2.芽生えたものは


 ベクターの政治を一言で表すならば、「圧政」ーーーそれに尽きる。
 だがいたずらに重税や無茶苦茶な法律を課し、民の生活を圧迫するような愚帝の政治ではなかった。むしろ、驚くことに法律を始め様々な決めごとは国民に決めさせていた。禁止事項や、税率すらも。
 そして国民で決めたものを王に提出し、これが国民の総意で、守れるのであれば、ということを王が確認し、許可を下す。そこでその法律は有効に機能し始めるのだ。
 法律に則り生活するのは国民なのだから、ルールは自分達の手で決めた方が効率的であろうという、ベクターの考えであった。

 問題は、法律に違背した場合の刑罰にあった。

 刑罰は全て王が決めた。そしてそれらは大半が死刑、良くて拷問・懲役という悉く重い刑罰であった。
 ベクターは処罰に対しては容赦がない。処刑には必ず立ち会い、時には自ら手を下すこともあった。
 その厳しさは国民に対してだけではなく当然役人にも及ぶ。翌年突然税率が跳ね上がったり、国民にとって明らかに不利益な法律を総意と偽って提出してきた際も、その首謀者となる役人を暴き出し全員処刑した。

「国民が総意で提出した法律はいわば我との約束ごとである。守るのが当然である所、守れないのであれば我に対する裏切りの罪として然るべき処罰を受けるのが当然であろう」

 ベクターはそう言って笑った。彼曰く責任は全て国民達にあるのだ。
 自由があり、人として意思を尊重されていたが、生命は人の扱いではなかった。それがベクターの治める国。
 法の途中改正等も許さなかった。例えばその年が不景気で税金を払うことが厳しい年だとしても、自分達で決めた以上払うことは絶対であった。払わなければ死が待っている。
 ベクターからしてみれば、愚かなる国民の『自業自得』である。
 結局の所、ベクターは国民の約束ごとというものをはなから信用しているわけではなかった。自分で決めた約束という民の言い訳ができない所を突いて、恐怖心を支配しているのだ。
 ベクターの恐怖政治は国民を怯えさせ、彼らの精神を疲弊させた。

 

「これでは民が可哀想だわ」

 ベクターの妻として国にやって来たとき、メラグが目にしたのは悉くベクターを怖れる国民の姿だった。
 活気付いていた市場なども、ベクターが見回りで姿を現せば皆怯えた表情をして静まり返る。
 そしてどこかで聞こえてくる叫び声と命乞いの声。ああ、彼はこれから王宮に連行され、処刑されるのだろう。少しばかり出来心から過ちを犯してしまったばかりに。
 余りにも痛々しい空気を天も嘆くように、この国は晴れの日が少なかった。

「何が間違っているというのだ?法律は国民が我に対して守ると言って提出してきたもの。それを破り罪を犯せば罰を与える。これは当然の摂理だろう。花に水を遣るのと同じことだ」

「だからと言って、罰が重すぎるわ。あなたは過ちを犯さずに生きられるとでも言うの?人間誰しも間違いなく生きられるとは限らない。過去の過ちから学んで、未来を良いものにする。それが人間じゃないの?あなたはその国の大切な未来を自らの手で摘み取っているのよ」

「我の政治に、お前は余計な口出しをするなと言ったはずだ」

「だって、見ていられないわ。この海の神が民の悲劇を嘆いている。海を守る力も弱くなっているわ」

 ベクターはギロリと紫の眼を細めてメラグを睨んだ。恐らく、メラグではなく臣下の苦言であればこの場で首が飛んでいただろう。近臣はそれを恐れてただベクターに従っているだけなのかも知れない。否、ベクターに進言ができた人間はきっともうこの世にはいないのだろう。
 しかし、メラグはベクターに命の保障を受けていた。彼自ら王のナッシュに約束したため、メラグを殺すことはできない。彼の、メラグの力を手に入れるという目的の為にも。そして何よりも、彼女にはポセイドン王国の神が付いている。
 だから彼女の言葉はベクターを苛立たせても、命を奪われることはない。それを良いことに、言い続けていればきっと聞き入れてくれるであろうと信じて、幾日も進言し続けた。

 彼が国民を、国を愛しているならば。

 だが、ベクターにとって耳障りな進言はとうとう彼の堪忍袋の緒を切れさせた。

「メラグを王宮の奥に監禁しろ。生かしておけばそれでいい」

 ベクターは臣下にそう言い、曲がりなりにも彼の妻であるメラグを監禁してしまったのである。
 メラグは酷くショックを受けた。ガシャンと、重い鉄の扉が閉まる光景を唯呆然と見ていた。
 彼の興味の対象は自分自身ではなく自分が持つ巫女の力であることはわかっていた。妻というのは唯の肩書きであることも。それは本来ならば夫婦の契りを交わすはずである結婚初夜に、メラグに触れすらしなかった彼の態度から見て解った。
 しかし女性としての心は、夫である男性が自分を妻として迎え入れるどころか、邪魔者として監禁するという所業に悲しみを覚えた。
 これでは人質と何も変わらないではないか。

 結婚という所の意義とは何であろうか。唯、男女が夫婦という肩書きさえ持てば、そこには愛情が存在せずとも成立するものなのか。
 メラグが女として、幼い時から憧れていた結婚への理想や幻想は音を立てて崩れ落ちた。

 妻という名の人質。それが政略結婚。
 そこには幸せも未来も、愛さえもない。

 自分が愛し、そして愛された男ではなく、何故こんな、妻を容易く監禁するような男と。
 覚悟はしていた。国を救う為なら、兄の為なら、どんな運命でも受け入れると。
 しかし暖かい愛と慈しみしか知らなかった、まだ幼さの残る少女の心は運命の与える予想以上の仕打ちに涙を流した。

(お兄様…ドルべ……私はどうすればいいの?)

 メラグは悲嘆に暮れる中、ハッと自分の荷の中にある包みに眼をやった。
 包みを手に取り開くと現れたのは、ドルべが別れ際に持たせてくれた短剣。それを手に取り、ある一つの可能性に辿り着いた。
 ベクターは人を信用していない為、非常に自分の身の回りに用心深く、常に人を遠ざけていた。側近の者ですらも、彼の決めた範囲内に立ち入ることは出来なかった。
 メラグも例外ではなく、寝室は別だったし食事の席も遠かった。しかし立場上、また世間体もあってのことか、メラグは彼の周りの人間の中で一番近い所に居た。
 できないことはなかった。彼の隙を突けば、寝込みを襲うことも、彼の食事に毒を盛ることも。
 国民のことや、祖国の利益のことを考えると、ベクターは存在しない方が良いことは明白だった。

 しかし考えた結果、メラグにはそれは出来なかった。結婚するまでその顔も名も知らず、妻を監禁するような男だが、やはり夫婦の肩書きを持ち赤の他人でなくなった以上、彼女には多少の情はあった。

(彼は、もしかすると怖いのかも知れない。人を信じることが。人を信じた先に潜む、裏切りという悪魔が。最初から人を信用しなければ裏切られることもない。だけど…)

 メラグは自分の今までを振り返った。大好きな兄がいて、友人がいて。そして国民がいる。
 国民は王である兄に信頼を置き、いざ国の危機となると兵士だけでなく物資の支援という形で協力してくれる。
 そして自分達兄妹と絶対的な信頼で繋がっている英雄の友は、どんな時でも、遠くにいても力を貸してくれる。
 そして自分は、大好きな皆のためにどんな運命にも身を投じられるのだ。
 素晴らしい協力体制は人と人との信頼に依るところが大きかった。

 だが、ベクターは見るところ、誰にも気を許さずいつも一人だった。恐らく、今の側近も不穏だと思える動きを見せれば即殺されるのだろう。…否、もう既に、前例があるのかもしれない。王宮の中は常にそういった緊張感で張り詰められていた。
 彼に危機が迫った時、心から寄り添い力になってくれる存在は今、彼にはいないのだろう。
 彼の狡猾な笑みは神を欺き、人を嘲る為にある。心から笑うことがなかったのかも知れない。笑顔が持つ本当の意味を、彼はきっとまだ知らないのだ。

(本当の人間の暖かさを知らずに生きるのは、寂しいことだわ。私なら、彼を変えられるかもしれない)

 今は自分の悲運に嘆き、涙を流している場合じゃない。運命は、この為に自分を呼び寄せたのかも知れない。この国を護る海の神は、まだこの国を見放していなかったのだ。
 メラグの胸に芽生えた、密やかな決意。彼女自身のたたかいは、これからだった。

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