8.砂の城の王
ベクターが病床に伏した……と、近臣に触れがあった。
だが、彼が何の病気か、どういう症状なのか……それを知る者は一人もいなかった。
それもそのはず、彼は頑なに人を拒絶し、部屋に寄せ付けることをしなかったからだ。部屋の中からは時折大きな音が聞こえ、ベクターのものと思われる声も聞こえる。決して良い状態ではない、ということは外に居ても充分にわかることだった。
しかし寄り付けない近臣達は中で何が起きているのかわからず、粛々と王の部屋の扉を守るのみであった。
更に、ごく一部の近臣の者以外の者には、ベクターに起こっている事実自体が伏せられていた。
ベクターとメラグは秘密の部屋で折り重なるようにして倒れているところを、駆けつけた兵に発見された。二人とも命に別状はなかったが、メラグには複数の切り傷や打撲の痕があった。
メラグはベクターとは別に部屋に運ばれ、手当てを受けた。呼吸はしているが、眠っている状態が何日も続いた。
メラグ付きの侍女は彼女の身を案じ、涙を流しながら甲斐甲斐しく世話をし続けた。
幾度目かの朝を迎え、メラグの瞼がぼうっと開いた。侍女はすかさず、メラグに駆け寄り呼び掛ける。
「メラグ様……メラグ様……!私がわかりますか……?」
「ええ……」
「良かった……!メラグ様……本当に申し訳ありません……!私が、秘密の部屋に行かれるのを強くお止めしておけば……!」
侍女は感極まってわっと泣き出した。メラグを傷つけた原因は自分があの部屋の話をし、そこに行かせたからだと思い込んでいるのだ。
「あなたは何も悪くないわ……私こそ、ごめんね……。あなたに余計な心配かけたわね……」
メラグはゆっくりと侍女の支えを得て起き上がった。包帯や湿布で覆われた自分の腕や顔を擦る。
「手当て、してくれたのね。ありがとう」
「いいえ……いいえ……。本当に、無事で何よりです」
「私、あの部屋で倒れていたようね……。ベクター様は、無事なのかしら?」
「王様はメラグ様と共に倒れておられました……。今はお気を取り戻されていらっしゃるようです。ただ……」
「ただ?」
「あの、小耳に挟んだこと、なのですが……。王様は今病に伏されており、誰もお部屋にお近づけになさらないようなのです……」
「…………」
あの時、ベクターは秘密の部屋で、気が触れたように暴れだした。
突然、剣を抜き、あたりを斬りつけ始めた。メラグが止めようとするものの、彼女が目に入っておらず、ただ腕を振り払われ、殴り付けられた。メラグはそれで失神し、ベクターは力尽きてその場に倒れたらしい。
「っ……」
ぐにゃりと視界が歪んだ。恐らく失神したときに頭をぶつけたのだろう。後頭部がズキズキと痛んだ。
「メラグ様……!お気を確かに……」
「大丈夫よ、心配しないで。……私、彼の元へ行かなくちゃ」
「そんな、メラグ様!そのようなお身体で、無理をなさらないでくださいませ……!」
「少し痛むけど、動けない程ではないわ」
「でも、危険です……!だって、メラグ様をそのようにされたのは、王様なのでしょう?……また、何をされるか……」
「私は確かに……身体を傷つけられた……。でも、私は、彼の心を傷つけたの……。傷を、抉ってしまったというのが正しいのかしら……。でも、彼を病に伏せてしまったのは、私のせいなのよ」
「メラグ様……」
メラグの強い瞳に、侍女は何も言えなかった。何も心配することはないと微笑み、部屋を出る彼女の姿を唯祈りながら見ていた。
彼が人を信じず、人を遠ざける理由が、なんとなくわかった気がする。
彼の心は傷を負っている。人の弱さというものをきっと、一番わかっているのだろう。でもそれを悟られたくないから、ああやって一人築き上げた砂の城に佇んでいる。誰も近づこうとはしない。王、という立場も災いしているのだろう。
その傷は幼少期に経験した大切な人の死亡……恐らく、あの女性だろう。その傷は癒されず残ったまま固まり、彼を歪めてしまったのだ。
メラグは恐らく、この国で一番彼の真実に近い場所に居る。気づいている者は他にもいるだろう。しかし彼らはそれを見て見ぬふりをしている。自分が傷つきたく―――死にたくないから。
誰だって、自分の身が一番可愛いのだ。
メラグは王の部屋の入口に辿り着いた。初めて見る、大きな扉。
護衛の兵はメラグを阻んだ。
「通しなさい」
「女王陛下であろうと、お通しはできませぬ。誰も寄り付けるな、との、陛下のご命令です」
メラグと護衛の兵がそんなやりとりをしていると、突如、中から大きな音が聞こえた。明らかに何かが割れた音だった。護衛の兵は関心を示さずただ立っている。メラグは一度扉に眼を向けた後、兵に尋ねた。
「彼は今どうなっているの?」
「私共にもわかりませぬ。誰も、この中のことは……」
「なら、尚更だわ。私を通しなさい。早く!」
「しかし……」
「あなた達は命令違反にならないわ。私が命令を上書きする。何かあったら、私が罰を受けるわ」
メラグの強い瞳に、兵は気圧された。身体は屈強でも、己の首の心配をする者に、メラグは気力で負けるつもりはない。
大きな扉が、メラグを迎え入れた。
←戻る →進む