1.運命の邂逅


「おかあさま、けっこんってなあに?」

「好きな人とずっと一緒にいること、そして好きな人と幸せになることを約束することよ」

「じゃあメラグナッシュとけっこんする!ナッシュとずっといっしょにいるもん!」

「まあ、メラグは本当にナッシュのことが好きねぇ。でもね、きょうだいではそれはできないの。でもメラグは素敵なお嫁さんになるわ。私の娘ですもの。きっと、世界中の殿方が夢中になるわ。そして、素敵な王子様と巡り逢って、幸せな結婚をするのよ」

 お母様は私にそう言った。幸せな結婚をして、幸せにおなりなさい、と。
 でも結婚は幸せなものだけではないということを私は知ったわ。時には女にとって理不尽なものもある。王家の娘なら尚更…。
 それでも私はナッシュの為ならどこへだって嫁ぎましょう。


 たとえそれが、悪魔の花嫁だったとしても。


 海に浮かぶ国、ポセイドン王国。この国は豊な資源と海の神に繁栄を約束され、長らく平和な時代を謳歌していた。
 しかし静かなる海にも悲劇は突然訪れる。海を越え数々の国を侵略してきた皇子・ベクターの軍が、王国を襲ったのだ。
 ベクターの目的は一つ。海にまつわる伝承。ポセイドン王国に伝えられる、神の力を手にするためだった。
 時の王ナッシュは当然、軍を率いてこれを迎え撃った。両軍の攻防は熾烈を極め、戦火は海を覆い、多数の命を海に落とした。終わりの見えぬ戦争に、次第に両軍は疲弊していった。
 国民の不満が見え始めた頃、ベクター軍から使者が遣わされた。使者によると、ベクターは条件を呑めば、ポセイドン王国から軍を退くつもりでいるらしい。
 ナッシュは喜色を示した。そして、国の為に自分の命を差し出すことまで覚悟したのだ。
 ベクターの条件は、こうだった。

「ポセイドン王国の、王の妹にして王女であるメラグを我が国に人質として差し出せ」

 それを聞き、ナッシュは激昂した。

「条約の締結はナシだ!今すぐその使者を斬り捨てろ!!」

「王様!」

 王の下した命令に、場は騒然となった。使者は凍りつき王を見上げる。ある者は驚いて王を凝視し、ある者は混乱して席を立ち、またある者は王の命令に従う為に剣を抜いた。

「やめないか、ナッシュ!」

 騒がしくなった軍義に喝を入れたのは、友軍として加勢に来ていたドルべだった。彼は元々この国の出身であり、今は他の国に仕える騎士であった。
 祖国、そして友の危機に駆けつける為、現在仕えている主に暇を貰い、帰国していたのだ。

「冷静になるんだ。国が疲弊し民に不平が出始めている今、いたずらに戦を続けることは無意味だ。国民の反乱にも繋がる。この使者を斬ることがどういう結果に繋がるか…君はそれがわからぬような暗愚の王ではないはずだ」

「わかっている…だが…」

「無理もない、今君は頭の整理がついていないんだろう。考える時間を設けた方がいい」

「ああ。…すまなかった。使者よ、帰って伝えてくれ。今すぐには判断できない。3日考えさせてくれと。後日また返答する」

「御意」

 使者を帰した後、ナッシュはメラグに事の一部始終を告げた。
 メラグは王女でありながら、海の神に仕える優秀な巫女であった。彼女の祈りは海に平和と繁栄を齎し、また海の神の怒りを鎮める力がある。
 ベクターの出してきた条件というのは、その力を狙ってのことであった。
 ナッシュはその魂胆を容易に見破った。その上で、王としての彼の中では自国の安寧の為にはやむなしという結論に至ったのである。

 しかしそれとは別に、兄としての心情がメラグを引き渡すことを拒んでいた。
 王ナッシュと王女メラグは腹の中から共に居る双子の兄妹。互いに強い信頼と愛情で結ばれていた。そんな二人にとって、離れ離れになるということは、半身を引き裂かれるといういうことと同義であった。

 メラグはその話を聞き、兄の苦悩も情勢も理解した上で承諾した。

「いいのか、メラグ」

「ええ。私の身一つで国が助かるのなら、誰も傷つかずに済むなら、構わないわ。」

「すまない…俺が不甲斐ないばかりに。俺の命なら、いくらでも差し出すのに」

「だめよ。お兄様はこの国にとってなくてはならない指導者。今いなくなるわけにはいかないわ。それに私なら、向こうでも上手くやりますから」

「メラグ…!近い未来、必ず…必ず迎えに行く。それまで耐えてくれ。…どうか無事で」

「ええ、お兄様」

 ナッシュは健気な妹に涙を流し、彼女の身体を力強く抱き締めた。メラグもまた兄の苦悩と葛藤を感じ取り、その腕で応えるように抱き締め返す。
 二人は長い時間、心の隙間を埋めあうように抱擁しあった。

 そこから両国の間で話は進み、メラグは人質という態ではなくベクターの妻として、彼の国に嫁ぐこととなった。
 日取りも決まり、神への祈りの儀式も済ませ、あとは結婚式を待つばかりとなった。


「寒くないかい、メラグ」

 結婚式の前夜。王宮の中庭に佇んでいるメラグに、ふいに声が掛けられた。
 振り向くと、鎧ではなく平装のドルべがそこに立っていた。

「ええ、大丈夫。…少し、風に当たりたくて」

「無理はいけない。君が風邪をひくとナッシュが悲しむ。それに明日は大事な日だ」

 ドルべは懐から羽織布を取り出し、メラグの肩にかけた。

「ありがとう」

 しかし布の上から肩に手を置いたまま、ドルべは手を離さなかった。

「……少々不遜な態度を取ってしまうが、…古くからの友人の戯れと思って…大目に見てほしい」

 何を今更、とメラグが思ったのも束の間、ドルべの腕が背後からメラグを包んだ。メラグは驚き、彼の名を口にする。

「ナッシュの心はよくわかる。王としての責務と、兄としての心情が別の所にあることも。そして私もまた……君を愛していた」

「ドルべ…」

「私がそう思っていい身分でないことは承知だ。しかし私の心もまた、一人の男として別の所にあった。君がベクターの元へ嫁ぐと決まり…恥ずかしながら想いを抑えることができなかった…無礼を許して欲しい」

「馬鹿ね。許すもなにも、最初から罪として存在しないものを、どう許せばいいの」

「こういう邪な想いを抱くこと自体が罪に値するだろう」

「誰が罪だと決めたの?…私は嬉しいわ。世界の英雄が、私のような一国の姫を好いてくれていたなんて。私もあなたが好きだったわ。いつも優しくて、強いあなたが」

「ああ、メラグ…」

 メラグは一度手を離すよう乞い、ドルべの方へと向き直ると、次は自分から彼の背に腕を回した。重い鎧と使命を背負う力強い身体が、メラグの細い身体を再び抱き締める。メラグは少し背伸びをすると、ドルべの唇に短く口付けた。

「お兄様には内緒よ。…お兄様にも、唇にはしたことがないの」

「ああ。メラグ、ありがとう…これで、旅立つ君を心おきなく見送れる…。私からの餞別だ。これを持って行くといい」

 ドルべが懐から取り出したのは、布に包まれた一振りの短剣。そして、何かの液体が入った小瓶だった。

「護身用として持っていくといい。君には似合わないものだが、見知らぬ土地へ君を送るナッシュの心情を汲んでやってくれ」

「わかったわ、ありがとう。お兄様とあなただと思って…大切に持っておくわ。ドルべ、兄を宜しく頼みます」

「ああ、もちろんだ。君も、息災で」

 どちらからともなく、再び交わされる口付け。それは未来への約束ではなく、別れを象徴するものであった。
 メラグはドルべに就寝の挨拶を告げ、明かりの消えた屋敷へと戻った。ドルべは淡い恋心に別れを告げるように、その背中を静かに見送った。


 翌日の正午、結婚式は両国の重賓を招いて盛大に行われた。海の神が祝福するかのような快晴の下、一部の面々は曇った心を隠すかのように繕い式に参列した。

「条約の締結を承諾し、そしてこのように盛大に我と姫君の結婚式を催してくれて感謝するぞ、ナッシュ王よ。…いや、義兄と呼ぶが正しいか」

「なんでもいいさ。…メラグは俺の唯一の可愛い妹だからな。妹の晴れ舞台は盛大に祝ってやりたいものだ。きょうだいがいなければわからないことかも知れないがな」

 ナッシュは平静ではあったが、酷く乾いた声でベクターと挨拶を交わした。
 やがて、花嫁衣装でメラグは姿を現した。国民の中には、深窓の令嬢であり、巫女であった彼女の姿を初めて見たという者も少なくはない。清楚なその姿は誰もが息を呑むほど美しかった。

「噂通り、美麗なる姫君だな。我が妻になる者よ、顔を上げるがいい」

 言われて顔を上げたメラグはそこで、初めて自分の夫となるべき人物に対面した。
 陽に恵まれたような橙の髪、そして焼けた肌は彼もまた別の海の皇子であることを物語っている。
 豪快な笑顔の裏に、神すらも欺く狡猾な顔が見え隠れしていた。大きな紫晶の瞳が、メラグを品定めするように向けられる。

(この人…人を信用することができないんだわ)

 メラグは直感でそう悟った。しかしこの場は自分の意思を殺し黙したまま、 ベクターの妻となる瞬間を迎えた。


 こうして海の祝福する中で結婚式は無事に終了した。晴れて両国は同盟国として条約を締結し、事実上の兄弟国となった。
 そしてメラグは暖かい故郷の海、愛する兄や友と離れ、別の海の女王として迎え入れられたのである。

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