期な休みしか取れない労働基準法余裕でアウトのブラックに勤めていたら当然彼氏なんてのもできるはずがなく、男関係はかれこれ5年ほどご無沙汰だ。女としていろいろと終わっているのも感じていたが、それでも私はこの仕事が嫌いではない。
 いいや。私がこれから書こうとしているネタの裏を取るために駆け回っていたあの3日間は、むしろこれこそが私の天職なのだと感じていた。

 最初に伝えておこう。私がこの事件を記事にしたいと思ったのは完全に私情が理由である。
 私事だが、実は高校3年生までバレエを習っていた。日本のバレエ界の実情としては、小さなダンサーたちは皆本気でプロを目指しているわけではなく、箔をつけるため、仕草や姿勢を洗練させるためという親の都合で習わされている場合が多い。バレエの世界に金銭は必要不可欠で、名門と呼ばれるバレエ団の系列のバレエ教室ならレッスン料は一月につき2万近くは払わなければならず。衣装代やシューズ代、交通費などももちろん習う側が全額負担であり、さらに重い負担として圧し掛かるのは発表会の出演料である。出演料は出演する側が払わなければならない。端役である場合でも最低でも5万はかかり、役持ちならば20万以上。主役ともなれば4、50万の用意はなければ到底話にならない状態である。つまり、バレエとは富裕層が娘に習わせて自身の財力を誇示する意味合いも含まれているのだ。
 それでも、親のエゴで踊らされている人形たちの中には確かに、その世界で華々しく活躍することを夢見る少女たちも存在していた。
 私がとある二人の少女を初めて目撃したのは1997年の6月である。ずっと通っていたバレエ教室の先生の頼みで、私はアマチュアバレエ界では著名なとあるコンクール運営のボランティアに参加していた。ちょうど休憩を貰った私は、将来プロを視野に入れているのであろうバレリーナの卵たちの演技をせっかくだから見ていこうと思い、一般非公開であるために空席だらけだった客席の審査員席の真後ろに座った。言うならば特等席だ。
 ちょうどその時、舞台では12歳以下の部の演技が行われていた。
 指導者の判断にもよるが、トゥシューズを履き始めるのは大概が小学校高学年から中学にかけてだ。よって彼女たちの大半は可愛らしいバレエシューズをその足に纏って踊っている。裏に潜む金銭の存在や大人たちの思惑など全く知ることなく無邪気に踊る小学生たちは、見ていて正直羨ましかった。きっとまだ自分がなぜバレエを習わされているのかも分からないのだろう。自分の家が恵まれていなければ到底そんなものはできないと、彼女たちが知るのはいつになるのだろうか。
 そんな邪念を振り払うかのごとく、私の目の前に二人の少女は突然現れた。
 一人は明らかに周りと格が違っていた。圧倒的なまでの技術力、体のバネやしなやかさの違い。そして恐ろしいことにすでに備わりつつあるカリスマ性。彼女のことを『表現力があまりない』とケチ付ける評論家気取りも確かにいたが、それは明らかにそれ以外の才能が突出しすぎている所為で人並みの表現力が悪目立ちしているだけだった。その証拠に、コンクールの審査員たちは皆温かい目をして彼女を見守っていた。今年も完璧だよプリンセス、と誰かがクイーンズイングリッシュで呟いたのを覚えている。
 しかし私がさらに魅了されたのは、もう一人の方。そんな完璧なプリンセスの後にでてきた少女だった。
 技術力は明らかに前のプリンセスよりも劣っていた。体のバネやしなやかさは互角と言ったところ。長い手足を生かした繊細かつ優美な演技が特徴的だった。だがしかし、何故だろう。私はその時、彼女がとても物悲しげに見えた。彼女が踊る前も踊り終わった後も結局、彼女より寂しそうに悲しそうに踊る少女は存在しなかった。12歳以下の部の中で、そのことがどうしても異質に思えてならなかった。
 審査員の誰かが小さくあくびを漏らした。審査員席は舞台の上からは見えないはずなのだが、その時確かに少女は泣きそうな顔をしたのだ。私が18歳、彼女たちが10歳の初夏。会場の冷房が効きすぎていたのを憶えている。

 プリンセスだったAさん、物悲しそうだった少女Bさんは程なく日本のジュニアバレエ界で花形の新星となった。彼女たちが師事する名門バレエ団『新宿バレエ・シアター』はさぞ鼻が高かったに違いない。
 Aさんは小学校卒業までに日本のジュニアバレエコンクールを総なめ。一時期コンクールから身を遠ざけていた時期もあったが、15歳の時にはとうとう全日本で1位になった。一方Bさんも、安定した成績を残していた。
 私はバレエを辞めた後もバレエ雑誌を買い続けていた。新宿バレエ・シアターの発表会も欠かさず行っていた。他でもないBさんのその後が気になったからだ。
 何故だか分からないが、その頃の私は使命感のような感情に支配されていた。Bというひとりのバレエ少女。数十年に一度の天才であるAさんが同門でなければ、おそらく十年に一度の天才と騒がれていたであろう。彼女がバレエや自分の立ち位置にどう折り合いを付け、踊っていくのかを見届けたかった。
 しかし、その思いは私のもとに入った一つのニュースによって打ち砕かれることとなる。

 バレエ雑誌『Giselle』2003年2月号。2002年の12月17日に刊行されたこの雑誌、特集は例年通り新宿バレエ・シアターのクリスマス公演についてだった。シニアの部もさることながら、幾人もの天才を抱えるジュニアの部もその時期は注目されていた。当然ながらAさんの単独インタビューが見開きで展開されているのだろうと思っていた私は我が目を疑った。
 どこにもなかったのである。Aさんの名前も、Bさんの名前も、まるで最初からそのバレエ団の中に存在していなかったかのごとく。
 その後、何とか仕事の合間を縫って私は新宿バレエ・シアターへと尋ねた。AさんとBさんの所在について尋ねれば、バレエ団の幹部たちは皆一様に忙しいと言って去ってしまう。記者になって半年と少しの私でも、このバレエ団に何かがあるということはすぐに感付いた。
 しかし記事にならない内容で動くことは記者のご法度。もちろんまだ駆け出しのひよっこだった自分に、たかがジュニアバレエ界では有名だっただけの少女二人の失踪など調べられるはずもなく。結局その当時、私は日々の忙しさに呑み込まれつつ徐々にその嫌な予感を忘れていった。

 この2008年3月に起きた、新宿バレエ・シアターの次期団長を巡る一連の事件。東京駅で起きた傷害事件に始まり、次期団長の青年と不良グループの間で行われていた金銭のやり取り、そして彼の自殺未遂。この一連の事件を初めて理解した時、やはり私はあの6年前の真相を知る必要があるのだと直感した。あのバレエ団、いいや、日本バレエ界の未来を背負っていた二人の少女の失踪について。
 編集長を「いま旬の新宿バレエ・シアターが数年前にも事件の隠ぺいをしている可能性がある」という誘い文句で落し、私はとうとうこの「自分が見つけた最初の事件」を解く糸口に手を掛けることができたのだ。


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