最恐の義弟来たる顔合わせ
 俺の実家への挨拶も済ませ、なるべく両家の顔合わせも近いうちに行った方がいいという話になり、迎えた4月最初の日曜日。俺は再びスーツを、楓はお腹を締めないシックなワンピースを纏って鎌倉にある某老舗料亭に居た。
「幸村の妹ちゃんに会うの久しぶりだね。確か3年くらい前に結婚したんだっけ?」
「そうよ。今日は子供も連れてくるって話だったけど……」
 顔合わせのメンバー選出で何故かくっ付いてきた互いの兄弟に、俺も楓も頭を悩ませていた。本来は両親のみで粛々と行う予定だったのだが、まず楓の後輩である妹がその日旦那も休みだから家族で行けると勝手に出しゃばり、それなら楓の姉も呼ばないと可笑しくないかという話になった。妹の参加を断ることもできたが、初対面の初老夫婦同士で話のネタを探り合うのも辛かろう、幼い子供が2人いれば無言になることはまず無いからというもっともらしい理由で押し切られた。
 そう、俺の妹は22歳ながらに2児の母親である。
「へぇ! 何歳?」
「確か上が3歳、下が1歳と少しだったかな」
 本来なら幸村家は幸村家で全員まとめてここへ参上する予定だったが、午前中急遽会社に呼び出されてその足でここへ来たため、料亭に着いた順は俺、千代田夫妻と楓、東京で同棲してる千代田姉とその婚約者だった。というか、なんでここにしれっと混ざってるんだ不二。
「あの子の子だったらきっと可愛いんだろうね!」
「そうね、完全に父親似だけど結構可愛いわよ」
 そう言って出された湯呑を傾ける楓。黙ってはいるが義父母もその会話を聞いているのが分かる。上がっていく甥っ子姪っ子の期待値に俺は頭を抱えたくなった。
「失礼いたします。お連れ様がご到着なされました」
 とうとう到着してしまった幸村家の愉快な御一行様に俺は懸命にため息を漏らすまいとした。
「失礼いたします」
「こんにちは〜、お待たせしてしまって申し訳ありません」
 懸命に威厳のある父親を演じようとはしているが完全に千代田氏に後れを取っている我が父親に、どこ吹く風のマイペースさを炸裂させている母親がまずは入室してきた。千代田夫妻は立ち上がって挨拶をしている。楓や千代田姉とその婚約者も立ち上がって軽く会釈しているが、その視線は続いて入ってきた一組の夫婦とその子供たちに釘づけだった。
 思春期ぐらいまでは俺に瓜二つと言われていた、長身癖毛で筋肉質な妹は、子を二度産んで随分女らしい体型になった。まだ目立たないがストンとしたワンピースを着用していることからお察しだが現在第三子を妊娠中。その華奢でアカギレだらけの手は、茶髪で目つきの鋭い女児の手を引いていた。
 金に近い茶の三白眼は父親と瓜二つ。彼女の弟もその父親とそっくりな目を持っていた。
 1歳の息子を抱えて登場したスーツ姿の義弟。190近い長身、微妙に逆立てた短髪、おそらく先ほどまで吸っていたのだろう煙草の残り香。普段のゴテゴテピアスはちょっと大人しくなってはいたがやっぱり右4個左5個の迫力が消せていない。スーツで来てくれただけ良しとすべきかと、楓の家族の様子を伺った。
「あれ……亜久津?」
 やっぱりというか、最初に突っ込んできたのは不二だった。
「あ? ……なんだ、青学の不二じゃねーか」
 やめてー、そいつ一応俺の奥さんの義理の兄貴!
「銀髪じゃなかったから一瞬分からなかった……。えっ、幸村の義理の弟って、亜久津だったの?」
「えっ、と……どなた? 周助」
 こういういかにもな不良が若干苦手らしい千代田が不二のスーツの裾を引っ張る。不二が少し抑えた声で「タカさんの幼馴染だよ。中学の時のライバル校の選手だったんだ」と言った。
「ほう? 義弟さんもテニスを」
「え? あ、まあ……」
 突然話しに食いついてきたお義父さんに返事をすると、続いてうちの親父も嬉しそうに楓に話しかけた。
「楓さんのお義兄さんもテニス選手だったんだね! いやあ、なんだか不思議な縁だね」
「本当ねー、精市ったらお友達も部活仲間ばかりだけど、いつのまにか親戚も部活仲間ばかりになったわねぇ」
 マイペース夫妻はマジで喋るな。加速する頭痛に張り付けた神の子スマイルはとうに限界を超えている。母さん、こいつらは部活仲間じゃなくて敵だ敵。
「精市くんほどの選手であったからこそ、縁の数も並みの選手の比ではないのでしょう。初めて会ったのはまだ私の胸ほどの背丈しか無い頃でしたが、その頃から強く誠実なスポーツマンだった」
「その節ではお世話になりましたわ、千代田さん」
「あの頃はまさかこんな風に両家が親類になるとは思いませんでしたわね」
 自然と両家は席に戻り、やっと顔合わせらしい空気になってくる。あからさまに軌道修正してくれた千代田夫妻に感謝しつつ、この義弟が何もしませんようにと祈った。

 妹が亜久津仁の子供を妊娠したと分かったのは、俺が大学3年生の初秋のことだった。俺の就活の合間を縫って開かれる家族会議に妹の大学退学に家出と、その秋にはロクな思い出が無い。
 もうあんな妹のことなど知るかと拗ねていた俺に妹の居所を教えてくれたのが蓮二で、成り行きで俺が真田の鉄拳制裁をくらうことになり、最終的には何故か亜久津と俺でテニスの試合を行うことになった。
 夕暮れのテニスコート、妹の目の前で亜久津をボコボコにした。妹には大泣きされ、何度叩きのめしても立ち上がる亜久津に俺は何時間も就活疲れもそっちのけで付き合わされた。つまり俺は、亜久津の命がけの求愛にラスボスとして利用されたのだ。でもまあ、当時の妹は亜久津にも内緒で一人で子供を産もうとしていたらしく、それだけは避けたくて俺はその亜久津のプロポーズに大人しく利用されてやったのだが。
 そして、愛の言葉なんて少しも囁かない、硬派でおっかないヤンキーの覚悟はめでたく妹に届き、亜久津仁は俺の義弟になったわけだが。
『私のデキ婚さんざん馬鹿にしてたクセに自分もデキ婚とかウケるー』
『おままごとやってたんじゃなかったんだな……いや、逆に感心したぜ』
 報告時の反応でこいつらやっぱりあの時ふたりまとめて潰しておけば良かったなと思ったのは、仕方ないことだと思いたい。

 どうなることかと思った開始時から、千代田夫妻や俺や楓や意外にもママ友たちに鍛えられた会話力を発揮してくれた妹のファインプレーが光り、顔合わせはつつがなく終了した。姪っ子甥っ子もビックリするくらい大人しく、千代田夫妻が何度もお利口だと褒めたくらいだ。まあ、あれはおそらくふたりとも人見知りを発動させていただけなのだが。
 途中で絶対やらかすだろうと予想していた不二千代田コンビや亜久津は意外にも立場を弁え、出しゃばることも無く淡々と俺と楓を立てるような当たり障りない受け答えをし続けてくれた。プチ同窓会みたいになったその場で、全員が全員大人の対応を覚えていることが何だか可笑しかった。
 千代田家を見送り、女子供と非喫煙者の親父を先に車に乗せて、亜久津とふたり駐車場で一服していた時だ。
「亜久津、今日はありがとうね」
 大人しくしててくれてとは言わなかったが、つまりそういう意味の感謝だった。10センチ以上高いところからギロリと降りてくる視線。この数年でもうだいぶ慣れたが、最初はコート外でこの目と対峙するのがわりと怖かった。
「……別に。嫁の兄貴が結婚するんだ。当然のことしたまでだろ」
「ふふっ、それを当然って言えるようになったんだから、亜久津も大人になったんだね」
「あ? 褒めてんのか喧嘩売ってんのかどっちだ?」
「褒めてるんだよ。もう……」
 俺にも大人の対応してほしいなーという一言は言わないでおいた。亜久津は吸殻を懐から出した携帯灰皿に押し込む。
「弱点晒すのはなるべく早い方が良い。結婚となりゃ尚更だ」
 突然、亜久津はそんなことを言いだした。俺の煙草から灰がはらりと落ちる。見上げた先の亜久津は落ちていく夕日の方を見ていた。
「家柄も勤め先も本人の素行も良いアンタの唯一の弱点は、俺みたいのが義弟ってことだ」
「えっ……」
 びっくりして、言葉が出なかった。
 亜久津が突然そんなことを言いだしたことも、そんなことを考えていたということも、ただひたすら驚いた。
「今日白い目で見られるようなら式は適当に理由付けてアイツだけ行かせるつもりだったが、大丈夫そうだな」
「ちょっ、ちょっと待って、なにそれ! じゃあ亜久津、最初から……」
 衝撃のカミングアウトをし始める亜久津に、ようやくでた言葉がそれだった。聞いてない。それ、妹は知ってたの?
「お人好しのテメェに言っとくけどな、世の中テメェが思ってる以上に人の粗を探すのが趣味みたいなヤツが山ほどいる。特にテメェみたいな完璧人間の身内の醜聞なんざそいつらの格好の餌食だ」
「醜聞って……」
「俺たちのこと根掘り葉掘り聞いてくるようなヤツらじゃなくて良かったな」
 亜久津の淡々とした言葉に、妹夫妻がこの3年立ち向かってきた世間の色眼鏡の恐ろしさを察した気がした。
 22歳にして3歳児の母。夫は見るからに元ヤンの目つきの悪い犯罪者顔。亜久津は高校卒業後に自動車整備の専門学校に進学して、それから街の小さなバイク屋で整備士として働いている。妹も妊娠がきっかけで大学を中退した身。看護師を目指していたが今は確か派遣の販売員だ。
 確かにその情報だけ聞いたら、まるで。
「おい」
 あからさまに表情を曇らせてしまった俺に、鋭い声が飛んでくる。それが俺を我に返らせた。
「謝ったりしたらその場でぶん殴るからな」
「……じゃあ1個だけ訂正」
 俺は携帯灰皿にすっかり短くなった吸殻を押し付ける。
 浮かんだのは妹の笑顔。
「俺は今日確かに亜久津が来るって聞いて冷や冷やしてたけど、それは亜久津が俺の弱点だと思ってたからじゃない」
 そう。亜久津を色眼鏡で見ていたのは他ならぬ俺だ。学生時代のノリで何かやらかすのではないかとずっとやきもきしていた。亜久津は俺よりもずっと先に社会に出て、守る存在ができ、世間と関わってきたのに。
 鋭い視線が落ちてくる。俺は知っている。この男が誰よりも、妹のことを大切に思っていると。妹がこの男を世界で一番信頼していることを。
 非礼を謝れないというのなら、言うことは一つだ。
「きみは俺の弱点じゃない」
 見た目よりもずっと常識的になったかつての怪童は、ジッと俺を見下ろした後にふいと視線を逸らして停めてあるアルファードの方へと歩いていった。
「ばーか」
 そんな、ちょっと可愛い罵りを残して。


prev next

bkm
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -