5.心は傍に、彼女の歩む路


 王宮の門前に、白い影が舞い降りた。門番はその見慣れぬ人物に、武器を構える。影の主は白馬から降りるとつかつかと王宮の入口へと向かって歩んだ。

「貴様、何奴」

「私はポセイドン王国の使者。ナッシュ国王より使いがありこの国へ参った。メラグ王妃に会わせて頂きたい」

「ポセイドン王国だと?」

「そうだ。ナッシュ国王の紹介状も持ち合わせてある。ここを通して欲しい」

 ひらりと彼が懐から取り出したナッシュ国王直筆の、ベクター国王に宛てた文。門番は訝しげに使いと文を交互に見る。

「残念ながら通すことはできぬ」

「何故?」

「陛下御自ら許可を与えられた人間以外は一切通してはならぬとの陛下の御命令である」

「成る程、それは一理ある。では、ベクター国王に掛け合ってはくれまいか」

 目の前の使いはとても一国の使いの者とは思えない程、丁寧でありながらも堂々たる態度だった。門番はもう一人の門番に目配せをすると、彼を王宮の奥へと向かわせた。



「陛下。王宮の門前に、ポセイドン王国の使いと名乗る者が」

「ポセイドン王国だと?用件は何だ」

「メラグ王妃陛下に会わせよとのことです。彼はナッシュ国王の紹介文を持っております」

「必要ない。ナッシュ王のことだ、大方考えはわかる。使いはどのような人物だ?」

「白き天馬に乗り、白き鎧を身に纏った騎士のような出で立ちをしております」

「白き騎士……。成る程な。ではその者を我の元へ通せ。…メラグにはこの事実を伏せろ。彼は我が兄弟国の使者だ、丁重にもてなせ」

 ベクターはニヤリと口角を上げて門番に命令を下した。門番は使者を迎えるべく、再び王宮の門へと向かったのだった。



 兄弟国の使者として迎え入れられたドルベは門番に連れられ、王宮へと足を踏み入れた。
 案内をしてくれているのか、それとも余所者である自分を監視しているのか……妙な緊張感が漂う。あまり歓迎されている雰囲気ではないことはわかる。王宮の中も、照明はあるのにどこか暗い。
 しばらく歩いていて、この張り詰めた空気は自分という外部の存在のせいではなく元からなのだと解った。王宮の者は皆ベクターを怖れているのだ。
 ドルベはベクターの居る玉座の間へと通された。後ろで扉が閉まる。ベクターの腰かける玉座の方へと歩み、一礼をする。

「やはり……貴様は前の戦争でポセイドン王国に加勢するために来ていた友軍の騎士だな」

「国王陛下にお見知りおき頂いていたとは光栄です。私の名はドルベ。仰せの通り、ポセイドン王国には友軍として加勢しておりました」

「貴様はポセイドン王国の人間ではないだろう。今の国を捨て、ナッシュ王に飼われたか?」

「いいえ。私は仕える国は違えど、生まれはポセイドン王国。ナッシュ国王とは昔からの誼みであります。この使いも私自ら、彼の為に申し出たもの」

「忠義にも友情にも厚い高潔な騎士様というわけか……わざわざ、遠いところをご苦労様なことだな。余程の物好きか」

「大切な友人のためですから、苦労はいといません。……しかし、この王宮はまるで迷路のようですね。陛下の用心深さが見てとれます。ナッシュ国王にも見習って頂き、多少のご自愛を願いたいものです」

 礼をしたまま、少し視線を上げてベクターの様子を窺う。意外にも彼は鼻を鳴らしてただ笑うのみであった。

「フン、言うではないか。面白い。一国の王の面前でありながら膝を折ろうとせぬその姿勢…肝が座っている騎士なだけある。死を恐れぬという心の表れか?」

「お褒めに預かり光栄です。常に戦場にある身、今更何故死を恐れましょうか。そんなことでは使いなど務まりませんから」

「ほう、ならばお前の大切な友とやらの為ならばここで死ぬ覚悟があると?」

「ただでは死ねません。私にもまだやることがありますから。ただ、友の危機とあらば喜んでこの身を差し出します。友の窮地とあらば身を呈して駆けつけるでしょう」

「酔狂だな……まあ良い、我は貴様の美しい友情物語になど興味はない。ドルベよ、顔を上げるがいい。用件を申せ」

「はい。…単刀直入に申し上げます。メラグ王妃陛下に会わせて頂きたいのです」

 ベクターは、ドルベの申し入れにチラリと傍らの臣下の方へと目配せをする。臣下は頷き、ベクターの玉座から離れた。

「遠いところから来ての折角の申し入れではある……が、残念ながら叶えてやることが出来ぬ」

「何故です」

「妻は最近体調が優れていなくてな。今日も自室で休ませてある。……会わせてやりたくとも、体調が悪いところを自室から連れ出して来るのは酷であろう」

 どこかドルベを見下すようなベクターの眼。その顔に浮かぶ狡猾な笑み。ドルベは半信半疑でベクターの言葉を聞いた。メラグと自分を会わせないようにするベクターの意図とも受け取れたが、本当に体調が良くないのかも知れない。
 それよりも彼女がどのような生活をしているのか、どういう状態なのか、ドルベは唯彼女の身を案じた。

「王妃陛下は……無事なのですか。医者には、診せたのですか」

「さあな、我は様子を見ていないから何とも言えぬ。食事は取れているらしいがな」

「臣下に任せている、というわけですか」

「そういうことだな。メラグの身の回りは全て王宮の侍女に任せてある」

「陛下は、ご自分のご夫人であらせられる王妃陛下のご様子を、ご存知ないのですか。ご心配しておられないのですか?」

「心配はしているさ。だが、そこまで気にかけていられるほど我は暇ではない」

 妻を心配する者が、そのような眼で笑うのか?
 ドルベの眼にはベクターのその顔が、口振りが、メラグを心配してやまないドルベを挑発し、その反応を楽しんでいるように見えた。
 ドルベは感情を抑えるように低く声を震わせた。

「誠に失礼ながら、私にはとても陛下が王妃陛下をご心配しているようには見えません。王妃陛下は故郷を離れ心を痛めておられるでしょうし、もう少し労られてはいかがですか」

「我とあいつの関係がどうあろうと、この国の人間でもポセイドン王国の人間でもない他人の貴様には関係のないことだろう」

 ベクターは額に手を置くと、クツクツと喉を鳴らせて笑い始めた。

「そうか貴様、人の妻であるメラグに惚れているのか?ああ、それとも、王妃を籠絡し自分の身分を固めようと考えているのか。その高貴な風貌に似合わず、壮大な野心を持っているようだな」

 ドルベは神経を逆撫で嘲笑うベクターを強く睨み付けた。自分自身、これ程までに怒りという感情を覚えたことはない。
 しかしここで怒号を発してはベクターの思惑にハマり、彼を喜ばせるだけだ。さらに国王への不敬の罪などでたちまち囚われの身だろう。ぐっと、彼は堪えた。

「私のことは何と言っていただいても構いません。しかし、王妃陛下がご不調であられるならば尚更、一目会って見舞いたいものです。どうか、会わせてはくれませんか」

「くどいぞドルベ。メラグは休んでいる。妻の休息を妨げるその申し出こそ失礼だと思わないのか。国へ帰るが良い。兄君の文ならば此方で預かってやろう」

「いいえ、ならば結構です。王妃陛下にお会いできないのであれば私が使いに来た意味がない」

 ドルベはベクターの方へ再度礼をすると、玉座の間を後にした。背中に刺さる視線が嘲笑っているような気がする。おそらく、ベクターは解っているのだろう。ドルベのメラグに対する想いを。
 ドルベは唇を噛んで、国を出る。しかし、ここで大人しく引き退がることはできなかった。自分がメラグに会いたい、その気持ちもあったが、これはナッシュのための使いなのだ。ドルベは空中で再び引き返した。
 まさか一介の人間が空から出現しようとは思えまい。ドルベは矢一つ射られることなく王宮へと辿り着いた。先程通った門前ではなく、今度は裏手に回る。外からメラグを見つけられないかと、王宮の周りを飛びながら彼女の姿を探した。
 すると、ある角の部屋の窓から、メラグの姿が確認できた。ドルベは天馬を誘導してバルコニーに降り立ち、彼女の部屋であろう窓を叩く。メラグは音に振り向き、一瞬驚いた顔をすると窓に駆け寄り窓を開けた。

「ドルベ?ドルベなの?」

「メラグ……!久しぶりだな」

 久しぶりに見る彼女は以前よりも更に痩せており、顔も少し窶れているように見える。ドルベは込み上げる想いに動かされるままメラグを抱き締めようとした腕を止めた。―――関係のない他人―――先程のベクターの言葉が蘇る。仮にも彼女はベクターの妻であり、この国の王妃。もう自分が容易く触れられる存在ではないのだ。
 そんなドルベの苦悩を察したのか、彼女はドルベの手を優しく握った。ドルベも彼女の両手を握り返し、今日この国を訪れた用件を話した。

「まさか、あなたが来てくれるとは思わなかったわ。ナッシュは…ナッシュは元気かしら」

「ああ、彼は息災だ。善き政治を施し、民の安寧を守ってくれている。君のこと、とても心配していたよ。……君は……すっかり、痩せてしまったな……」

 ベクターの言った言葉は虚偽ではなかった。しかし、その原因は故郷を離れた心労のみではないだろう。ベクターに良い扱いを受けているとは思えない。悲しげに下げられた眉がそれを物語っているように見えた。
 海に落とされた宝石のように美しく、ナッシュがその身も心も賭して護り、愛し続けたメラグ……。その宝石は、痛々しいほどまでに傷つき、削られていたのだ。
 何故メラグが……何故、メラグばかりが。ドルベは立場が変わってもメラグを変わらず、友として愛していた。だからこそ、何もできない自分が歯がゆいのだ。自分の腕で彼女を労ることも叶わない。

「一目でも、あなたにまた会えてよかったわ。ポセイドン王国に帰ったら、ナッシュに伝えて……私は大丈夫だと」

「メラグ……私は大丈夫には見えないよ。こんな君を見ていられない。祝福されるべき、幸せな結婚なら私も祝福したさ。なのに……ベクターの君に対する仕打ちは何だ。自分の妻を何だと思っているのだ……!」

 ベクターに合間見えたときのことを思い返し、ふつふつと何かが込み上げて眼を閉じる。戦場で常に冷静でいられる騎士の心は、魂は、抑えようのない怒りに乱されている。
 ふと、ドルベはメラグをここから連れ出したい衝動に駆られた。天馬ならば、ここから気づかれずにメラグを連れ出せる。 ベクターが気づくまでには、どこまで逃げられるだろう。

「メラグ、この王宮から脱出しないか。私なら、誰にも気づかれずに君を連れ出せる。空路ならば事が大きくなる前に、別の国へ行くことが可能だ」

 真摯なドルベの提案にメラグは驚いた。普段穏健な彼の眼には怒りの炎が宿っている。メラグを思い、心配する心が痛いほど伝わる。立場や国が変わっても自分のことをそこまで想ってくれることがたまらなく嬉しかった。彼との絆は変わらないままだ。
 しかしメラグは眼を閉じ、首を横に振った。

「ドルベ……あなたの気持ちはとても嬉しい。……でも私、決めたの。私には、この国でやるべきことがあるの。私は逃げないわ」

「だが、それが君にとっての幸せと言えるのか?ベクターのこのような仕打ち、私は許せない。君はもっと別のところで、幸せになるべきなんだ」

「私自身にとってはその方がいいのかも知れない。でも、この国を……彼を……今の私には、見捨てることはできないわ。私は、この国を変えたいの」

 メラグは強く語った。その眼は幾度も迷った果てに、運命を諦めてしまったのではなく、運命を受け入れる決意で光っていた。
 ドルベは一つ呼吸を置いて、感嘆のため息を吐いた。

「メラグ……君は優しく、そして強いな。ナッシュとそっくりだ。一度決意したものを曲げることなどせず、最後まで貫く……。それが君の決意ならば、私はもう何も言うまい。ただ、ナッシュや私のように君の身を案じる者がいることを忘れないでくれ。どうか、無事でいてほしい」

「ありがとう、ドルベ……。私は大丈夫、大丈夫よ。あなたやナッシュがいるから。あなたたちとの絆があるから、私は強くあれるわ」

「ああ、そうだメラグ。私達はいつでも強い絆で繋がっている。ナッシュも私も、いつでも君を想っている。……そうだ、ナッシュからの文を預かっている。君からも、何かあればナッシュに届けたい」

「まあ、ありがとう。では、少し待ってくれるかしら。私からも、ナッシュに手紙を届けてほしい。いいかしら」

「勿論」

 メラグは部屋の奥で数分、書き物をすると簡易的な包みを携えてドルベの元へ戻ってきた。

「これを……よろしくお願いします」

「ああ、解った。きっと彼の元へ届けるよ。メラグ 、どうか無事で。また会おう」

 ドルベは再び天馬に跨がり、空を蹴った。その後ろ姿を、見えなくなるまでメラグは手を振って見送る。
 久しぶりに友と会え、灯りが灯った胸に、一陣の風が吹き抜けた。
 ドルベの提案通り、この王宮から抜け出していたら、どのような未来が待っていただろう。もうわからないことだけれど、見てみたくもあった。そして先程の提案が、きっと最初で最後のチャンスだったのだ。

 しかしメラグは自らこれを断った。断った路を再度繋ぎ、未来として選択することはできない。
 ……後悔はしてない。自分で決めたことだから。けれど―――
 無意識に溢れた涙がすっと、彼を見守るメラグの眼から流れ落ちた。

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